名古屋城青空歴史教室を終えて | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

今にして思えば、名古屋城で青空歴史教室を初めて行ったのは2009年のことだった。東日本大震災の前である。

当時の私は、学校教育にも既に限界を感じており、ただひたすら知識を暗記させることによって序列を作り、それが大学入試につながるといったシステムに対し、偏差値を上げるという結果を出す事は新しい独自のメソッドを生みだしてからは極めて簡単であったが、考えながら学ぶといった学問の本質からはどんどんと遠ざかっている気がしていた。

そんな時、名古屋城で、また熱田神宮で子供たちを集めて歴史教室ができないかと思った。

最初インターネットで募集をしたところ、参加者はゼロだった。

当たり前で、そんなわけのわからないものに誰が参加すると言うのだろうか。それでも懲りずに何回か募集を繰り返している中でようやく初めて2組の親子に参加していただいた。

青空歴史教室のスタートは2010年だった。

それから11年目の今年の11月28日、素晴らしい晴天の中、名古屋城で今年最後の青空歴史教室を行った

参加者は親子合わせて16名。

最初を思うと夢のような話だし、なかには、昔の担任をした生徒が親になって参加してくれた。

なんとも嬉しいことである。

 

約2時間、建物内には入らず、でもみんなが知らない名古屋城を巡った。

途中の所々では、小学生たちにいろんなことを考えてもらった。

それは単に知識を得ると言うことではなくて、なんでだろうと言うような疑問から、名古屋城を題材にいろんなことを考えてもらうことだ。

言うまでもないことだが、単に知識の集積だけでこれからの時代を生きていけるわけではない。

それはこの青空歴史教室が始まってからずっと思うことであり、どうしたら考えたり疑問を持ったりしてそこから知識を学べないかと言うことをずっとずっと考え続けていた。

さらには考えるとはどういうことであるかと言うことを私だってどうしていいかわからない時期がずっとあり、ましてやどうしていいのかわからないというご家庭も多いであろう。


でも最初は遠慮がちだった小学校1年生から3年生までの子供たちも、徐々に積極的に発言をしてくれるようになり、何度も何度も繰り返しあーだこうだと楽しく発言してくれた。

これは青空歴史教室の初期の頃には、私の教室の内容が稚拙だったためにうまくいかなかったこともあるが、だんだんと小学生たちも時代とともに変わってきて、良い意味で積極性がたくさんあるような気がする。

 

確かに素頓狂な答えもあるが、そういう事はあんまり気にせず楽しい笑いで時間が流れる。

答えは1つじゃないとよく言うが、そうではない。疑問の持ち方が多様であるが故に、たどり着くところが多様にあると言うことである。

さらに疑問から出てきた答えにさらに疑問を重ねることによって、たどり着く先は細かく枝分かれしていく。

これが楽しい。

もちろん、保護者の方にも参加していただき、いろいろなことを考えていただいた。

 

後半はいつものように石に刻まれた刻印探し大会!!!

中には100個以上の刻印を見つける児童もいて、とても楽しい時間となった。

 

名古屋城は、決してただの観光施設ではない。

お城とはそもそも戦争のための道具であり、権力者が貧しい人々を支配するための象徴でもある。

 

しかし、幸いにも名古屋城は1度も戦争に関わったことがなく、1人の戦死者を出したことがないお城である。

そうした「平和」こそ、が名古屋城の最も誇るべきところではないだろうか。


今はそんな名古屋城で平和教育に関わることもちょっとずつ取り込んでいる。

私は若い頃はなかなか右翼あったが、なんだかいつの間にかリベラルになっている。


 

この日、名古屋城にはまるでコロナ前のような多くの人出で賑わっていた。

 

多くの人でにぎわうこと、それこそ「平和」の証であり、そう考えると、こうした光景こそ名古屋城らしい。

 

次回は、2022年1月16日(日)9時より、熱田神宮で青空歴史教室「初詣」を行います。

年齢を重ねるうちに、だんだんと長時間歩くことが大変になってきました。それでもできる限りはこの活動だけは続けたいと思っています。

また、多くの小学生の親子にご参加していただけることを楽しみにしています。

お申し込みはこちらです。(お電話でも結構です)