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消された古代王族「トミ」族の正体?(^_-)-☆

2024-05-07 22:09:13 | 古代史
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#とても分かり易く解説された動画を見つけましたので、いつものように早速コメントしました。よろしければお付き合いください(;^ω^)



とても興味深い話題をありがとうございます。三世紀の日本建国の歴史を推理して消された古代王族「トミ」族が判明しています。おっしゃるとおり出雲国の意宇(オウ)は出雲王のことだと思います。多氏が祭祀王の末裔というのも正しいと思います。詳しくは「大倭日高見国が日本建国の謎を解く」などをご参照ください。

ご存じのとおり、記紀は天皇の歴史書ではなく、藤原不比等の作った勝者の歴史なので、建国時代の不都合な史実を神話に閉じ込めて、その後の歴史をかなり改ざんしています。考古学や民俗学などの成果から推理して判明しています(詳細は「箸墓の被葬者は大国主の妃台与だよ!」など参照)。

藤原氏・中臣氏が神祇祭祀を独占したので日本書紀に合うように日本中の神社の社名・祭神・由緒書も改ざんしています。明治になって国家神道が創設されて各地の神社をそれぞれ統合し、記紀神話に合うように変更されていますので、神社伝承をそのまま受け取ると訳の分からないものになります。朝廷に隠された神社伝承や出雲口伝や古史古伝の中には真実が隠されていると思いますが、朝廷に見つかった時の保険で、荒唐無稽なものにするなど、工夫されていますので、これもそのまま解釈しても真相から離れてしまうと思います。

続きがありますが、長くなったのでこれからブログにしますので、よろしければご参照ください。どうも、お邪魔しました(;^ω^)


邪馬台国宇佐説を最初に学説として発表された富来隆氏によればトミ・トビは蛇神(ナーガ、龍蛇神)のことです。つまり紀元前4世紀初頭に福岡市早良平野に降り立った呉王族天御中主が龍蛇神を信仰する江南の海人族の王です。日本最初の王墓が吉武高木遺跡です。宋史王年代紀によれば第二代王天村雲尊、第三代王天八重雲尊と妃などの三代の王族墓が発見されています(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。

そして第四代王天聞彌尊(アメノニニギノミコト)から二十三代王彦沚尊までが筑紫日向宮に居たとあります。つまり、春日市須玖岡本遺跡に王宮を置いていた奴国王が北部九州の倭国(福岡平野・糸島平野・筑紫平野など)を支配していたのです(詳細は「【検証9】奴国時代の話(その2)」参照)。

祭祀王の末裔多氏に関してちょっと長くなっていますが、お付き合いください(;^ω^)

日本書紀 崇神天皇五年に天照大神を大和の笠縫邑に遷して祀る話があり、笠縫邑を探すと比定地のひとつ田原本町多があり、多神社が多氏のヤマトにおける本拠地だと分かりました。

現在の祭神は神武天皇やその皇子神八井耳命などを祀っています。しかし古くは珍子 賢津日霊神尊(うつのみこ さかつひこのみこと)と天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと)が祀られていたと『延喜式神名帳』にあります。この聞き慣れない男女の二柱の神は、たいていは大国主(天照大神)と台与(豊受大神)の別名なのです。藤原氏の朝廷に分からないようにして本当の祖神を祀っているのだと推理しています。

古事記を突然表に出したのは、九世紀の宮廷で日本書紀を講義した学者多人長です。序文はこの人物が書いたとされています。多氏の祖神を自ら神武天皇の皇子神八井耳命としていますが、これも朝廷に配慮してのことで、神武天皇は本当の初代応神天皇の虚像で、両天皇の崩御後の皇子たちの抗争がそっくりなのですから、神八井耳命は実在人物である菟道稚郎子(ウジノワキノイラツコ)を示唆しています。応神天皇の本当の父は大国主で母は台与です。郎子は和邇氏の祖神宗像女神イチキシマヒメ卑弥呼の弟赤坂比古の娘が生んだので和邇氏と深くつながっています。

卑弥呼は先代赤坂比古(和邇氏の祖、魏志倭人伝の伊聲耆、安心院町宮ノ原遺跡奥城古墳の被葬者と推理)が出雲国風土記の意宇郡を根拠地とした出雲王八束水臣津野命(以下八束命)の姫を娶って生ませた長女だと推理していますので、八束命の孫の大国主とはいとこの関係です。卑弥呼の墓三柱山古墳の遥拝所宇佐市安心院町ヒカケ三女神社の摂社が八束神社と金毘羅宮(大国主が祭神)となっていることから分かりました(記紀神話で宗像三女神はスサノヲから生まれたことになっていますが、卑弥呼の祖父八束命はスサノヲの孫にあたりますが、霊的にスサノヲと繋がっているのです。「詳細は「箸墓の被葬者は大国主の妃台与だよ!」参照)。藤原不比等が隠した出雲・丹波王の系譜が記紀神話で日向三代の話になっています。八束命が海神豊玉彦であり、ニニギノミコト。その子天冬衣命が日高彦で、ホホデミ。その子大国主高野御子がウガヤフキアエズです。



また笠縫邑の比定地の田原本町秦荘に笠縫神社があり、秦河勝が建立したとされる真言律宗の秦楽寺(じんらくじ)の中にあります。秦氏の祖の正体は大国主である武内宿禰の長男波多八代宿禰だと考えています(詳細は「秦氏と古事記の関係?」参照)。
ただし山号が高日山とあり、武内宿禰は景行天皇から仁徳天皇までに仕えた三百歳の老人という設定ですので秦(波多)氏は大国主の父日高彦の子、つまり大国主とは兄弟の末裔かも知れません。武内宿禰の子孫は大国主からその祖父八束命(出雲・丹波王、トミ族の王)の末裔と考えられます)。



秦氏と多氏は日本書紀が隠した史実を暴露することでつながっています。古事記は藤原氏に悟られないようにして隠された史実を暴露する暗号書になっています。暗号を解くと空白の四世紀と倭の五王の謎が解けました。話題の富雄丸山古墳の被葬者は菟道稚郎子と推理しています。詳しくは「富雄丸山古墳に何故葬られたのか?」をご参照ください。

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