亡くなった祖父と会話ができる、
亡くなった祖父がいることを認識できる。
心残りのある存在と話したいが、その人と全く連絡を取る手段がなく、
相手がどこに住んでいるのか、まだ生きているのかも分からない状況で、
眠っている時の夢の中で数字が出てきて、その数字に電話をかけてみたら、その相手と繋がる。
そのような因果関係が不明な事象。
ただの作り話や妄想だと軽んじるか。
人の揺るぎ無い意志の強さが生んだものか。
世界が善意から応えてくれたのか。
その者の特異性が原因なのか。
元々は皆に備わっている能力だが、
大人になるにつれて常識や経験から現実の基準を固定する傾向があるため、
そういうことができなくなるのかもしれないという説明を聴いた。
まだピュアな小さな子供だからできたんだろう。
その子も大人になると亡くなった祖父が見えなくなるんだろう・・・と。
確かに亡くなった人と交流する、亡くなった人の存在を認識できるというのは、
ある程度年を取れば非現実という認識が当たり前のように心に刻まれる。
揺るぎ無い意志の強さを持てば、誰でも亡くなった人と会話できたり、
百発百中で宝くじの一等や万馬券を得ることができたり、
自力で自由に大空を飛んだり、一瞬でどこへでもワープしたりできる、
というような展開には地球上では残念ながら至っていない。
それも固定化された現実の基準の集合意識が要因なのかもしれないが、
世界は一人だけに都合の良いようにはしない。
全体にとっての光や豊かさへと繋がるかどうかを見ている。
この話を耳にしたことは、発生する可能性のある出来事の枠を壊して、
基準値を引き上げてくれたような気がした。
命や人の想像の域を遥かに超えるような光景を巻き起こしてくれるだけの
力と慈愛のポテンシャルを世界は持っているという再認識。
印象的な共時性や強制的に変化を促されるトラブルといった分かりやすいものだけでなく、
流れている時間の世界の正体がよく掴めないものにも、
そんな力と慈愛が込められているとしたら。
そして、その作用と一体化できるとしたら。
命が生まれ、存在していく時間が、心から優しい気持ちで溢れる
素敵な時間や場所として映るようになるだろう。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
http://ameblo.jp/refrain-against/
https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/
https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
興味があれば、覗いてみて下さい。