新庄嘉堂残日録

孫たち世代に語る建築論・デザインの本質
孫たち世代と一緒に考えたい謎に満ちた七世紀の古代史

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2022年06月16日 | 7世紀古代史論
■主題は藤原宮です。藤原宮が大宝令制定後に大規模な造替を受けているというのです
これもまた、先行条坊と同様に、史書には全く書かれていないのですが、考古学的事実から「違いない」となっているようなのです。藤原宮の大垣の中には北から内裏地区、大極殿院、朝堂院という宮の中枢宮殿・空間が存在します。その左右の空間が東西の官衙地区になります。そして、考古学的事実は中枢宮殿地区には大規模な造替は認められていないのですが、中枢域の東側にある東方官衙B地区が大きく造替されているのです。これをもって、大規模な宮殿の大改造だと斯界は判断しているようです。わずか16年しか存在しなかった藤原宮が、途中で大規模な造り替えをしているというのはちょっと変ではないか? また、その造替時に中枢域が無傷というのも解せない。この辺りのことを、現在調べているのです。納得できた段階でお話ししたいと思います。先行条坊の何者であるかと不離不可分な問題のようなのです。

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