おはようございます。
神仏応援団リュウです。
ガッチリとした流れからのつづきで、
左内神社⛩
さないじんじゃ
に向かいます。
御祭神は、
ん? どんな神様??
ここで、疑問が湧きます。門番であれば、右内神社⛩の御祭神の櫛石窓命の相方の
豊石窓命(とよいわまどのみこと)になっていないのが不自然です。
由緒から情報を。。
梅名川(殿川)を挟んで、東岸に当社、西岸に右内神社がある。当社と右内神社は「三島大社御門左右ノ神」であり、三嶋大社の随神門として、下田街道の左右に鎮座していたもの。旧社地は、現社地から北東300mにあったが、明治19年の火災により焼失。翌年、現在地に遷座した。旧社地は、手無(テナシ)という地名。
昔、若侍が夜更けにここを通った時、鬼女が現れ、若侍を襲った。そこで、鬼女の手を切り落としたが、夜が明けると、そこにあった地蔵の左手が、田の中に転がっていたといい、手無の地蔵と呼ばれたという。
この手無(テナシ)は、テテナシの訛で、父無し(父梨)を意味し、式内・文梨神社の文梨は、その父梨の誤植だと考えられ、その論社だ。
また、当社は天地宮(アメツチノミヤ)とも称しており、式内・阿米都瀬氣多知命神社であるという説もある。現在の祭神は、その阿米都瀬氣多知命となっているが、三嶋大社御門の神として、櫛石窗命とする説もある。
で、ここでも 櫛石窓命とする説があるとありますが、櫛石窓命は、右内神社⛩の御祭神なので、門番で対になっている神様は、豊石窓命のはずなんですよ。。
なにかが不自然だ。。
そんな 左内神社⛩。
ちなみに、もとあった場所は火事で焼失していて、こちらは移動してきた場所。
元は北東方向に300メートルくらい離れた場所にあったそうです。
こちらは 新しいせいか、昔のかほりがしませんでした。
ということで、門番の神様にご挨拶をしたので、いよいよ 三嶋大社⛩に向かいます。
この時の時刻は
8時24分
この不思議な話しには、時間も関わってきています。
つづきは次回。