毎週欠かさず聞くラジオ番組がいくつかありますが、長年聞いてるとパーソナリティーごとの口癖が気になってきます。
その1つに接続詞があって、あるお笑いコンビの場合はトーク中に何度も、
「いやね…」「でもな…」「だけどさ…」と逆接の接続詞を使う。
今まで話していたことの否定、反論は内容を広げたり深めたりするし嫌いじゃありません。何度もカーブすればスリリングで退屈しない。
でも否定が多いとちょっと萎えたりします。そんなバチバチしなくても。
逆タイプの番組もあります。やはりお笑いコンビがパーソナリティーですが、
「だよね…」「確かにね…」「なるほどな…」とまず受ける。同調する。賛同する。
これはこれで好きです。すごく仲がいい感じ。ほんわかします。癒される。
でもなかなか話が進まず時には退屈もします。
そんな時に前者の逆接はアクセントになって、自分もこのエッセイで、そして小説ではよく使うのですが、それはなるべくコンパクトにまとめようとするせいです。次々要点を並べると接続詞の間隔がどうしても狭くなる。
それに我ながら引っかかったりします。接続詞うるさいな、とか。逆接が多いと否定ばっかでやだな、とか。
最初のお笑いコンビのことを言えません。
どうして詰め詰めに書くかは、せっかちな性格もあるんでしょうけど文章を読むって基本ストレスと思うからです。ダラダラ書くのは迷惑なんじゃないか、早く結論を書かないと、と。
コンプレックスもあるかもしれません。つまんない文章じゃ、と常に不安で急いじゃう。
でもよくないですね。逆接は特にそうで、反論反論また反論とめまぐるしいのは文章だってしんどい。
接続詞うるさいな、と書きましたが、これも考えると自然でしょう。
接続詞は方向指示器、とおっしゃった人がいて、本当にそうだと思いました。
これから話すことがこれまでの補足なのか、結論なのか、それとも否定なのか、あらかじめ相手に知らせ、心構えを持ってもらうための言葉。
でもそれは指示、指図なので、多ければ「ウザいな」となります。使わずに済むならその方がいいんでしょう。
でも使わざるを得ない場合はありますから、あれこれ工夫します。例えば逆接で、
「でも…」「でも…」「でも…」と続けばそら気になりますから、
「でも…」「しかし…」「だけど…」といろいろ混ぜたり。
バラエティーはあるほどいい。流れで字面のいいもの、リズムが合う字数のものを選ぶ。
あとは文頭だけでなく文中にも入れたり。
「…ですが、」「…でしょうけど、」「…だけれども、」
あるパーソナリティーはこの文中バージョンが多い人です。ひとりしゃべりの際に一息の話の中で「…ですが、」「…でしょうけど、」「…だけれども、」と何度も入る。なかなか終わらない。文章で言うなら句点「。」が付かない。
それはそれで味があって好きです。どこに着地するんだろう、と聞き入っちゃう。その緊張感がまたいい。
でも特徴的なので気にはなります。
自分がエッセイや小説を書く時はこういう部分に気づくと直しちゃいます。とにかく無難にしようと。最も書きたいこと(伝えたいこと)の邪魔になりそうで。
しかし枝葉を切り過ぎてどんどんつまんなくしてる気もします。
話が全然変わるんだけど、という口癖も気になるものの1つ。これはラジオでなく身近な人の口癖ですが「話が全然変わるんだけど…」「全然関係ない話なんだけど…」
これもまた次に話すことについて「あらかじめ相手に知らせ、心構えを持ってもらうための言葉」でしょうし、気遣いからなのはわかるんですが、そこまで言わなくていいよ、といつも思う。「そう言えばさ」とか「この前さ」でも十分じゃないかと。
まぁ使ってる本人はあまり気にしてないんでしょう。気にしてないから使ってる。気にしてるのは周囲の方で。口癖ってそういうものだろうけど。
あるタレントさんは「…なんか」とよく使います。
「○○さんなんかどう思います?」
ちょっと上からな気がするんですよね。しません? 相手を軽視するような。
「○○さんなんかどう思います?」
おまえなんか、という使われ方もするからかな。
自分に対して使うならいいと思うんです。
「私なんかこう思いますね」「僕なんかそうしますよ」
自分に対して謙遜で使うならいい。でも他人に使うのはどうか。
「○○さんなんかどう思います?」
なので聞くたびに「…なんて」にすればいいのに、と思います。
「○○さんなんてどう思います?」
ちょっと柔らかくなる気がしますよね。しません?
まぁこれは人によるのかも。「…なんて」だって大差ないという人は多いかもしれません。同じように相手を軽視して使う場合あるし。
「パパなんて大嫌いよ!」
なので一番無難なのは、「…なんか」も「…なんて」も使わないことでしょう。
「○○さんはどう思います?」
正解正解。納得納得。
なのにわざわざ「…なんか」を使うのはこのタレントさんの個性なんでしょうし、上から見る感じが深層にはあるのかもしれないけど(思ってないことは口から出ない、とよく言いますね)でも本人は一切悪気がないように見えて、もしかすると出身地の方言とかかもしれず、なかなか難しいですね、言葉選びは。そして受け取り方も。
細かな誤解を避けようとするのが文章で言うなら推敲なんでしょう。自分はわりとしつこくやる方で、何度も読み返し書き直します。初稿でOKなんてまずありません。無駄に誰かを傷つけないための作業ですが、誰彼にもよく思われようという企みにも見えて、ちょっと気が引けたりします。そつなくすれば個性は薄まるだろうし、それぐらいアクを抜いてちょうどいい、と思いつつ、直せば直すほど他人が書いた文章みたいになる。いいのかな?
まぁやり過ぎはいけないんでしょう。でも一方で「気にするのいいじゃない」とも思います。つまんないことに引っかかってこそ楽しいんじゃない。日々を愛でるってそういうことじゃない。
これも人によっては鬱陶しいかもしれませんね。根っからの「気にしい」なだけなんだと思います。