むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

春日古城(長野県)

2021年10月18日 | 百名城以外の城
春日古城かすがこじょう
別名美篶の春日城・大島城
構造丘城
築城者春日河内守昌吉
築城年代1492年唐~1500年(明応年間)
指定史跡
場所長野県伊那市美篶上大島3758 地図

春日氏は室町時代より高遠城に属していました。
後に伊那部の春日城へ移ったとも言われています。
天正年間に、武田勝頼の命により高遠城の城主となった仁科五郎信盛(武田信玄の五男)が、
武田征伐にやって来た織田の大軍と対峙、仁科五郎信盛に従っていた春日河内守昌吉は
激戦の中で討ち死にしました。
春日河内守昌吉は忠臣十七士のひとりとして名を残しています。



天神広場

信州伊那アルプス街道から円応院へ向かって南に入った突当りにある天神広場が
大島城(美篶の春日城)跡です。
この道もかつては城址から見て北側の堀になっていたものです。


駐車場

ゲートボール場になっていたようで、広場日は数台停められる駐車場もあります。
かなり低いが、土塁の名残も見られます。


天神ひろば

大塔合戦に参加した武将の中には大島河内守の名が見え、
戦国期、大島氏の居城であったことが窺えます。


堀跡

現在は埋め立てられてますが、東側の空堀跡です。
この堀は南側にある参道へと落ちています。(写真はピンボケになってしまったのでまたの機会に)


土塁

北西に残る土塁。
この西側には堀切もあります。
かつてはこのような土塁が全周していたと考えられています。


案内看板

稲荷社の脇に案内看板があります。


稲荷社

稲荷社には春日氏の氏神である春日社が合祀されています。
現在も子孫の方々でお祀りしているという。


円応院

城址の麓には元亀3年開基の円応院があります。
ここには城主の位牌が安置されています。



たまたまこの道を通って別の場所へ移動をしようとしていた旦那。
ピンポイントにこの場所に向かって信州伊那アルプス街道から脇道へ逸れたので、
私はここの城址があることを知っていて、この城址目指して来たのかと思ったのですが
通り過ぎようとしたところ、「ちょっと待ったあ!!」と急遽登城となりました。
周囲は既に薄暗く、私の苦手とする夕刻の撮影となりピンボケ写真ばかり。
案の定、堀切の写真はひどいものでここに掲げられるものではないので
今回はお話のみに留めておきました。またの機会に。。。


令和3年10月10日登城


今回の参考本




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