演技と描写 | Novel & Scenario (小説と脚本)

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お芝居の経験というのがほぼありません。

小学校のころ学芸会の演劇「花咲か爺さん」で二言三言の脇役をやったくらいでしょうか。

なので演技についてはまったくわからず利いた風なことは書けないのですが、仮にも小説などを書いてキャラクターの動きや表情で感情を表現しようとしてるし、その描写と演技はまるで違うでしょうけど「表現」という括りでは一緒、お隣りさんぐらいには近い気もするので、ちょっと書いてみたいと思います。演技論みたいな立派なものじゃなく作文レベルなのでご容赦を。

まず「演技がうまい」といった評価をたまに耳にしますが、自分はよくわかりません。

自然に見えた、引っかからなかった、というのはうまいということなんでしょうけど、違和感がなければそのまま流れ、逆にまずいものは引っかかる、すぐ気づけるような。

他人の欠点ばかりを見つけるのは自分の性格の悪さかもしれず、おおいに反省すべきかもしれませんが実はそういうものかも、とも思います。本当にうまい演技って素人にはわからないんじゃ? プロにしか評価できない分野じゃ?

とりあえず素人目にも乗れない演技、冷めちゃう演技は確かにあって、自分の場合はベタなものです。わかりやすいのが苦手。

動揺して目が泳ぐ。気まずくて目を伏せる。悔しくて唇を噛む。

それがオーバーだとちょっとムズムズする。

そういう苦手な演技をする俳優さんが2人はいます。でもどちらも世間的にはうまいと言われてるんですよねぇ。

しかしその2人も若い頃は違いました。10代から20代のはじめ頃に出た映画やドラマはすごく印象がよかったです。

だからなんで今こんなに苦手なのか。いつから苦手になったのか。こちらの問題かもしれません。

世に出てきたばかりの頃は新鮮で感じ入ったのに、見慣れてしまって厭きちゃった(ひどい)

でもそれだけじゃない気もします。

思うに若くてまだ成長途中で顔立ちがはっきりしなかったのが大きいんじゃないかと。

幼いために表情が乏しく不器用で、本人としてはすごく演じたのかもしれないけどあまり表に出なかった。それがよかった。

しかし大人になって顔立ちがはっきりし伝わりやすくなると、しつこく感じ酔えなくなった。

それだって世間的には演技派と言われてますから、やはり自分の側の問題かもしれません。

と思いつつ個人の感想を続けると、2人のうちの1人は最近またいい感じです。それなりに歳をとり肌がたるみ皺が寄ってきて、本人としては今まで通りにやってるのかもしれないけど違って見える。味わい深い。

そういうことがあるんだろうと思います。見られる商売はやはり見た目が大事というか。美醜ではなく伝わり具合という意味で。

一個人でもそうなら役者一般に広げるともっと複雑なんじゃないか、気持ちが出にくい顔なら派手に演じなきゃいけないとかあるんじゃないか、気持ちで演じるのがベースで大事で(技巧では出せない何かが出るって言いますね)だけどそれだけじゃなく容姿が違えば表現方法も違ったり、答えはいろいろなんじゃ、と想像します。

さらには役柄によって、物語のテイストによって、舞台か映画かドラマかによっても違うんでしょうし、統率する演出家によっても変えたり合わせたり。

そのたびに答えを探さなきゃって大変でしょうね。

そもそも演じるキャラクターが自分とは別人。

演じるにもいま書いたような指示や要求あってで自分本意じゃない。

なのに自分の体を使って顔も晒して、主役の役者さんならまさに前面に、矢面に立たされる。

どういうメンタルなんでしょう。とにかく強くなきゃできなさそうですね。

これは前にも書いたことですが演技派と呼ばれるある男女が共演したテレビドラマでその掛け合いがあまりにひどく、おかしいな、こんなはずないのに、とよくよく見たらなんのことはない、脚本がひどかった、というのがありました。こんなセリフじゃオーバーに演じるしかない。

そんなケースが思ったよりあるんだろうと思います。脚本家はいい出来と思い、演出家もOKを出し、それを形するのが役者さんの役目でしょうが、どう頑張っても残念にしかならないケース。

それでも放送はされます。最終的にゴーサインを出したのはまた演出家なりプロデューサーなのに、評判が悪いと主演俳優のせいにされたり。

「あの人じゃ視聴率は取れないな」「もう落ち目ね」

そんな意見は雑だなぁと萎えるし、あんまりだと腹が立つし、主演俳優には同情します。出来がよくても悪くてもドラマなどは集団作業で、いろんな要素が絡み合い一個人に帰するのは違うでしょう。

