そこに信念があるかぎり…アニメシリーズ『チ。-地球の運動について-』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2024年~2025年)
シーズン1:2024年~2025年に各サービスで放送・配信
監督:清水健一
自死・自傷描写
ち ちきゅうのうんどうについて
『チ。地球の運動について』物語 簡単紹介
『チ。地球の運動について』感想(ネタバレなし)
科学者は今も昔も闘っている
2025年3月、「Stand Up for Science」という抗議運動が研究者や科学を支持する者たちがアメリカとヨーロッパの各地の都市で大勢集まって行われました(Nature)。
その背景にあるのは、この年からアメリカの政治のトップに返り咲き、科学に介入しだした“ドナルド・トランプ”政権です。宗教右派から絶大な支持を集めているトランプ勢力は、都合の悪いとみなした科学を封じようと、政権開始時から実力行使にでました。
科学予算の削減、人材のリストラ、さらには特定の用語を検閲する試みも…(LGBTQ Nation)。
抗議参加者には若い世代も目立ちます。せっかく研究者になろうと志したのに、その機会がこの重要な時期に奪われるのはキャリアにとって致命的です。報復を恐れて匿名で声をあげる人もいます。
トランプ政権に目の敵にされている米国国際開発庁(USAID)に勤めていた公衆衛生研究者の“アトゥル・ガワンデ”氏は、この抗議の中で、科学者が標的にされているのは「科学は必ずしも権力が求める答えを与えない」からだと語っていました。
科学が時の権力に攻撃されるのはこれが初めてではありません。ワクチンなどの公衆衛生、トランスジェンダー医療ケア、気候変動、進化論…時代を遡ればそのときそのときでさまざまな科学が敵視されてきました。
「地動説」もそのひとつです。「宇宙の中心は太陽であり、地球は他の惑星とともに太陽の周りを自転しながら公転している」という学説で、地球こそ中心であるという「天動説」と大きく張り合うものでした。
地動説は紀元前3世紀には“アリスタルコス”によって提唱されていたのですが、脚光を浴びだしたのが1500年代にポーランド王国に存在した“ニコラウス・コペルニクス”という博学者です。俗にいう「コペルニクスの地動説」です。
しかし、当時の権力者であったカトリック教会はこの地動説を快く思わず、弾圧に手を染め始め、1633年に異端審問所によって天文学者の“ガリレオ・ガリレイ”が裁判にかけられて有罪判決を受けた事件は非常に象徴的なものとして語り継がれています。
今回紹介するアニメはそんな中世末期の地動説をめぐる科学と宗教の対峙をフィクションを織り交ぜてドラマチックに映し出した作品です。
それが本作『チ。地球の運動について』。
本作は2020年から2022年まで『ビッグコミックスピリッツ』で連載されていた“魚豊”の漫画を原作としています。もう完結しており、アニメ化でも終わりまで描き切っています。
物語は先ほども書いたように、15世紀の地動説をめぐる科学と宗教の対峙を主題にしているのですが、歴史ifのジャンルで、史実どおりには描かれていません。というよりは科学史に残る出来事の前に歴史に残らないこんな人間模様があったかもしれない…と想像させるような刺激を与えるフィクションになっています。
地動説に魅せられた科学者を始めとするいろいろな人たちと、その地動説を異端として排除しようとする教会組織との対立を強調したサスペンス・スリラーにもなっているわけですが、こんな極端な対決は実際の史実で中心にはありません。
しかし、エンタメに特化しすぎることもなく、自然哲学の語りが静かにぶつかりあう姿も捉え、近年の日本のアニメ作品群の中でも稀有なほど硬派なトーンにもなっています。アニメ向きと言えるような原作ではないと思いますが、よくアニメ化しましたね。
この作品の影響で科学史に興味を持つ人が増えて、科学史研究を志す人が増えるといいな…(科学史の研究者、日本では少ないですから)。
アニメ『チ。地球の運動について』は全25話です。
『チ。地球の運動について』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 拷問の描写が一部にあります。また、子どもが傷つく描写があります。 |
キッズ | 残酷な暴力や殺人の描写があるので低年齢の子どもの鑑賞には保護者の判断が必要な場合があります。 セクシュアライゼーション:なし |
