ハノイから空路で南下し、
「”また”時代が逆戻りした」と感じた。
同じ大陸で繋がっては、いるものの
中国のそれとは、また違う。
中国・雲南省で営まれている生活は、
ふだん東京に住んでいる僕からしてみると、
原始的で不便に思えることも多々あった。
しかしながら雲南省の生活スタイルは、
その状態を保ったまま、今のところ
完全に安定してしまっている。
それに対し、カンボジアは
原始的で不便ではあるものの
何かが違っていた。
その違いを植物で例えると、
中国・雲南省は
カンボジアは「今まさに芽吹かんとする、
そのまま西へ、西へと移動を繰り返し、
カンポットの街、さらに西側の
ますます、その確信を深めていった。
ここは、まさに発展途上。
「進化」の真っ最中だ。
主にヨーロッパからと見られる
現地の人たちとの文化が融合し、
空気よりも重い「エネルギーの渦」となって
日々、カンボジアの大地に
そのエネルギーは、あらゆる可能性や
※シアヌークビルをバイクで探索。人は赤道に近づくごとに、こうなってゆく・・・※
※シアヌークビルの道なき道に迷い込んだ結果、山奥に民家を発見。10人ほどの大家族で、とても気さくな人たちだった※
つい40年ほど前まで、
当時のポルポト政権による
大虐殺が行われていたカンボジア。
その虐殺により、政権が崩壊するまでの
約4年間のうちに、
800万人ほどの人口が、半分近くにまで
減ってしまったと聞く。
ポルポトは政権に反発する者や、
いわゆる「知識人」といわれる人々を恐れ、
次々と殺していった。
それは「メガネをかけている」
という理由だけで「知識人」
とみなされ、殺されてしまうような、
誰もが到底納得のできない、
理不尽なものだったという。
しかし、実際に現地で暮らす人々に
接してみると、
そんな歴史を悲観しているのは、
僕の方なのだと思い知らされる。
もちろん、消えることのない、
当時の深い悲しみや怒りを
いまだに抱えたまま生きている人たちも
大勢いるだろう。
それなのに彼らは、僕の目に
とても生き生きと映るのだった。
僕は東京の街を行き交う人たちを見て、
「この人は、一体
何と戦っているのだろう」と
直感的に感じることはあっても、
「幸せそうだな」と感じることは
滅多にない。
一方、この地に暮らす人々は、
とても裕福とはいえない限られた物資の中、
そんなことすら、どこ吹く風、
本気で笑い合っている。
人間として、「本当の幸せを掴む」
という事に、「腕前」があるとするなら、
この地に暮らす人たちは、
明らかに「一流」の集まりだ。
なんということだ・・・
僕は、「物資」がどうこう、などという
発想が出てきてしまう自分を恥じ、
カンボジアの大地に目を伏せた。
同時に「全神経」が
意識の中に集中される・・・
正体の分からない磁力のようなものが、
方位磁石の針を、でたらめに引き付け、
狂わせてしまっているイメージがよぎり、
徐々に鮮明になってゆく。
価値観・・・
間違いない。
今、僕がイメージしているものは
紛れもなく僕の「価値観」だ。
僕は、すぐそばに居る子供たちに話しかけ、
一緒に犬を洗わせてもらった。
いま死んでしまったとしても
なんの悔いも残らないだろうと
生まれて初めて思った。
明日はホーチミンまで戻り、
そのまま帰国する。
僕の旅は終わった。