匿名希望者のブログ

日記の様に思いついたことを何とは無しに書いておく。

2022年6月27日月曜日     死後に「地獄」というものは無いだろう

2022年06月27日 09時04分42秒 | 宗教
短いツイッターです。

自分は、以前に、「残酷な神」や「悪い神」という事をこのブログに書いた。
それは事実、アイヌ民族などの先住民族において、「悪い神」という存在がいる事も確かではある。だが、そういう意味で「悪い神」という事では無いのだろう。

だが、思うのは、人の、死後に「地獄」というものは無いだろう、という事を考えている。

「化け物」だとか、「妖怪」だとか、「物の怪」というものは、つまり「神」は、想像も出来無い程「善良」で「優しく」、キリスト教のエホバだとか、仏教の仏陀だとかは、人間に「文明」というものが出来、そのために、こういう宗教は、既に「文明化」されている。
そうしたキリスト教や仏教の説く「地獄」というものは、実は、文明化された人間の「投影」であり、だからこそ残忍で恐ろしく、残酷なのだろう。

本物の、というか、本来の「神」というものは、驚くほど「善良」で、「嘘をつけず」、恐ろしい程「優しい」ものだったのだろう。

人は、恐らく亡くなった後に、その様な所へ行くのだろう。

全然関係が無いが、イタリアのフルート奏者で、ガッゼローニという名人がいた。
ガッゼローニは、聴衆の事について、「みんな、疲れているから演奏をききに来るんだ」と弟子に教えたそうである。
そうした心を持った「職業演奏家」という人は、恐らくあまりい無いだろう。

「座敷童」とか、「わらしべ長者」という「民話」は、一体その祖先は、旧石器時代にまでさかのぼるのでは無いのだろうか。

「文明」だとか、「進化」や、「知的に優秀」という事は、それだけで、そういう「善良な存在」を、怒らせるのでは無いのだろうか。

電気も、道具も、およそ文明の利器を持た無かった太古の、旧石器時代の人間の祖先は、一体、石器だけで、どうやって生きていったのだろう?それだけで「不思議」である。
この時代には、身の毛もよだつ「地獄」だとか、「閻魔」という恐ろしい概念は、無かったのだろう。

何か知ら無いが、ドイツの古い概念で、「幸せハンス」というものがあるが、こうした事が、太古では、良い事とされたのであろう。これはグリム兄弟に採集されている。

「正直」だとか、「優しい」、「嘘をつか無い」という事は、とりわけ現代では、あまり役に立た無いのだが、元来は、こうした事が、良い事とされてきたのでは無いだろうか。

「文明」や「進化」、「知的に優秀」という事程、こういう「神」を怒らせる事は無いのでは無いのだろうか。
「馬鹿」であるとか、「愚鈍」という事や、「弱い」という事は、現代ではマイナスの要素しか無いのだが、しかしそうなったのは、「文明」が出来て同時に「競争」という原理が出来たからである。

以上、ちょっと思った事を日記に書いておいた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2022年6月26日日曜日   ト... | トップ | 2022年6月30日木曜日    ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。