『チ。地球の運動について』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
15世紀前期のP王国。異端審問官のノヴァクはひとめのつかない暗い場所でひとりの学者を拷問しながら尋問していました。爪を剥ぐのがいつものやりかたです。教会の教えに背く研究資料をどこに隠したのかを淡々と問い詰めます。学者は口を割らず、1枚の爪を剥ぎます。10本の指の爪を全て剥がしてもまた生えてきたものを剥ぐ。これまでの成果の大量の爪をみせ、脅しを加えます。
ところかわってとある学校の教室。「宇宙の中心には何があるでしょう」と先生が質問し、ラファウは手を上げ、堂々と「宇宙の中心はもちろん地球です」と答えます。義父である教師ポトツキも満足そうに褒めます。ラファウは優秀で、このたび12歳で大学に行くことになっていました。大学では神学を学びたいとにこやかに語ります。
しかし、心の内では違うことを考えていました。孤児として生まれ、合理的に生きることを第一とするラファウはこの世界を扱いやすいと舐めていました。今も世間に好ましいと思われる信仰深い神童を完璧に演じ切っています。
授業終わり、義父ポトツキは天文を止めるように命令。さらに明日にフベルトという異端者として捕まっていた学者を迎えに行くように頼まれます。
次の日、街中では異端者が磔のまま炎で焼かれて処刑されていました。そして例のフベルトを引き取りに行きます。現れたのは背の高い黒いフードで杖をついた人物でした。愛想よく挨拶しますが、無視されます。「作り笑いなんてしなくていいぞ」とだけ言われました。
道すがらフベルトは「大学に行くのか? 天文を学ぶのか?」とラファウの腰につけていたアストロラーベを指して指摘されます。さらにラファウの天文の記録を称賛。ポトツキの家にはなぜか天文学関連の資料が多く、ラファウは天文に興味を持っていました。
フベルトは改心したかのように嘘をついて出所したと言い放ち、突然、ラファウを脅迫します。
「自分の目に代わって観測に協力しろ。天文をやれ。拒否すれば殺す」
この場では従うほかありません。
無視するつもりでいましたが、もっと良い観測地があると言われ、心が動いてしまいます。「禁じられた研究って一体何ですか?」
フベルトはラファウに現在知られている地球を中心とした天文図を書かせます。そして唐突に「この真理は美しいか? この宇宙は美しいか?」と問いをぶつけてきます。
戸惑うラファウは逡巡しながらも「合理的にはみえない。あまり…美しくない」と感想を口にします。
それを聞いたフベルトは「地球のほうが動いている」という耳を疑うような自分の説を語ってきます。自転と公転。太陽は動かない。それをフベルトはこう表現します。
「地動説」と…。
科学にも宗教にも信念がある

ここから『チ。地球の運動について』のネタバレありの感想本文です。
宗教を危険で野蛮なものとしてどこか冷笑的に見下す目線を持った作品というのは日本でも少なくないですけど、『チ。地球の運動について』はそんな安直に宗教を扱っていないのが何よりも良かったです。
本作は表面上は「科学vs宗教」という二項対立にみえますが、実際はそう単純ではなく、科学にも宗教にも通じる「信念」というものを浮かび上がらせます。
同時に「信念を貫くことも大切だけど、信念をときには曲げることも重要だ」という柔軟性の価値も強く訴えるメッセージが各パートの各キャラクターに用意されてもいました。
孤児だったラファウは、「合理性を重視する」と自称する人間ですが、要は世間体を気にして日和見主義に振る舞っているだけでわりとその生き方は平凡です(自分は賢いと自惚れていますが)。そのラファウは地動説に魅せられ、取り繕うその場しのぎの嘘さえ口にしなくなり、独房にて毒で自死するあまりに非合理的な行動にでます。
個人主義の修道士であるバデーニは、知識の共有に否定的で独りよがりというか、ほぼ優生思想に近い価値観で佇む人間でした。しかし、間違いを永遠の正解だと信じ込むことの愚かさを身分の低いオクジーに諭され、最期は貧民に教育を願い、誰かもわからない他者に知識を託します。
異端解放戦線隊長のシュミットは、人間の作った聖書ではなく神の創った自然を崇拝する主義であり、情は不要だと人間的なものをとことん拒絶していました。それでもやはり最期は人間を信じるようになります。
