指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

パタパタ撮影で思い出したこと

2022年01月15日 | 横浜

昨日、京浜急行川崎駅を通ると、列車の表示機・「パタパタ」を撮影している人が沢山いる。

            

これは、

「内の会社が作ったんですよ」と横浜コンベンション・ビューローにいたとき、帝国社から来ていたM君に言われた。

M君は、横浜市の幹部の息子だが、高校を中退し、自衛隊でジェット機に乗っていたという少々変わった経歴の男だった。

その後、横浜で当時は最王手の広告会社だった帝国社に入り、そこからビュ-ローに出向していた。

帝国社は、元は京浜急行の現場にいた方が、辞めて始めた広告会社で、京急の駅の看板、車内広告を扱うなどしていた。

また、横浜の佐々木投手が活躍すると、ポルタに「大魔神神社」を作るなどもしていた。

だが、この会社の社長は、雨宮という家で、当時は二代目が務めていて、社を作った方は事業担当の常務だった。

二代目社長は、たぶん広告代理店という業種に我慢できなかったのだろう、慶応大学時代の友人を入社させて、新規事業に取り組み、彼を専務にする。

そして取り組んだのは、当然にも不動産投資だった。

「土地を右から左に移せば、億単位で儲かる」といわれたので、やれば止められなくなるのだ。

ついには、オーストラリアでの不動産開発に乗り出し、そして失敗する。

ある年の1月4日、M君が、私と部長の浜崎さんに向かって言った。

「内の会社が潰れるんです・・・」

すぐに私と浜崎さんは、西口の本社行く。

常務は悲痛な表情で私たちに言った。

「私も全然知らなかったんです、不動産開発なんて・・・」

それは本当で、社長とその慶応ボーイの友人の専務の二人だけでやっていたとのこと。

翌週に債権者説明会が行なわれ、帝国社は倒産した。

コンベンション・ビューローには、当時は債権債務はなく、財団への出損と出向者の受け入れだけだったので問題はなかった。以前には、宣伝映画を付くってもらっていたのだが。

その後、M君は、またしても父親のお力で、京急アドに入社したとのこと。

今は、この「パタパタ」の終了をどこで聞いているのだろうか。

 

さて、問題の雨宮家だが、きちんと存在し、コンビニなどをやっている。
株式会社は、有限責任なのだから、会社と個人は別なのである。

 

 

 

 

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