★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ルドルフ・ゼルキンのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番

2024-04-22 09:51:09 | 協奏曲(ピアノ)

 

 

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

録音:1965年1月14日

LP:CBS/SONY 18AC 747

 ベートーヴェンは、全部で5曲のピアノ協奏曲を遺しているが、この中で第3番、第4番、第5番が有名であり、演奏会でもしばしば取り上げられている。それらに対し、このLPレコードに収録されている第1番と第2番は、人気の点でもイマイチであり、演奏会でもそう取り上げられることも無い。どちらかというと日陰の存在の曲とでも言ったらいいのであろうか。ところが、改めてこの2曲をじっくりと聴いてみると、何故人気が無いのかわからいほど、内容が充実しており、何よりも若き日のベートーヴェンの心意気がストレートにリスナーに伝わってきて、聴いていてその良さがじわじわと感じられるのが何よりもいい。このことは、宇野功芳氏も「新版 クラシックCDの名盤」(文春新書)の中で、「たしかにベートーヴェンの個性は第3番で花開いているが、魅力の点では第1番、第2番の方が上だと思う」と書いていることでも分ろう。作曲されたのは第2番が最初で、その後に第1番がつくられたと言われているが、曲の雰囲気は2曲とも似ており、いずれもモーツァルトのピアノ協奏曲を彷彿とさせるようなところがベースとなり、その中に後年のベートーヴェンを思わせるような、強固な意志の強さが各所で顔を覗かせる。つまり、モーツァルトのピアノ協奏曲が典雅な趣と憂愁の美学に貫かれているのに対し、このベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と第2番は、その上にさらに男性的な強固な意思の力強さが全体を覆う。このLPレコードで演奏しているルドルフ・ゼルキン(1903年―1991年)は、そんな2曲のピアノ協奏曲を演奏するのに、これ以上のピアニストはあり得ないとでも言ってもいいような充実した演奏を披露している。あくまで背筋をぴんと伸ばしたような演奏であり、新即物的表現に徹し、決して情緒に溺れずに、ベートーヴェンの持つ力強さを余すところ無く表現し切っている。ユージン・オーマンディ(1899年―1985年)指揮フィラデルフィア管弦楽団も、メリハリの利いた伴奏でこれに応える。この2曲を聴き終えて、久しぶりに若き日のベートーヴェンの世界を、思う存分満喫することができた。ルドルフ・ゼルキンは、ボヘミアのエーゲル(ヘプ)出身。1915年、12歳でウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を共演してデビュー。1939年、アメリカに移住、カーティス音楽院で教鞭をとる。1951年、マールボロ音楽学校と同音楽祭を創設した。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇夭折した名テノール:ヴンダーリッヒのシューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」

2024-04-18 09:38:08 | 歌曲(男声)

シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」

テノール:フリッツ・ヴンダーリッヒ

ピアノ:フーベルト・ギーゼン

録音:1966年7月2日―5日、科学アカデミー

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) 2544 093

 このLPレコードで歌う、当時、一世を風靡した名リリック・テノールのフリッツ・ヴンダーリッヒ(1930年―1966年)は、36歳という若さでこの世を去った。この死は病死ではなく、1966年9月17日に階段から転落した際に、頭部を打ったことが原因で急死した事故によるものものだったのだ。当時ヴンダーリッヒが所属していたミュンヘンのバイエルン国立歌劇場総監督のハルトマンは、「オペラ芸術にとって最大の損失」と語り、また、名バリトンのフィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)も、ヴンダーリッヒの卓越した才能を称え、「限りない衝撃であり悲しみである」と、その突然の死に対して、最大限の弔辞を捧げている。ヴンダーリッヒは、それほど多くに人達から将来を嘱望されていた歌手であったのだ。このLPレコードの記録によると、「録音は、1966年7月2日~5日、科学アカデミーにおいて行われた」と記されているので、ヴンダーリッヒの死の2カ月ほど前ということになる。その意味ではヴンダーリッヒの最後の歌声を後世に残すことになる大変貴重な録音なのだ。ヴンダーリッヒが世界的に注目されたのは、1950年代の後半からで、それ以後ミュンヘンを中心に世界的な活躍を展開するが、それも僅か10年足らずで途絶えてしまうことになる。リリック・テノールという言葉通り、ヴンダーリッヒは、限りなく美しい声の持ち主であり、現在、果たして同じような声の持ち主が居るかと問われると、返答に窮するほどである。そんな不世出の美声の持ち主であるヴンダーリッヒの歌った、このシューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、絶品というほかない仕上がりとなっている。限りなく伸びやかなテノールの独特の輝きに満ちた歌声が、リスナーを夢心地に誘う。歌劇が得意らしかったことは、その語り掛けるような歌唱法からも読み取れる。シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、正にヴンダーリッヒのために作曲されたのではないか、という思いにさせられるほどの名録音なのだ。フリッツ・ヴンダーリッヒは、ドイツ出身。1950年から55年にかけて、フライブルク音楽大学において、初めにホルンを、後に声楽を学んだ。シュトゥットガルト州立歌劇場、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で活躍。1959年以降はザルツブルク音楽祭に定期的に出演。1966年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューを数日後に控え、死去。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇アイザック・スターンのシベリウス:ヴァイオリン協奏曲/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2024-04-15 09:50:23 | 協奏曲(ヴァイオリン)

 

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

ヴァイオリン:アイザック・スターン

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィアデルフィア管弦楽団

LP:CBS・ソニーレコード SOCL 48

 シベリウスのヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47は、1903年に作曲されたが、1905年に改訂され、これが現行版となっている。この曲は、難技巧を随所に取り入れており、演奏は容易ではない。一方、ブルッフのヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26は、ブルッフの代表作。この2曲のヴァイオリン協奏曲を弾いているのが名ヴァイオリニストのアイザック・スターン(1920年―2001年)。アイザック・スターンの名を見つけると、私は必ず映画「ミュージック・オブ・ハート」を思い出す。メリル・ストリープ演じる女性の音楽教師が、スラム街の学校に通う子供達に悪戦苦闘しながらヴァイオリンを教え込み、最後には地域の支持を獲得することに成功、お別れの発表会をカーネギー・ホールで行うという実話に基づいたストーリーである。このカーネギー・ホールのシーンでアイザック・スターン自身が登場し、子供達と一緒に演奏をするのである。暖かい人柄が滲み出て、何回見ても飽きない。そのアイザック・スターンがシベリウスとブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いたのがこのLPレコードである。両曲の演奏とも、ヴァイオリンの音色が限りなく豊かなことに驚かされる。決して気負うことなく、大きな広がりの中でヴァイオリンが伸び伸びと動き回り、訴えるように演奏する。演奏内容自体に深みがあり、リスナーはその中に身も心も吸い込まれそうに感じる。包容力のある演奏とでも言ったらよいのであろうか。現在、アイザック・スターンのようにスケールの大きく、同時にロマンの心を持ったヴァイオリニストはいるだろうか。いや、いまい。これはアイザック・スターンだけが成し得た至芸といっても過言でなかろう。ユージン・オーマンディ指揮フィアデルフィア管弦楽団の伴奏もスケールが大きく申し分ない。ヴァイオリンのアイザック・スターンは、ウクライナ出身。その後米国へ移住。1936年モントゥー指揮のサンフランシスコ交響楽団と共演して、デビュー。第二次大戦後、度々日本を訪れ、小澤征爾など日本の演奏家とも親交を持つ。新進演奏家の擁護者としても知られ、イツァーク・パールマン、ピンカス・ズーカーマン、シュロモ・ミンツなどと共演を重ねた。1960年には、カーネギー・ホールが解体の危機に見舞われた際、救済活動に立ち上がった。1996年第1回「宮崎国際音楽祭」では、初代音楽監督に就任。これらの貢献により日本国政府より勲三等旭日中綬章が授与された。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ケンプのブラームス:ピアノ小品集

2024-04-11 09:36:01 | 器楽曲(ピアノ)


