これから書くのは先生より教えていただいたことです。五月三日に俳優の渡辺氏が自殺したことから、自殺は絶対にしてはいけないことを説明しようと思いました。

 

自殺は修行を放棄することであり、カルマから逃れることは絶対にしてはいけないことなのです。

 

カルマとは前世にやった罪の行為と同じ罪を脱ぎ払うために、苦行をして脱ぎ払うことを言います。

 

相手に与えた苦しみと同じ苦しみを味わい、反省をして乗り越えるのです。

 

カルマとは違いますが、人間というものは、欲望に限りがありません。

 

自分の思うままの欲望に、満足することなく、さらに欲望が大きくなります。

 

人間は満足の限界がありません。小さな喜びを大きな喜びに感ずるようにすることが最大の喜びにつながるのですが、自分の考え方を変えたり、苦行を積む修行をしなければ、小さな喜びを大きな喜びに感じることはできないのです。

 

昔、苦行ツアーというのがありました。どのようなものかは、三日間お寺で修業をするツアーです。一日目は、軽く山歩きをして、お寺に帰り、ふろを浴び、普通に夕飯を食べて、早めに寝るのです。次の日の朝は四時に起きてお寺の掃除をしてから、お坊さんと一緒にお祈りをささげてから、朝飯を食います。茶碗に一杯の飯とおかずはたくわん三切れとみそ汁だけです。

 

その後山歩きをして滝に打たれ、夕方お寺に戻ります。もうみんなくたくたでした。次の日も同じような修行をするのですが、この時点で耐えられなくなり、修行をやめる人も出てきます。

 

三日目が一番大変で、ある山小屋に閉じ込められて、トウガラシの葉を燃やし、いぶされます。ゴホゴホ、言って苦しいのです、目からは涙が止まりません。その修行の後に川に入り身を清めるのです。

 

次の日の帰宅の朝には、歓喜の声がみんなから上がります。「なんて太陽は美しいのか、なんて空気はおいしいのか、体中が軽く透き通ているよな気分だ。一杯の飯がこんなにうまく感じるなんて、生きることは素晴らしい」

 

苦行の後には何でもないことが素晴らしく感じるのです。このことが小さな喜びを大きな喜びに感じるということなのです。

 

自殺する人の心境は、これ以上生きていても意味がない、死んだほうが幸せになる、という鬱的な考え方から、自殺する人が殆どですが、中には、いろいろな面で裕福なのに何で自殺をするというようなことがあります。

 

これは人間の心理の中で、その人の中で最高のものを手に入れた場合、それより落ちると、生きていけなくなるのです。

 

仮に年間二億の稼ぎがあった人が5千万に落ちると生きていけなくなるのです。普通に考えたら五千万円でも、凄い収入だと思いますが、その人にしたら屈辱的な数字に感じるのです。

 

何にせよ自殺は絶対にしてはいけない行為なのです。修行の放棄をすると、再び、さらに重いカルマがのしかかります。

 

それだけではなく、罰として、音もせず、どんよりしたカスミのかかった、寂しい場所に何十年間も縛られます。

 

罪を許されて、生まれ変わってからも、重いカルマを脱ぎ払わなくてはならない修行が待っているのです。

 

自分が死んだら終わりではなく、悲しむ人のことも考えなくてはいけません。人を悲しませ、苦しい思いをさせたが罪が最も重いのです。

 

先生のところで施術をして、命に係わるガンや難病が治った人は、奇跡の果てになってからは、命を再び蘇った喜びと、死に向き合う精神的な苦痛から逃れた喜びから、どんな小さなことでも喜びを感じられるのです。

 

しかし、人間はすぐに忘れる動物です。がんや難病から解放された時には、素直に喜びを感じますが、時が過ぎていくと、喜びに感じることが薄くなり、感謝を忘れてしまうのです。

 

人間は修行が終わるまで、自分を戒めて、苦行を乗り越えることを続けなければ、安らぎは生まれないのです。

 

苦行を乗り越えた達成感と満足感から自分に自信が付き、さらに困難に立ち向かい、苦行を乗り越えた達成感の繰り返しを経て、思い残すことの無い、満足した人生の終着が迎えられるのです。

 

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