人は案外簡単に死ぬ。


そう思ったのは随分と久しぶりだった。
普段生きていて死と向き合うことなんてそういう仕事をしていない限り余程ない。

誰かが死ぬ、それは生きていれば一度は直面するもの。それが身近な人か、それとも遠い人かそれは分からない。


身近な人が亡くなったとき、誰しもが人が死ぬことについて考える。
案外命って呆気ない。そう思った。
私は高校生の時に病気で父を亡くしていて、その日ああ、呆気ないものだなとぼんやり思ったのを今でも覚えている。それは悪い意味ではなく。
当時は寂しい悲しいの気持ちが大きくてたくさん泣いて泣いて泣いてとにかく泣いた。もういないと思うと寂しかったし、何よりもそれで周りが悲しむのを見る事が悲しかった。


今まで当たり前に横に並んでいた人がこの先の未来に一緒に居ないのだ、という現実を受け止めるのが多分最も辛かった。
暫くは事あるごとに思い出しては涙ぐんで、の繰り返しだったけどそうなって当たり前なんだよなあ。だって大好きだからそうなるんだ。
寂しかったら泣いて、しんどかったら何もせずごろごろする。
そうこうしているうちに何となく前向きになってまた笑って過ごせるようになっていく。

身体は賞味期限付きの箱で、心は永遠だと高校生のとき私は漠然と思ったし、それでいいんだなあってすっきりした。もちろんどう捉えるかは人それぞれだけど。



「いないことには不思議と慣れるけど、寂しい気持ちはなくならないね」
母が言った言葉の中で印象に残っているもの。
本当にそうなんだよなあ。程度に差こそあるものの、寂しい悲しいと思う気持ちって何年たってもちゃんと悲しくて色褪せないから不思議なものです。それが悪いとはちっとも思わない。


これから彼の周りの人たちはずっとこういう気持ちと寄り添っていかなければいけないけど、どうか苦しまないでほしい。
寂しいと思うことは悪いことじゃない。
人間にとってとても必要な感情だから、寂しいと思う時彼のことを思い出して泣いて欲しい。悲しい気持ちは物事を忘れない、という点において物凄く大事だと思うから。


わたしは死ぬほど辛いと思ったことがないし、死にたいと思ったこともないから、彼がどんな悩みを抱えて疲れていたのかきっと一生かかっても分からない。
アイドルは孤独な職業だという文も見たけど、それが最もだとは言い切れないと思う。どんな職業であれひとりになれば孤独を感じるし、人それぞれ。
孤独な職業だ、と言い切ってしまうことは彼らにとても失礼な気がして、たとえそうだったとしても私はそう言いたくない。


光り輝く世界で、多くの人に愛され同じように多くの人に批判される彼らが幸せかどうかは分からない。
自ら選んでその世界に進んだからと言って全責任を彼ら自身に背負わせるのはまた違うような気がするし、割り切れというのも多分違う。


アイドルに熱愛報道が出た時「自ら進んでその道に進んだのだから恋愛が障害になることなんて当たり前だ、だから恋愛すべきではないし、それについて批判されることに文句を言うべきではない」と誰かは言う。
"自ら選んだのだから我慢して当然"
はっきりそう言わないものの、ほぼそう言っているのと同じ。
熱愛に限らず、忙しいのも大変なのも自分で選んだんだから仕方ないって。
私もそう思ったことがないかと聞かれれば嘘になるけど、よく考えたらたった1つの決断でその後起こること全てが自らの選択による責任になってしまうのはあまりにも怖いことだと思った。





まず、私は彼についてそう詳しくなく、遠いファンだった。音楽能力に長けていて、ラジオのDJをしていて人に寄り添うことが上手。泣き虫でとてもやさしい人。
これがわたしが彼について知っていることだった。
最初、彼の訃報を耳にした時血液が逆流するような感覚がした。怖くなって、暫く実感が湧かなかった。その日私は友人と食事をしていて、帰りの電車で本当に彼がこの世から居なくなってしまったことを知った。それでもまだなんとなくどこか遠くの話のようだった。
家に着いて、SNSを開くと全て彼についての文だった。
"どうして優しい人ほど傷つきやすいのだろう"
友人が書いたこの文を見て急に背筋がぞわりとして、やっと涙が出てきた。彼の死を悼む数々の文を見てもどこか冷めたような気持ちでしか見れず、もしかして私って感情が麻痺しているのだろうか、と思ったけれどそうではなかった。
遠いファンの私でもどうしようもない気持ちになって、思いの外彼や彼らについていろんな感情を抱いていたのだなとその時になって気付いた。もしかしたら、彼に9人の彼らを重ねたのかもしれない。
翌日になると彼が書いた遺書が出てきた。

彼が書いた遺書には、「生きている人の中で僕より辛い人はいないし、僕より弱い人はいない。」という文があった。
勇気を出して「辛い」と言葉にした時、「みんな辛いんだから頑張りなさい」と言われたら果たしてどう思うのだろう。
辛いと言葉に出すまでどんな葛藤があったのだろう。弱さを人に晒すことがどんなに勇気のいることだっただろう。

