オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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1960年代のTAITO(3):追加情報その1

2021年11月21日 15時24分46秒 | メーカー・関連企業

前々回と前回の2回で、かつてTAITOが自社のウェブページで公開していた1960年代の製品リストを記録いたしましたが、元のデータには画像が残されていないばかりかゲームの内容すら明らかでないものが殆どなのが残念でした。

しかし、実に全くありがたいことに、拙ブログをご高覧くださっているオールドゲームに詳しい方々から、コメント欄やSNSで多くの情報をいただきましたので、今回から2回に渡って、前2回の補足を行っていきたいと思います。

最初は、ある方からご提供いただいた、1966年の「クレーンゲームクラウン603」のフライヤーです。

クレーンゲームクラウン603のフライヤー。「あなたの利益をガッチリつかむ!!」のコピーは前作602のフライヤーにもあった。

タイトーは前年に「クレーンゲームクラウン602」を発売しています。602と603を比べてみると、603の方が幾分装飾性が増しているように見えますが、次々と新製品を出すほど当時のクレーンゲームの人気が高かったということでしょうか。

左が1965年発売の602、右が翌66年発売の603。

これらのクレーン機は、それまでコインマシンの商社であったTAITOが、自社ブランド製品の企画・開発・製造を目的として1983年に設立した子会社「パシフィック工業」の製品です。名に冠されている「クラウン」はそのブランド名のようで、60年代にTAITOが売り出した他の機械にも、その名と三本角のクラウンシンボルが見られます。

次は、同じく1966年の「スポーツマン」です。単独のフライヤーはありませんが、1970年前後頃に頒布された総合カタログの中に記載されていることをご教示いただきました。

スポーツマンの筐体。1970年前後の総合カタログより。

総合カタログには製品の説明がないのですが、どうやら背筋や握力を計測する機械のように見えます。そう言えば60年代前半にはコイン作動式の体重計なんてものがAM機の一種として存在していた(米国では今でもショッピングモールやフードコートなどで見かける)ので、その類似コンセプトと言うことなのかもしれません。

今回はもう一つ、1967年に発売された「ペリスコープ」の鮮明な筐体画像をご紹介します。この画像も、前出クラウン603のフライヤーをご提供くださった同じ方からのご提供です。

ペリスコープの筐体。見えにくいが、インストラクションが英語表記で、また背景にあるものから、海外で撮影されたものと思われる。

ペリスコープと言えば、ナムコ(当時は中村製作所)とセガの両社が、このおよそ3年前のほぼ同時期に、同名、同コンセプトのゲーム機を発売していますが、そこに第三の同名機を投入するとはなんとも大胆不敵なことです。

なお、このような潜水艦の潜望鏡を覗いて敵艦に向かって魚雷を撃つゲームとしては、翌1968年サミー(当時はさとみ)が「ソナーアタック」を発売し、さらにその8年後となる1976年には、ユニバーサルがやはり「ソナーアタック」を発売しています。パクりパクられはゲーム機業界の常とはいえ、全く仁義なき戦いの様相を呈しています。

ところで、このペリスコープも、「クレーンゲームクラウン602/603」同様、筐体に三本角の王冠マークが付いているのみならず、ビルボードには「Crown」の文字が描かれています。この、TAITOの「クラウン」へのこだわりに気づいたことが、後にワタシにとって数年に一度の大発見につながるのですが、それは今回のシリーズが終わった後で、また別のトピックとして記録したいと思います。

次回、1960年代のTAITO(4):追加情報その2(サンダーバード(67)、バスケットボール(67)、ファンタジー(69))につづく


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1 コメント

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船橋ヘルスセンターや熱海 (YOU)
2021-12-04 22:02:59
こんにちわ、
60年代といえば高度成長期で船橋ヘルスセンターや熱海の温泉ホテルに観光バスで乗り付ける時代でしたからゲームコーナーも大繁盛だったのではないでしょうか?
私も67年生まれですが70年代などは地域の子供会がバス旅行を仕立てたりもして、私は神奈川だったので横浜ドリームランド、向ヶ丘遊園、富士急ハイランド、熱海後楽園のどこかへいく工程でしたが、どこもゲームコーナーは盛況でした。
なので当時は置けば置くだけ利益というバブルだったかもしれないですね。

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