スイスで乳がん - Breast Cancer - Swiss experience

スイスで乳がん - Breast Cancer - Swiss experience

HER2陽性でした。治ったみたいです。
わたしもネット情報にくぎ付けになった患者の一人です。
スイスでのがん治療・対応について、
具体的な体験を書いていきます。
世界のどこかの誰かにとって参考になりますように。

お願い

突然のヨガ・スタジオ閉店はショックだった。週に何日も通っていた場所がなくなったのだから、当然だ。心が動揺していた。

 

このブログのタイトルも「ヨガ・スタジオの行く末」とつけて、スタジオという箱ものの将来とか、経営状態とか、ヨガの先生たちの仕事とか、自分はどうやって今までのように運動を続けるか、そんなことが一番の心配事だった。

 

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少し時間が経つと、関心事は変わった。

 

スタジオという場所・箱ものは誰かが引き継ぐことになった。よく似た活動を再開するそうだが、内容は少し変わって、会費はぐっと上がるらしい。値上げの話しで持ち切りだった時期もあったが、今ではそのうちに全体像がはっきりしたら入会するかどうか決めようと思っている。

 

 

気がついたら、閉店後もちゃんと運動は続けている。ヨガで知り合ったメンバーと一緒にランニングやハイキングを始めた。他のヨガ教室にも時々行く。皆が運動を続けたいと思っているから、話しは早かった。

 

あの閉店したヨガ・スタジオが学校だったとすれば、皆が卒業して同窓会で定期的に会っているような感覚だ。

 

人とのつながりはとっても素晴らしい。場所がなくても続くものは何らかの形で続くと分かった。

 

そして何よりも自分にとって「身体」が大切なことと、スイスで命拾いをしたことを思い出した。

 

生きている事に感謝して、健全な身体のために良い事を最優先しよう。

 

ヨガ・スタジオはなるようにしかならない。

 

結論はとてもシンプルでした。

 

おわり

 

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お願い

 

通い慣れたヨガ教室が突然閉店。

 

運動不足になるのは明らかだし、気心のしれたヨガ仲間に会えなくなるし、不安なことばかり。

 


ショックのあまり呆然として何もできないという人が多かったようだ。

 

わたしは単なる焦りから、何とかしようと思い立った。

 

最初にしたのは別の施設訪問。実は日本のスポーツジムやヨガ教室はよく知らない。

 

ネットで調べて、家から一番近いヨガ教室を探したら、「ホットヨガ」だった。興味本位で行ってみた。

 

暖房がガンガンに効いた教室で、小さめのマットをぎっしり敷いて、大勢の女性が水着のようなヨガウエアを着て、どっさり汗をかきながら1時間ヨガとピラティスとストレッチを合わせたような運動をした。

 

必ず飲むようにと言われた水は1リットル。全部飲んだ。

 

アセアセ 足 アセアセ 足 アセアセ 足 タラータラータラータラータラー

 

体験だけのつもりだったが、身体がポカポカ暖かくなってとても気持ちよかった。

 

まだ寒いし、サウナに行くつもりでしばらく通ってみる事にした。

 

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でも、何かが違う。

 

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突然、わたしが求めている「ヨガ」とは何だろうと深く考える羽目になった。

 

スイスの頃から運動がメインだったけれど、身体の事だけではなかったと気づいたのだ。

 

治療中は故オリビア・ニュートン・ジョンのがん治療中ヨガのDVDを何度も観た。

 

スイスでの最初のヨガの先生はがん患者向け指導コースを終えたSさんだった。

 

簡単なポーズを丁寧に丁寧に時間をかけていた。

 

その後、すやすや眠るのが幸せだった。

 

ひょんな事から芋づる式に色々な事を思い出してきた。

 

あのショッキングな閉店は起こるべくして起こったのかも、と思ってしまう。

 

つづく

 

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お願い

 

わたしはスイスで乳がんになってからヨガを始めた。

 

もう十年前になる。

 

以来、ヨガというかストレッチのような事を毎晩寝る前に続けている。

 

飛行機にでも乗っていない限り、欠かしたことはない。

 

わたしの中では、寝る事とヨガはひとつのセットなのだ。

 

zzz

 

抗がん剤でつらい日はドックポーズでお尻を上げるのがとっても大変だった。

 

踏ん張っても膝すら持ち上がらない日もあった。

 

人間の身体ってこんなに弱くなるんだ、と実感したものだ。

 

そんな事がダウンドックをするたびふと頭をよぎり、今の健康な身体に感謝している。

 

 

 

だから、日本に住み始めて最優先してきたのは、ヨガスタジオ通い。

 

新住居から自転車で10分ほどの所に見つけた。

 

この1年半ほど週に3-4日通い続けた。

 

それが、ある日突然メールで通知が来て、1カ月後に閉店だって。

 

数百人会員がいるスポーツ施設がこんな風にあっけなく閉まるなんて思ってもいなかった。

 

ショックと不安と寂しさと、なんとも言えない気持ち。

 

そこで、何とかしようと思い立った。

 

つづく

 

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PC   スマホ   PC   スマホ   PC

 

ネット上の膨大な情報の中からある日突然、自分に響くものに出会う事がある。

 

そのひとつが2022年に84歳で亡くなった三宅一生氏の番組。

 

NHK WORLD-JAPAN 作成。

 

"ISSEY MIYAKE: The Human Inside the Clothes"

 

