青湾

当庵の近くで田能村直入が文久2年(1862年)に青湾の碑を建て、ここで青湾茶会を開催しました。

その碑を見学してきました。

sehwan-no-hi

碑の後ろに以下のように書かれていました。

behind-side-of-sehwa-no-hi

青湾銘

此地青湾之稱尚矣蓋始於豊公好茶爾後自

隠元禅師至売茶流芳餘齋蒹葭鶴翁先師竹

田諸老皆有賞評焉癡近寓湾上日汲烹茶其

味實如諸老説乃乞二大字於宍粟城主

本多崧嶽公勒石以垂不朽

銘曰

是湾之水甘香適茶㪺而不盡勝吸青霞

文久二年壬戌春日直入山下人田癡撰併書

一時期、直入山下人田癡の号を使っているようです。

文久2年は1862年で、直入は1814年3月31日生まれです。

尚に付いている字は、字体が違いますが、矣という助字と思われます。

青湾茶会図録で、読点が次に打たれていることから、助字ではないかと考えられます。

字体が違いますが、正が崩されたもので、焉という字であると推察されます。

字体が違いますが、垂不朽で、永垂不朽のことです。

㪺という字はあまり使われませんが、解説の書き下し文を見ると汲と同義かもしれません。

実際、斗は柄杓を意味することからもこの解釈は支持されます。

現在、付近には大阪ふれあいの水辺として入江が設けられており、往時が偲ばれます。

皆様も、青湾の石碑や桜宮などを徘徊されてみてはいかがでしょうか。

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