逆のケースもあると思います。作品に恵まれてずいぶん高く評価されたり。

ストーリーの流れがいいと見る側は自然に感情移入し、たとえ役者が無表情でも勝手に内面を想像して感動する。

俳優陣の熱演で前に進む物語、成立する物語もあるでしょうし、緊張の連続という物語ならオーバーに演じてちょうどよかったり。

自分のようにオーバーな演技が苦手、という人がいれば、そこまで誇張されたから響く人もいる。自分の好みの方が大きくズレてるのかもしれない。

ストーリーについても同様で、同じものを見ても感情移入するか感動するかは人それぞれでしょう。

恋愛が成就しめでたしめでたし、の結末に感動できるのは、恋愛成就が未経験だったり今まさにそれを切望する人だったり。

すでに経験済みの人は「いやいや、それからが大変なんだよ」と手放しでは酔えなかったりする。

それはいい悪いじゃなく違いなので、自分が感動できなくても駄作とは言えないし、感動したから「いいもの」とも言えない。他人には違うかもしれない。

そして他人が「いい作品」「いい演技」と言っても自分は鵜呑みにできません。あくまで個人の感想だろうと。

勿論みんなが個人の感想を言い合うんでいいんですが、感じたままをグイグイ言う人、自分がズレてるかもしれないとは思わない人、周囲に影響されて最初から「いい作品」「いい演技」として見ちゃう人はいますね。

ともあれどんな演技がいいのか、そもそも演技ってどんなものか、やっぱりよくわからないし評価なんてとてもとても、というところに落ちつきます。

しかし自分の書いた小説を振り返ってみると、ベタな表現、典型的な描写がわりと多いんです。

動揺して目が泳ぐ。気まずくて目を伏せる。悔しくて唇を噛む。

演技だと苦手な部類のはずの描写を結構する。

なぜだろうと考えると、あまり特殊な描写はそこだけ浮く気がするからです。

嘘をつく時に左の目尻がピクピク動く。無意識に小鼻を指でこすってしまう。

キャラ付けで必要な場合はあるでしょうけど個性的特徴的な描写は多くの場合作者のこだわりで、読者のためじゃない気がします。

それにリアルな話で言うと、気持ちが顔に出ちゃうって恥ずかしいことだと思ってます(大人なら余計に)

普段は出さないようにするものだし、普段じゃない場面を切り取るのが物語ですが、それでも最小限の方がいい、リアリティーある、それをそのまま書いて流れるくらいでちょうどいい、と思ってるとこがあります。

例えば間の表現。

会話中に間があくのはキャラクターが驚いたりショックを受けたりたじろいだり言葉にできない感情に陥るから、もしくは言葉に迷うからで間(沈黙)でしか表現できないからですが、あまりに長いとダレますね。

自分は意図を感じます。「あー、この間で感情移入して欲しいのね」「感情移入させてから次に行きたいのね」

作り手の狙いを勘ぐっちゃう。そして冷めちゃう。

そんなヒネクレ者もいますから、照準はそっちに合わせる方が無難と考えます。しつこい表現は逆に作用する。ちょっと足りないくらいがいい。

さらに書くとこの間の表現、「長い」と感じるのはドラマや映画や演劇などででしょう。具体的な時間だから、生理的に感じる。

これが漫画の場合どうでしょう。

キャラクターが沈黙するコマがあった時、読者はそれまでの流れから最適な時間を浮かべるんじゃないでしょうか。

具体的な時間でなくイメージだから、「長い」とは感じない。無言のコマや風景だけのコマがよほど連続しない限り「長いな」とはならない。

では小説の場合どうでしょう。

自分の場合は「――」といった記号で表わします。それがどれだけの時間かはやはり読者次第。

しかし読者に任せず長さを示したい時は、描写を足します。

「――」太郎は黙ったまま動かない。

「――」花子はまだ目を伏せている。

漫画の絵にあたるのが描写で、しかし目には見えませんから間も表情も動きも読者の想像力、時には演技力に依ります。

それは読者ごとに違うので不安定ですが、自分は信用してるんでしょうね。それぞれがベストをイメージしてくれると。

たとえベタな表情でも動きでも、他人が演じたそれを見るのとは違う。イメージは自発的なので抵抗感は薄いはず。

そして描写が特徴的だったり細かすぎるとかえって想像しにくい。典型的だとイメージしやすい。

そして最小限だから膨らむ。読者が広げられる。

テキストだけで具体的な絵もなく時間もなく、どう演じてもどう脳内再生してもいい、というのが小説の楽しさだと思うので、最大限に活かすにはこれ、というのが一応あってです。

でも正解かはわかりません。

テキストだけだから書き手が主導するしかなく、読者の想像力を頼りすぎちゃいけないのかもしれない。もっと描写しポイントを押さえないと作品自体のインパクトは出ないのかも。

そこらはいつも悩みます。結果いつもベタでシンプルになるなら、それが自分の好み、変えられないのかもしれないけど、文体などはいまだ決まらない感じ。作品ごとに話が違うしキャラも違うし、毎回一からのつもりです。どう書いても自由、というのが余計迷う。

悩みが尽きないから続けてるのかもしれません。そこらは役者さんと似てるのかもしれませんね。

 

 

物語についてのエッセイ・目次

 


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