「ボビー・バレンタイン自伝」2005年ロッテ日本一になった時の監督 | nararinn's DOOR 3rdAct
千葉ロッテマリーンズでも監督をされた
ボビー・バレンタインさんの自伝です。

ボビー・バレンタイン自伝
分厚い!何せ約470ページあって、
一番知りたい日本の話がなかなか出てこないもんだから、
いきなり2005年にワープしちゃいました。
そして一からまた読み直すという。。。


最初の方はボビーが小さいころ
どのような感じで育ったのかというところから始まり、
メジャーリーグに入団してから怪我をしてしまい、
日本に来る前に監督をやっていた頃の話です。
選手の名前が書かれているんだけど、
自分がメジャーリーグにそれほど詳しくないからか、
ほとんどわかりませんでした。。。
216ページくらいにロッテでも活躍した
フリオ・フランコ選手が出てきて、その辺りからわかりました。

1995年に一年だけロッテで監督を務められて、
2年契約だったんだけどメッツからの誘いもあって
辞めてしまったこととか、
当時のロッテの広岡GMとどんな話をしたとか、
裏話も多く語られています。
また、阪神淡路大震災もあったこととか、
日本での暮らしをどう感じたかも書かれています。
日本から戻られての話も書かれていて、
多くの犠牲者が出てしまった9・11について
球団としてはどのような状態だったのか
再開後の試合はどのような感じだったかも記されています。


メッツの監督になって
シーズンからプレーオフで敗退するまでの激戦が
記されていました。日本でも、最近の名前だと
クライマックスシリーズというのがあります。
メジャーでもあって、負けたらシーズン終了となる試合が
制覇までに何試合か経験することになります。
そういった中で選手たちが
大きなプレッシャーの中でどうプレーできるか、
その姿は、やっぱり感情を大きく動かされます。
ボビーもこの時のメッツは素晴らしかったと記しています。
今年ロッテの監督となった吉井理人さん、
当時選手だった時にこのチームに所属していました。
イチロー選手のことも書かれています。


2004年に再度日本に戻ってロッテで監督となり、
2005年に日本一となりました。
ボビーが千葉ロッテマリーンズのファンのことや
優勝したことを非常に誇らしく感じてくれているのが
文章から伝わり、嬉しい気持ちになりました。



ランニング、挑戦してみたい? ブログネタ:ランニング、挑戦してみたい? 参加中
先月、草野球マリナーズに参加したものの、
全く走り込みをしていなかったからか、
体力が続いてなかった...でした。残念ながら
怪我も体力低下もイヤなので、
一から走り込みをやっていきたいと思います。iPodnano

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