新庄嘉堂残日録

孫たち世代に語る建築論・デザインの本質
孫たち世代と一緒に考えたい謎に満ちた七世紀の古代史

いつ、建設が始まったのか?−2

2022年05月15日 | 7世紀古代史論
・・・ところがです。それからおよそ10年、1993年再度、本薬師寺の調査が行われ、その伽藍中門の下層から何と!条坊遺構が現れたのです。これによって、10年前の評価は覆り、条坊建設が本薬師寺建立に先行することを明らかにしたのです。折角の考古学的な箍(タガ)が外れた瞬間でした。即ち、条坊建設はさらに遡り、天武九年(680)以前となってしまったのです。
以降、考古学の視点から条坊建設の上限を区切る材料を見つけるのが困難になります。
そこで登場するのが文献史学です。『書紀』の記事を必死に探す!ことになるのです。「いつ、建設が始まったのか?」と。天武九年の箍が外れるとどこまで遡るのか、と。
しかし、探す範囲は分かっています。第二九巻天武紀下・第二八巻天武紀上です。なぜなら、「宮直前遺構」と言われるように、この藤原京は藤原宮のための京だと当然のように考えられていたからです。それ以前に遡ろうにも、天智天皇の宮は近江大津宮なのです。藤原京は天武天皇の時までは遡ると考えることが、研究の大前提なわけです。

余談ですが、わたくしたちが習った歴史では、この時期、天武天皇は飛鳥浄御原宮で政務を執っていますよね。両方の宮の建設に関わったのでしょうかね。忙しい話ですが。ま、研究者の『書紀』探索の成果を見てみましょう。

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