移動民族のドゥラカは、神自体を信じていない無神論者で、まだ実体化していない資本主義に理想を見出して傾倒している気配さえあった若者です。そんな「本で儲けよう」と考えたドゥラカでさえも、利益を度外視し、最期は自然の美しさを見上げて死を迎えます。
そして自分の信念を否定されることの辛さというのは、科学でも宗教でも変わらないという点も描かれていたのも印象的。
プトレマイオスの宇宙論は真理ではないとして宇宙の完成を目指して人生を捧げてきたピャスト伯のエピソードはその代表格ですが、最後の最後で信念を打ち砕かれるのはノヴァクでした。元傭兵ゆえなのか盲目的な服従を一貫させてしまったノヴァクは、その信念の背後にある権力の浅はかさに気づかず、娘ヨレンタを犠牲にしました。
本作のどのキャラクターも信念があって、その信念は笑われません。最終的にその信念が頓挫しようが、軌道修正されようが、信念を持つことはその人のアイデンティティになっています。
より良い科学と宗教を目指して
一方で『チ。地球の運動について』は信念を崇めるわけでもありません。信念があるからといって何でも正当化もできず、その信念はときに暴走します。
ノヴァクもそうですが、ラストのパートでは(別の世界の?)ラファウさえも、信念ゆえに他者を殺める非人道的な行為にでます。意図的にノヴァクとラファウを反転させる見せ方です。
思えば、序盤の子どものラファウに地動説を吹き込んだフベルトも、実際のところは子どものラファウを殺すと脅して従わせていたわけで(しかも本当に死ぬので)、相当に酷い人間です。いくら真理のためであろうとやってはいけない行為です。
そんな中、本作は「より良い科学、より良い宗教」というものを追い求める道も提示していました。
例えば、オクジーのような階級の低い身分の者でも、ヨレンタのような女性の者でも、ドゥラカのような異民族のような者でも、科学に自由に参加させるべきではないか、と。当時の史実でも科学コミュニティは極めて閉鎖的で、一部の特権のある男性しか所属できない世界でした。ヨレンタは自分の名前で論文を発表したいと平等な知的空間を求めていましたが、現代科学で女性が対等に科学に参入できるようになったのは本当に第1波フェミニズム以降の1900年代になってからであり、今も道半ばです(日本はまだまだ科学界での女性差別が酷い国として知られています)。
1468年のポーランド王国を舞台とするパートは別世界線のようですが、身分や性別を超えて知を分かち合うコミュニティが裏で築かれており、史実とはまた違う世界にも思えます。「こうだったらいいな」という理想がそこにありました。
そこでアルベルト・ブルゼフスキ(こちらは作中で紹介されるように実在の人物で、後の天文学者であり、ニコラウス・コペルニクスを指導する)が、社会的な動物としての人間性を信じて、科学に歩みを進めるエンディング。
ポトツキからの信念が受け継がれていることを示唆し、フィクションとリアリティが上手い具合にささやかに共鳴し合うラストの余韻でした。
ここに私たちの知っている今の知見が加わることで皮肉なオチにもなっているのがいいですね。
なぜなら地動説も結局は厳密には正解ではなかったからです。確かに地球は中心ではないですが、太陽も宇宙の中心ではないし、太陽系の中心からもずれることが現在の科学では判明しています。なおも宇宙の謎は無限大に多く、未知なことでいっぱいです。今日も科学者は観測に明け暮れています。現代人は下に顔を向けてスマホの画面を見てばかりですが、空を見上げて畏怖や崇拝を感じたり、好奇心を抱いたりしているでしょうか。
『チ。地球の運動について』を観てその科学史の人間模様に夢中になったのならば、ぜひドラマ『フォー・オール・マンカインド』とかもオススメですよ。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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・『ぷにるはかわいいスライム』
作品ポスター・画像 (C)魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会 チ地球の運動について
以上、『チ。地球の運動について』の感想でした。
Orb: On the Movements of the Earth (2024) [Japanese Review] 『チ。地球の運動について』考察・評価レビュー
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