ブラームス:2つのラプソディー第1番/第2番op.79        
      カプリチオop.76の1~2
      インテルメツォop.76の4
      幻想曲第1曲~第7曲op.116

ピアノ:ウィルヘルム・ケンプ

LP:日本グラモフォン SMG‐1256

 ブラームスのピアノ曲というと、3つのピアノソナタ、2つのピアノ協奏曲、さらのパガニーニ変奏曲のような力の入った初期から中期にかけての大曲を思い浮かべる。これらはいずれも重厚でロマン性に富んだ雄大な曲想が特徴で、作曲家としての若き日のブラームスの意欲が、巨大なエネルギーを伴って溢れ返るようでもある。そんな力強いピアノ作品の作風は、中期後半から晩年に掛けて、がらりと一変する。何か枯淡の境地に至って、遥か昔を偲ぶかのような雰囲気を漂わす一連の小品のピアノ独奏曲を書き始める。そんなブラームス中期後半から後期に掛けてのピアノ独奏曲を集めたのがこのLPレコードなのである。つまり、これらの曲に、明るく軽快なロマンの香りを求めようとしても、それは無いものねだりというものだ。もうそこにいるのは、かつてのエネルギーの丈を思いっきり鍵盤に爆発させた若々しいブラームスではない。老人が自分の人生を振り返り、遠く彼方を思い浮かべる孤独感と諦観を抱いた晩年のブラームスの姿だ。しかし、そんな作品なんて面白くなさそう、と考えるのは早計なのだ。成る程、間奏曲(このLPレコードには収録されていない)は、瞑想的で沈潜的な曲が多いかもしれないが、このLPレコードに収録されているラプソディー、カプリチオ、インテルメツォ、幻想曲は、いずれも間奏曲ほど内向的でなく、スケルツォ的で活発な曲が多く、聴きやすい。2つのラプソディー第1番/第2番op.79は、1879年の夏に避暑地のペルチャッハで書かれた。ラプソディー(狂詩曲)というよりバラードに近い曲想を持つ。作品76は、4曲ずつのカプリチオとインテルメツォとからなる。第1曲は、1871年に書かれ、残りの曲は1878年夏にペルチャッハで書かれた。幻想曲第1曲~第7曲op.116は、3曲のカプリチオと4曲のインテルメツォからなるが、何故、幻想曲という名がつかられたは分からない。このLPレコードで演奏しているのはドイツの名ピアニストのウィルヘルム・ケンプ(1895年―1991年)。ケンプの演奏は、あくまでも音楽に真正面から向き合い、誠実に演奏を行う。心の奥底からの共感を基に演奏する。当時、ケンプを日本のリスナーは敬愛し、またケンプも日本に好意を持ち、しばしば来日していた。そんなケンプが心の奥底からブラームスの世界に浸り、名演を聴かせてくれるのがこのLPレコードなのだ。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇トスカニーニ指揮NBC交響楽団のメンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」/ 交響曲第5番「宗教改革」           

2024-04-08 09:44:38 | 交響曲


メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」            
         交響曲第5番「宗教改革」

