コロナが軽症化したということになって、あまり報道されなくなった。
各種合唱活動もほぼ復活した。
それに伴い、活気とともにあわただしさも戻ってきた。
今の地元の合唱指揮者は、若くてエネルギッシュという印象を与えたいという彼の意図がよくわかる。
気分屋さんで気分がジェットコースター。
気分が良くても、必要あることないことずーっとしゃべりまくっていて、うざい。
気分が悪かったら、些細なことに悪意ある言葉を投げかけるようになる。
コントロール欲が強くて、団員の発言は許さない。
でも、今の世の中独裁者はマイナスイメージなので、気分のよい時は話を聞く(ような自分のイメージを与えようとする)。
とにかくこの人といると、裏表がわかるだけに疲れる。
この人が期待する反応をするのは、私には負担が大きい。
振り回されてエネルギーが吸い取られる気がする。
それで、私にとっては繊細な世界が何よりも大切なことを思い出した。
偶然、去年の今頃もそんなこと書いてる。
静けさに身を置くと、余分なものがわかる。
私に必要ないものは受け取らなくていい(強度HSPの私には今のところ難しいけど練習中)。
意外と何にも考えていないこの合唱指揮者は、たぶん言ったそばから自分の言ったことを忘れているはず。
自分の言動がどう評価されるかだけ気にして、相手への関心はないから、自分の言動への責任も取らない。
ってか、何をやったか言ったか覚えてないだろう。
だったら、この人のエネルギーは雲と同じ。
記憶していて引きずっていたら、割に合わない。
この人に対しては、目の前で起きていること以外は妄想だとしてさっさと捨ててしまった方がいい。
しゃべり散らしているから、この人を判断する材料は充分与えてくれている。
人となりを見て判断する場面だけ判断して、後はなかったことにしよう。
というふうに対処したら、機嫌がいい時は対応がずっとラク。
悪い時は…これから工夫するか(う~ん…)。