むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

諏訪原城(静岡県)

2022年11月15日 | 続百名城
諏訪原城すわはらじょう
別名諏訪之原城・牧野城・牧野原城・扇城・金谷城
構造山城
築城者馬場信春
築城年代1573年
指定史跡国指定史跡
場所島田市金谷 地図
スタンプ設置場所諏訪原城第一駐車場パンフレット置き場(終日利用可)
城郭検定出題あり

諏訪原城跡は、武田信玄が砦を築き、その後1573年(天正元年)、徳川家康に対する備えとして、
武田方の家臣である馬場美濃守信房に命じて、築いた城郭です。
城内に諏訪大明神を祀ったことから「諏訪原城」と名付けられました。
1575年(天正3年)、徳川家康によって落城すると牧野城(牧野原城)と改名され
武田方に渡った高天神城を攻略するための拠点となりました。
1581年(天正9年)高天神城が落城、武田氏が滅亡すると諏訪原城も役目を終え、
1590年(天正18年)頃には諏訪原城も廃城となりました。



ビジターセンター

ビジターセンターの駐車場へ利用しました。
まだ時間が早いので開いてなかったので、ビジターセンターは後回しにしました。



ビジターセンターを出てすぐに遺構が見えて来ます。
これは楽です。


パンフレット

ビジターセンターが開いてなくても、ここでパンフレットが入手出来ます。



道を挟んで右手には大手南外堀があり、
左手の茶畑になっているのは大手曲輪です。


大手南外堀

現在埋め立てられていますが、この堀は薬研堀になっていたことが発掘調査で判明しています。



歩き始めて早々に見事な堀が見えて来るので大興奮!
堀の掘り方が深さも幅も豪快です


今福浄閑戦死墓塚

武田氏の家臣で諏訪原城城主であった今福浄閑は徳川軍の攻撃で城内で討死しました。


城址碑と看板

城址碑と案内看板があります。



城址碑の前まで来ると、前方が開けて三日月堀に丸馬出が見えます。
諏訪原城の馬出は7箇所もあります。


二の曲輪中馬出

がっつり、はっきりわかりやすい丸馬出に感動!


土橋

二の曲輪中馬出と二の丸曲輪北馬出を結ぶ土橋を通って最北端の馬出へ。



この場所は、城郭検定の1級の写真問題になってました。
今回初めて訪れたのでこの問題は勘で当てましたが、あらためてこの目で正解を確認👍


二の丸曲輪北馬出

ここにある薬医門は、平成20年の発掘成果によって平成29年に復元されたものです。
木材の一部は城内の樹を伐採したものを利用しているとのことです。
現在、更なる工事が進められているようです。


土橋

先程渡った二の曲輪中馬出と二の丸曲輪北馬出を結ぶ土橋を横から見たところです。
土橋の部分は保護のため橋が架かっています。


外堀

二の曲輪と二の丸曲輪北馬出の間のV字に掘られた薬研堀の堀です。


二の曲輪



仕切土塁

二の曲輪を南北に仕切る土塁があります。


本曲輪虎口

この虎口にもかつて薬医門があったと推定されます。
先ほどの二の丸曲輪北馬出の門と同様で、武田氏から徳川氏へ移行してからの
造られたものと考えられているようです。


本曲輪

本曲輪にある少し高くなった場所には、二層の櫓が建てられていたと考えられていますが
天守としての建物は築かれることはなかったようです。



本丸通路には石積みがされています。



まるで土の舞台?というような本丸の東側です。
一段低くなっているのですが、ここから島田市を一望できるような場所になります。



一応樹を伐採して島田市も一望出来るようになってます。
下にも曲輪が見えます。
どこから下を覗いてみても曲輪だったり堀だったり、土塁だったり、
とにかく造り込みがされていて手の入っていないところは無いです。


カンカン井戸

水の手曲輪の方へやって来ました。
少しじめっとした空気が流れているいる所で、水の手だけにやはり井戸があるようです。



カンカン井戸と呼ばれる井戸があります。
「カンカン井戸」と言えば、播磨の三木城にもカンカン井戸と呼ばれる井戸があるのですが
そこでの説明では、石を投げ込むと「カンカン」と音がすることからかんかん井戸と呼ばれています。
ここも同じことが言えるのでしょうか。(試していません)


水の手曲輪

湧水なのか、水が見えるほど地面はじめっとしています。
この先、県道に出て横切って出曲輪に行く事もできるのですが
二の曲輪方面に向かいます。


二の曲輪南馬出

こちらも丸馬出です。
お腹いっぱいになりそうなほどの沢山の馬出~。
ひとつ見られただけでも「おお~」てなるのに、どんだけあるんじゃい!


二の曲輪東内馬出

南東の角にある馬出で、東に向かって3ヶ所の小規模な馬出が築かれています。
3つのうちの一番内側にある馬出で、ここにある堀は武田氏が薬研堀で築いた後、徳川氏が箱型に改修しています。


二の曲輪東馬出

こちらも小規模ながら丸馬出で、先ほどと同じく薬研堀を箱型に改修しています。
ここでは門の礎石が確認されており、鉄砲玉も出土していることから
武田VS徳川の戦が想像できる場所にもなります。



眺望も良いですが北側下を覗き込むと、こんな面白い光景が見られます。


城址碑

諏訪神社入口にやって来ました。
鳥居横にも城址碑があります。


諏訪神社

武田勝頼が諏訪大社の分霊を勧請したという諏訪神社。
諏訪原城の名も勝頼の母の家であり、武田の支配した諏訪が由来となっています。


外堀

外堀がいかに大きいかおわかり頂けますでしょうか。
これは、見事というか圧倒されてしまいます。



さすがお茶処、山肌に「茶」の文字が!!


ビジターセンター

到着時に開いてなかったビジターセンターにやって来ました。
周る順番としては逆になってしまいましたが、ここでおさらいして帰ることにしました。


スタンプ設置場所

続日本100名城スタンプ設置場所です。
ばっちり押印しました!


御城印

そして、通常版の御城印が欲しいのでガチャして事務所でカプセルと御城印を交換してもらいました。


攻城団チラシ

攻城団チラシ!ありました。



模型とパネルが展示されています。


模型

とてもイメージしやすい良い模型です。


諏訪原城跡の雑木を伐採するための「家康が見た絶景が見たい!」プロジェクトで寄付をしました。
まだまだプロジェクトは続くであろうということで、今後の整備にも目が離せません。
整備されて随分と見学しやすなっていて、広大でメリハリのある土の城の様子がよくわかり、感動ものです。
良いものを見せてもらいました。
今後も期待しています!


令和4年3月27日登城









2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (fuhchan2399)
2022-11-15 07:03:56
諏訪原城ビジターセンター駐車場の道路を挟んで、反対側の製茶工場の自動販売所で、お茶とさつまいもを買ってきました。
Unknown (むぎ)
2022-11-15 08:14:16
fuhchan2399さん、コメントありがとうございます。
お茶所でもあるし、城域で買ったお茶というだけでもなんだか美味しく頂けそうですね(#^^#)
忙しく巡っているとなかなか気が回らなくて、少し気持ちに余裕を持って現地のことも堪能したいものです。

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