短いツイッターです。
自分は、以前に、「残酷な神」や「悪い神」という事をこのブログに書いた。
それは事実、アイヌ民族などの先住民族において、「悪い神」という存在がいる事も確かではある。だが、そういう意味で「悪い神」という事では無いのだろう。
だが、思うのは、人の、死後に「地獄」というものは無いだろう、という事を考えている。
「化け物」だとか、「妖怪」だとか、「物の怪」というものは、つまり「神」は、想像も出来無い程「善良」で「優しく」、キリスト教のエホバだとか、仏教の仏陀だとかは、人間に「文明」というものが出来、そのために、こういう宗教は、既に「文明化」されている。
そうしたキリスト教や仏教の説く「地獄」というものは、実は、文明化された人間の「投影」であり、だからこそ残忍で恐ろしく、残酷なのだろう。
本物の、というか、本来の「神」というものは、驚くほど「善良」で、「嘘をつけず」、恐ろしい程「優しい」ものだったのだろう。
人は、恐らく亡くなった後に、その様な所へ行くのだろう。
全然関係が無いが、イタリアのフルート奏者で、ガッゼローニという名人がいた。
ガッゼローニは、聴衆の事について、「みんな、疲れているから演奏をききに来るんだ」と弟子に教えたそうである。
そうした心を持った「職業演奏家」という人は、恐らくあまりい無いだろう。
「座敷童」とか、「わらしべ長者」という「民話」は、一体その祖先は、旧石器時代にまでさかのぼるのでは無いのだろうか。
「文明」だとか、「進化」や、「知的に優秀」という事は、それだけで、そういう「善良な存在」を、怒らせるのでは無いのだろうか。
電気も、道具も、およそ文明の利器を持た無かった太古の、旧石器時代の人間の祖先は、一体、石器だけで、どうやって生きていったのだろう?それだけで「不思議」である。
この時代には、身の毛もよだつ「地獄」だとか、「閻魔」という恐ろしい概念は、無かったのだろう。
何か知ら無いが、ドイツの古い概念で、「幸せハンス」というものがあるが、こうした事が、太古では、良い事とされたのであろう。これはグリム兄弟に採集されている。
「正直」だとか、「優しい」、「嘘をつか無い」という事は、とりわけ現代では、あまり役に立た無いのだが、元来は、こうした事が、良い事とされてきたのでは無いだろうか。
「文明」や「進化」、「知的に優秀」という事程、こういう「神」を怒らせる事は無いのでは無いのだろうか。
「馬鹿」であるとか、「愚鈍」という事や、「弱い」という事は、現代ではマイナスの要素しか無いのだが、しかしそうなったのは、「文明」が出来て同時に「競争」という原理が出来たからである。
以上、ちょっと思った事を日記に書いておいた。
自分は、以前に、「残酷な神」や「悪い神」という事をこのブログに書いた。
それは事実、アイヌ民族などの先住民族において、「悪い神」という存在がいる事も確かではある。だが、そういう意味で「悪い神」という事では無いのだろう。
だが、思うのは、人の、死後に「地獄」というものは無いだろう、という事を考えている。
「化け物」だとか、「妖怪」だとか、「物の怪」というものは、つまり「神」は、想像も出来無い程「善良」で「優しく」、キリスト教のエホバだとか、仏教の仏陀だとかは、人間に「文明」というものが出来、そのために、こういう宗教は、既に「文明化」されている。
そうしたキリスト教や仏教の説く「地獄」というものは、実は、文明化された人間の「投影」であり、だからこそ残忍で恐ろしく、残酷なのだろう。
本物の、というか、本来の「神」というものは、驚くほど「善良」で、「嘘をつけず」、恐ろしい程「優しい」ものだったのだろう。
人は、恐らく亡くなった後に、その様な所へ行くのだろう。
全然関係が無いが、イタリアのフルート奏者で、ガッゼローニという名人がいた。
ガッゼローニは、聴衆の事について、「みんな、疲れているから演奏をききに来るんだ」と弟子に教えたそうである。
そうした心を持った「職業演奏家」という人は、恐らくあまりい無いだろう。
「座敷童」とか、「わらしべ長者」という「民話」は、一体その祖先は、旧石器時代にまでさかのぼるのでは無いのだろうか。
「文明」だとか、「進化」や、「知的に優秀」という事は、それだけで、そういう「善良な存在」を、怒らせるのでは無いのだろうか。
電気も、道具も、およそ文明の利器を持た無かった太古の、旧石器時代の人間の祖先は、一体、石器だけで、どうやって生きていったのだろう?それだけで「不思議」である。
この時代には、身の毛もよだつ「地獄」だとか、「閻魔」という恐ろしい概念は、無かったのだろう。
何か知ら無いが、ドイツの古い概念で、「幸せハンス」というものがあるが、こうした事が、太古では、良い事とされたのであろう。これはグリム兄弟に採集されている。
「正直」だとか、「優しい」、「嘘をつか無い」という事は、とりわけ現代では、あまり役に立た無いのだが、元来は、こうした事が、良い事とされてきたのでは無いだろうか。
「文明」や「進化」、「知的に優秀」という事程、こういう「神」を怒らせる事は無いのでは無いのだろうか。
「馬鹿」であるとか、「愚鈍」という事や、「弱い」という事は、現代ではマイナスの要素しか無いのだが、しかしそうなったのは、「文明」が出来て同時に「競争」という原理が出来たからである。
以上、ちょっと思った事を日記に書いておいた。