七夕即ち”たなばた”とは、天に懸かる機帯(はたおび)のことであります。
織女が天頂に上る七夕の頃に、稲の水祭りを行った古い習慣が、今の星座に変わりました。
牽牛も織女もAltair 及びVega は即ち鷲であり、胡人は流星の光芒を鷲の眼光に見立てたのでありますが、アナトリア即ちアッシリア民族の故郷では高山の頂に棲む鷲の群れが飛び交うときは、必ずノアの洪水の如き風雨が来ると信じてきました。
ギリシャ民族はこの流星雨の現れる星座を水甕 Aquarius と命名しました。
そして東洋では鵲(かささぎ)の姿を置き換えたのであります。
ここに”かささぎ”とは”かちからす” 即ち黒い羽根に白い斑のある羽の模様を夜空に輝く星の姿に見立てたのでありました。
荊楚の地では長江の水が溢れると鵲も動き人間は船を仕立ててその飛び去る方向に雲夢の沢を漕いだと語られております。
七夕の美しい飾りつけは
夏の日照りをやわらげる雨の到来を祈った祖先が五色の機織の帛(きぬして)を天の神に奉げて祈った行事であります。
「儺の國の星」 pp.29-30
昔は七夕の宵に牽牛と織女を二つ一緒に盥(たらい)の水面に映して、
暴水の事無きを祈る行事が必ず行はれておりました。
今は京都冷泉家だけにその伝統が維持されております。
「儺の國の星」 p.105
これによると 七夕は、
旱(ひでり)防止+防水(台風とか)といった
夏の時期的な、おもに稲のための
水関係の祈りを星に捧げる行事だったといえそうです。
天の大いなる水である、天の川
そのほとりに佇む牽牛織女の二星
川を渡すかささぎ(白鳥座)
いずれも古は水を想起させるものでした。
しかしいつのまにか、これらを組み合わせ
一年に一回の逢瀬の物語になったということでしょうか
白鳥(かささぎ)は、十文字の形象で
上下にのびる帯=天の川のなかで羽を広げています
鳥の尾(デネブ)と
牽牛(アルタイル)、織女(ベガ)で
夏の大三角形です
牽牛織女を盥の水に映すのは
星に宿る水を制御する力を地上にもたらす
一種の呪術と思います
正直、水に星を映せるのか疑問だけど。
乞巧奠(きっこうてん)
古式を伝えるのは冷泉家のみ、と・・・
そういえば、梶の葉の神紋に事寄せて、数年前から諏訪の八剱神社さんが再興しておられます
(いまは短冊ですが、むかしは梶の葉に願い事を書いたというので)