本人や知人のインタビューを中心に彼の人物像がわかりやすくまとめてある。

 

ISSEYさんの若い頃がかっこいい。

 

うずまき 流れ星 うずまき グラサンハート

 

70歳を過ぎた頃、ISSEYさんはオバマ大統領の反核兵器演説をきっかけに自分の原爆体験を明かした。

 

それまで広島出身としか言っていなかった。

 

うずまき 音符 うずまき 傘

 

「ピカドン・デザイナーと呼ばれたくなかった」と本人インタビューで一言。

 

淡々としていたけれど、色々あっただろう。


あえて思い出したり考えたくない、と言っていた。

 

ちらっと「時間がない」という話しもあった。

 

電球 お願い 電球 お願い 電球

 

これって、わたしにも少しだけわかると思った。

 

被爆していると発がんする確率が高いかもしれない。障害が出るかもしれない。健康な時間は普通の人より短いかもしれない。

 

こういう「かもしれない」を自覚して、覚悟をして生きるってすごい。

 

ハートブレイク うずまき ハートブレイク うずまき

 

わたしの場合は覚悟も何もなく、「突然」のがん診断だった。

 

そしてアッという間に「乳がんの○○さん」になった。

 

結局わたしは生き残ったので、「乳がんサバイバーの○○さん」になった。

 

○○さんは後遺症でしんどい?大丈夫?と心配してくれる人は大勢いた。

 

一方、○○さんは早死にするかな、という憶測はわたしの知らない所で普通にあったのだろう。

 

バイバイ うさぎ バイバイ うさぎ

 

闘病生活が一段落して職場復帰ができるようになった時、誰もわたしの病歴を知らない所に転勤した。

 

これはとっても良かった。

 

がんの事を考えないですむ時間が増えた。

 

ちょうちょ うずまき ちょうちょ うずまき


デザイナーという仕事について語るISSEYさんは幸せそうだ。

 

子どもの頃からデッサンが上手だったとか、お母さまが素敵な服を作ったという情報は参考にはなる。

 

でも才能だけでなく、並々ならぬ覚悟があって、膨大な努力があって、時間をかけて、たどり着いた先が世界トップのデザイナーというのが面白い。

 

 

この番組のおかげで、物・服を創造するアート・芸術を仕事とする人達の人生を垣間見る事ができた。

 

創造の仕事に終わりはない。

 

仕事って何だろう。

 

これまで時間を仕事優先で割いてきて、組織から給料もらって、年金をもらえるようになったら仕事は終わりだと思っていたけれど、そうじゃない仕事がある、というシンプルな事が今のわたしに響いたのだ。

 

とてもいい番組でした。ありがとう。

 

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日本

 

日本にいると、昔の記憶がよみがえる。

 

外国に住んでいた頃には不足していた感覚。

 

うずまき うずまき うずまき

 

沢田研二を映画で観た。作家の水上勉の役。おじいさんの姿。

 

そう、わたしは子供のころジュリーの歌を全部覚えて歌っていたなあ。

 

音符 音符 音符

 

生きている間にジュリー本人の声を聴いてみたい。

 

わたしが生きている間かな。ジュリーが生きている間かな。

 

がんサバイバーになってから、自分の冥途の土産は最優先。

 

ただ困ったことに、コンサートのチケットは買い方すら知らない。

 

ジュリーとなると抽選で「外れる」と聞いてあきらめた。

 

そんな話しを友人とした覚えはある。

 

ハートブレイク ハートブレイク ハートブレイク ハートブレイク

 

そうしたら、6月25日の誕生日コンサートのチケットをゲット。

 

長年追っかけをしている知人の知人と一緒に行った。

 

他人は優しい!

 

この数カ月、ネットで「沢田研二」を予習した。

 

こんな他愛のないことも子供の頃を思い出す貴重な時間だった。

 

ルンルン ルンルン ルンルン

 

「まだまだ一生懸命」

 

75歳

 

だって。

 

グラサンハート 流れ星 グラサンハート 流れ星

 

ついに当日。

 

埼玉のコンサート会場で手ぬぐいをもらった。

 

やけに嬉しかった。

 

 

コンサートはとっくに終わったのに、私の中で何かが引っ掛かっている。

 

いまだにネットで検索して、記事やSNSコメントを読んでいる。

 

じゃ、わたしも一つ書くか。

 

電球 電球 電球

 

舞台に立つ高齢者のジュリーは自分の事を「ジジイ」と呼び、2万人近くの客に普通に話しかけていた。

 

タイガースのメンバーとの昔ばなしが「ながかった」というコメントがある。

 

走って歌って、ちょっとしんどそうだった。

 

とにかく初めてのわたしには何もかもが新鮮。

 

大ヒット曲「勝手にしやがれ」や「危険なふたり」を生で堪能。

 

まさか自分がこの歳になって、ジュリーを観る日が来るとは。

 

このライブ体験は冥途の土産だ。

 

カップケーキ 

 

7と5のろうそく付きのバースデーケーキが登場した。

 

そして、ジュリーが叫んだ。

 

「みんな長生きしよう」

 

巨大スクリーンにアップで映る老人の顔。

 

テレビ時代の大スターのジュリーではない。

 

今を必死に生きるひとりの男性だ。

 

わたしにとっては、なぜかこれが決め手の一言になってしまった。

 

10年前にスイスで命拾いしてよかった。

 

おしまい。

 

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