前にも話題に出たスーザン・ケイン著『内向型人間のすごい力』を読んでいて、あまりに腑に落ちたので、自分の記憶のためにも、記事を書いておきます。

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人間の性格は、果たして先天的なものなのか、それとも後天的なものなのか。
この問題、私もずーっと興味がありました。
私自身は、先天的な性格を定めてしまうと、先入観で自分の可能性を狭めてしまいそうな気がして、思い込みをはずすためにも、あえて「自分は~だ」というのを定めないようにしてきました。

でも、元々が繊細で、周りの要求に敏感で、要求に真面目に精一杯応えようとしてしまう性質があります。

それで、自分の性格を定めないように心がけるとどうなるか。
社会が自分に要求するものだけを見て、精一杯に応えようとするようになります。
社会生活を送るのに有利な面を、自分の中に見出そうとします。
それが私でした。
その結果、本音が気づかれないまま押しやられ、空調のうなる音くらいの雑音が続く感じで、鬱傾向が続いていたのだろうと思います。

以下は、読んだ内容、あるいは読んで気がついたことです。

内向的人間はそのデフォルトからして、実は消費社会、マーケティングの重要な現代社会生活には向いていません。関心が内に向いているのだから、深く考えるのが好きです。と言うより、深く考えるのがデフォルト。その深さで納得しないと、動けません。
 
反対に、不特定多数から良い評価を得なければ成功が難しい現代社会生活では、否応なく見知らぬ多数の人と接して、気を張り詰めたままで仕事しなくてはなりません。細かいことに気がついてしまって、深く考えがちな内向型には、現代社会で生活を営み仕事をするということだけでストレスが大きいのです。
 
しかし、そんな内向型人間でも、根本的に意義があると思えることならば、あえてストレスを乗り越えて外に出て行ける力が生まれるのだそうです。内向的なケインさんが発信しているのも、あと少しのところで社会が変わる、そしてそのために彼女が重要な役割を果たせる、ということを確信しているから。
 
それでもストレスはストレスですから、ずーっとやり続けることはできません。やがて限界が来ます。

この本では、ハーバード大学の優れた教授の例が載っていました。

この教授は講義や講演が大変素晴らしく、また聞き手の反応をよく見てふさわしいジョークや表現の仕方を臨機応変に変えることができました。講義の前は、学生が長く列をなして待っているくらい人気があり、教育界最高の賞も受賞しました。

この教授は一見外向型に見える行動をとっていますが、本当は内向型で、できれば一人でいたいので、一緒に昼食を勧められるのを避けるために、逃げ場所としてトイレを使うくらいでした。それでもとても愛情深く、学生への愛情が深いので、ストレスを乗り越えられました。

でも結局は両側肺炎!になり、辞職しました。カナダの山奥で、子供や孫と時々会う以外は、めったに人と会わない生活を送っているそうです。やっと念願かなって、静かな生活が送れるようになったのですね。

著者のケインさんも、きっと内向的な自分でも挑戦したい、と思ったのでしょうね、ウォール街の弁護士事務所で活躍していました。

魅力のある刺激的な仕事だったそうですが、自分にとって法学は大切なことではない、自分にとって大切なのは家族、心理学、本を書くことだ、と気がついてしまってからは、仕事が続けられなくなって、方向転換したそうです。それまでに10年もかかってしまったそうですが。

内向型人間にとって、やりたくないこと、意義を見出せないことを目をつぶってやるのは、寿命を縮めるくらいストレスなのだ、と私は理解しました。
 
だから、結局は
「やりたいこと」=「やる意義のあること」
をやるしか選択肢はないのです。
やる意義のあることなら、どんどんエネルギーが湧きますが、どうしてこんなことやっているのかわからないことばかりに縛られてしまうと、どんどんエネルギーが消耗します。もう、体感としてはっきりわかります。

しかし社会自体が、外向型人間に有利なようにできています。ケインさんによれば、デール・カーネギーが現れたあたりからの傾向だそうです。

否定されることが多く、繊細で相手の感情によく気がつき、相手の意向を無意識に汲んでしまう内向型人間なら、まず自分の本音に気がつくことが、そもそも難しいだろうと思います。

私自身も、人生の半分以上、自分についてまったく間違った理解をしていましたから。

だから、まずは自分を知ること。というより、社会の中で、自分の立ち位置を知ること。そこからが始まりだと思います。