しんどくてたまらない時、ただ頑張ったねと、一言そう言ってくれる人がいる事がどれだけありがたいことだろう。


誰かに辛いと言われた時、わたしだったらどう答えるのだろうか。
「あなたより大変な人もいるんだから」と、そう言う言葉は健康な人だから出てくる言葉なんだと思う。他人と比べ、目に見えぬ誰かを下にして。
100の躊躇と101の勇気が出した辛いを、一体何人の人が正しく受け止める事が出来るのだろう。
「辛かったね」とただそう言って側に寄り添ってあげる事が、きっとあまりにも難しい事だった。彼の周りには友人も仲間も居たけれど、10の大丈夫だよ、は1の君のせいだ、に多分勝てなかった。そのくらい負の言葉は強いのだ。

どこかで苦しむ誰かに、どうか誰かひとりでも側で声を掛けてくれる人が居ますように。ただそう思う。


"「死にたい」という彼を「そんなことはしてはいけない」と止める権利や理由が誰にあるというの?"

SNSを見ていると様々な意見があちこちで飛び交い、彼の苦しみが分からない私たちが彼が死を選んだことをいけないことだと言ってはいけないと、そんな文も見た。
結局私たちが見ていた彼は、彼らは、ほんの一部に過ぎず本質は見えていなかったと、そんな文も見た。

他人の私が、彼の苦しみを微塵も分からない私が、ほんの一部しか見られない私が、何を生意気にと思うかもしれないけれど、それでも生きていて欲しかった。生きて、いつかきっと訪れるであろう安心や幸せをまた感じて欲しかった。誰にでも優しく、弱いものを見捨てないあなたが誰かに救われる時が訪れるのを遠くからでも見ていたかった。
生きろという事が彼にとって苦しい事だったとしても、それでもやっぱり生きて笑って欲しかった。エゴでもわたしのわがままでもいいから、これからの未来にあなたの姿を見つけたかった。

だけど、彼が選んだその道は多分唯一の解放の道だった。それを否定することは、決して出来ない。わたしたちは弱いから、いつだって逃げたいのだ。ただ、自由になりたい。それだけだ。




結局ファンである私たちに彼らの本質は分からないと誰かは言うけれど、わたしはそうは思わない。元気にステージで笑う彼らは決してほんの一部なんかじゃない。人前に出ることを生業にする彼らのその部分が、彼らの本質の一部であるとわたしは思うし、そう思いたい。

大きな歓声と多くの笑顔が彼らの活力になっているのはきっと事実で、"わたしたちが出来ることなんてない"と思わないでほしい。名前を呼ぶこと、ありがとうと伝えること、頑張ってるねと伝えること、この先すぐ側に立って彼らを守ることは出来ないけれど、横に並んで前に進むことは出来る。
ステージの上に立つ彼らと、ステージの下から彼らを見上げる私たちは、とても離れているようで、とても近いのだと思う。友達のようにご飯を食べたり、お酒を飲んだり、旅行に行ったり、悩みを聞いたり、そういうことは出来ないけれど、わたしたちは同じ夢を見ている仲間だから。
それだけは、きっと間違いじゃないと思う。
だから、彼らを100パーセント理解してあげられないことを私たちは責めなくていい。10パーセントでも20パーセントでも、彼らと同じ目線でものを見られたらそれでいい。
万人に理解されなくてもいい。けれど私はそう思う。


光と陰の中で必死に生きる彼らを、神様のように時折思うけれど、彼らはふつうの20代の人間であることを決して忘れてはならないのだろう。


色んなことを言う人が居て、わたしもその1つに過ぎないし誰に理解を求めるわけでもないけれど、1日経って思った事をたくさん書いた。

偏った意見だなと思うところもあるし、結局わたしの独りよがりな部分が多い。色んな考えがあってその全てが正解だと思う。わたしの正しいが、他人の正しいとは限らない。時に正しいと思う気持ちは凶器になることだってある。


誰が悪いとか、こうしてあげてたらとか、これからさまざまな意見が飛び交うだろう。
暫くは重い空気が漂うだろう。
けれど、私たちは日常を取り戻して生きていく。
たくさん泣いて落ち込んで、そうしたらまた前を向いて生きていく。
今までと同じように笑って、時折居なくなってしまった彼のことを思い出して、寂しくなって泣いて、だけどお腹が空いてご飯を食べて。
朝起きたら顔を洗ってご飯を食べて、着替えて外の世界に飛び出していく。仕事を終えたら電車に乗り、家に帰ったら夕飯を食べてお風呂に入ってテレビを見て笑って。時には友だちとご飯を食べて時間を忘れて楽しむ。
それはどこにでもある大切な日常だから、普段通りにすることを怖がらなくていい。
疲れたら休んで、ゆっくりしよう。元気が出たらまた歩けばいい。


時間が経てば少しずつ痛みは和らぎ、彼の事を思い出す時間も同じように少なくなる。それでいい。
忘れるわけではないから。
彼を心の隅に住まわせ、必死に生きた彼のことをたまに思い出して、音楽を聴こう。
彼を想って、また笑おう。



"大丈夫 わたしが抱きしめるよ お疲れ様"

優しく、そして誰よりも弱く強かったあなたの見る夢がどうかあたたかいものでありますように。

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