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ボブ・グリーンのエッセイと10年前の日記と。

Bob Greeneのおすすめコラム

やりたいことリストにも書いたように「うまい文章をたくさん読もう」と思って、
アメリカの名コラムニストであるボブ・グリーンの本を少しずつ読んでいる。

まずは日本語訳されている中で一番古い作品である、
エッセイ集の『アメリカン・ビート』をお風呂の中や寝る前に数編ずつじっくりと。

 

アメリカン・ビート / ボブグリーン bob greene

 

はてなブログのお題が「10年前は何してた?」なので、
『アメリカン・ビート』の中から「日記をつけていた一年間」というコラムの印象に残った部分を紹介しようかなと。

 

この文章は、
ボブグリーンが毎日日記をつけていた1964年のことを回顧して、
"日記"というものについて語る短いエッセイ。

 

数分で読める短いものだけど、やっぱり文章が巧い人はすごいね。

私の場合は、オハイオ州の高校の新聞部の大会があったときに、ある先生が、優秀なジャーナリストとして自分を鍛えるには日誌をつけること、つけたくても、つけたくなくても、毎日の細かい記録をかかさずつけるようにすることがいちばんいい方法だと教えてくれたのが、きっかけだった。
で、一九六四年、私は日記をつけることになった。

 

日記をつけたのは、その年一年間だけだった。そしていま、過ぎ去った過去の記憶が二度と帰ってこないかけがえのないものに思えるとき、私にはいつでも必要なときに手の届く一九六四年がある。
それが見たくなることが、いまどんなに多いことだろう。

 

「一九六四年」と記されたノートがなによりも私に教えてくれるのはそういうことなのだ。
いまこのノートを読んでいると、ひとりのジャーナリストとして私が毎日他人のなかに見いだそうとしているもの、怒りや抑制しきれない感情をそこに見いだすことができる。
そうした感情は人々の心のなかに深く沈みこんでいて、けっして浮かび上がってくることはない。

ところが、十七歳という年齢で、ひとりの読者のために、それもそのときにはいまの自分とはちがう大人になどなるはずがないと確信していた読者のために書いているときには、それが表面にまで浮かび上がってくる。そんなときほど、そうした感情がよく見えるときはない。

 

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ということで、せっかくなので僕も
ちょうど十年前の2015年の日記を振り返ってみたり。

 

お正月の1月1日から一ヶ月分丸々読んでみたけど、
やっぱり当時の記憶がグワーッと甦ってくるので日記っていいよね。

 

 

いくつか印象に残った走り書きをザっと。

 

MKタクシーは会社の規模が大きいから協会に入らず好き勝手してるらしい by ヤサカのおっちゃん

京都のタクシー界隈の悪口の言い合いよ・・・。

 

 

おばあちゃん家のレコードでベートーベンの「田園」聴いてるなう。外の雪がすごいわ。。
 
コインパーキングに止めた車が雪で動かず、京阪で帰宅。
そうそう、この年のお正月は大雪で、夜帰ろうと思ったら雪のせいで電車で帰ることになった、というね・・・。
 
 
新年のセールで、母にアンダーアーマーのスポーツウエアを買ってもらった。ランニングがんばろー。
「コンプレッションウェア」ってやつ、当時着たことなかったので、ちょっとスポーツ選手みたいになった気分で 嬉しかったのを覚えていたり。
 
 
社会はゲイに冷たかったけど、テクノロジーは平等に扱ってくれた。
たぶん何かからの引用。
でも深みがある文章だなと。
 
 
わざわざ○○行きたくないな→せっかく近くにあるんだから行こう!にマインド変換
ビジネス書を読んでなのか、プラス思考的なそれを日記に書き込んでいたり。
恥ずかしーやつ。笑
 
「栄光の男」 サザン、 「夜明けのBeat」 フジファブリック が良い

こういう聞いた曲を記録しておくのも、個人的にはかなり大切にしていたり。
 
 
京都のほんやら洞が燃えたのがびっくり。

もうこれ十年前なのか・・・。
あの伝説的喫茶店が燃えてしまったのめちゃショックだった。
 
・・・という感じ。

「こんなもの読まされても困る」という人がほとんどだと思うけれど、
はてなブログのお題にそって勢いで書いてみました。
 
WriteNote Proというアプリを使って
EvernoteとGPSも連携して日記を書いていたので、
何時何分、どこで、自分がなにを考えていたのかが、
しっかりと記録されていて、
読み返すと、ほんとになんとも言えない気分になったり。
 
こんな日記をいまごろになって公けにするのは、自分でもおかしい気がする。
しかしそうする以外に、いま三十四歳になる男にとってこの「一九六四年」と書かれたノートがどんなに大切なものかということを伝える方法はない。

人生の半分以上も前のことなのに、このノートのおかげでそこにいることができる。
十七歳という年齢ではなにもかもが目新しくて、文章を練ってから書くことなどできない。ただあったことを書きつけて、その勢いにまかせるだけだ。

いまでもときおり夜になると、そのノートが鏡台のタンスのなかで静かに燃え上がってくるのを感ずることがある。

 

今こうやって過ごしている時間も10年後に振り返ると、
何かしらちがった見え方がするのかもね。


「日記、真面目に書かなきゃな」と思う日曜の夜でした。

 

今週のお題「10年前の自分」

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