指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ

管弦楽:NBC交響楽団

録音:1954年2月28日(第4番)、1953年12月13日(第5番)、米国、カーネギーホール

発売:1978年

LP:RVC(RCA) RVC-1539

 アルトゥーロ・トスカニーニ(1867年―1957年)は、当時一世を風靡したイタリア出身の大指揮者。パルマ王立音楽学校をチェロと作曲で首席で卒業し、最初はオーケストラのチェロ奏者として活躍する。以後、指揮者としてイタリア各地で活動を開始。ミラノ・スカラ座音楽監督(1921年―1929年)を経て、メトロポリタン歌劇場の首席指揮者(1908年―1915年)を務めた。1927年にはニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任。さらに1937年にはNBC交響楽団の首席指揮者に就任する。このNBC交響楽団は、トスカニーニの演奏をラジオ放送するために特別に編成されたオーケストラで、生みの親はRCAのサーノフ会長であった。同楽団は、1954年まで活動したが、その後は「シンフォニー・オブ・ジ・エアー」と名称を変え、自主運営により1936年まで演奏活動を続けた。このLPレコードは、トスカニーニの最晩年に録音されたものである。メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」は、メンデルスゾーンがイタリア旅行中に書き始めた曲で、1831年から1833年にかけて作曲された。イタリアの明るく美しい風景を連想させるような軽快なリズム感と情熱的なメロディーと叙情的なメロディーとが巧みに交差しており、メンデルスゾーンの交響曲の中でも最も人気が高い曲となっている。ここでのトスカニーニは、誠に歯切れが良く、一部の隙もない、力強い指揮ぶりを存分に聴かせる。まるでリスナー自身が、聴きながらイタリア旅行を楽しんでいるかのような感覚に陥るほどの名演だ。数ある「イタリア交響曲」の録音の中でも、現在においても、その存在意義は少しも色失せていない。一方、メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」は、1830年に作曲された曲で、実際には交響曲第1番の次に作曲されたメンデルスゾーン21歳の時の初期の作品。自らも熱心なルター派の信者だったメンデルスゾーンが、マルティン・ルターの宗教改革300年祭のために書いた曲(宗教改革300年祭は実際には開催されなかったという)。第1楽章に、ドイツの賛美歌「ドレスデン・アーメン」、終楽章には、ルターのコラール「神はわがやぐら」が用いられていることで知られる。ここでのトスカニーニは、「イタリア交響曲」で見せたメリハリある指揮ぶりに加え、さらに遠近感を付けたようなスケールの大きい指揮で、聴くものを圧倒する。今でもこの交響曲のベスト録音と言ってもいいほどの力演となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バルトーク弦楽四重奏団のバルトーク:弦楽四重奏曲第5番/第6番

2024-04-04 10:30:54 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)


バルトーク:弦楽四重奏曲第5番/第6番

弦楽四重奏:バルトーク弦楽四重奏団

LP:ビクター音楽産業(ΣRATO) ERA‐2056(STU‐70398)

 バルトーク(1881年―1945年)は、全部で6曲の弦楽四重奏曲を作曲している。最初の第1番が1909年の作で27歳の時、そして最後の第6番が1939年の作で58歳の時と、生涯を通して作曲されたことが分る。そして、その内容は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に匹敵する高みに達した曲として、現在高く評価されている。これは、思索的な深さ、発想の独自性、技術的な完成度の高さのどれをとっても、近代の弦楽四重奏曲の白眉であることを指しているわけである。第1番は、ドイツ・ロマン派的な傾向と民俗音楽が融合しており、美しい旋律に満ちているが、ある意味では、ドイツ・ロマン派の影響からまだ抜け出していない作品と言える。第2番は、シェーンベルクの無調音楽の影響も見ることができ、バルトークの作風の転換を示す過渡的な作品。第3番は、単一楽章からなり、対位法による打楽器的な演奏が要求され、感情を作品中に反映させる表現主義に基づいた作品。第4番は、その構成の緻密さ、有機的な統一性においてベートーヴェンの弦楽四重奏曲にもなぞらえる作品で、荒々しいリズムと不協和な和声とを、より先鋭化する特殊奏法が駆使され、演奏技巧上、弦楽四重奏曲中屈指の難曲とされている。そして今回のLPレコードに収納された晩年の第5番、第6番へと続く。第5番は、全部で5つの楽章からなり、それまでの難解な表現主義的な傾向を捨て去り、再びロマン派的な作風への回帰が見られる作品。簡潔な分かりやすさ、調性感の明確さが際立つ。第6番は、母の死により、全体がメスト(悲しげに)と指定された曲で、悲しげな感情を通し、バルトークの人間性が結実した精神性に富んだ曲。知的なものと情緒的なものが新しい平衡感覚をつくり上げている。このLPレコードでのバルトーク弦楽四重奏団による第5番/第6番の演奏は、緻密であると同時に、精神的に深く掘り下げられた内容を持ち、さらに躍動感溢れた内容となっており、ともすれば難解なバルトークの弦楽四重奏曲の世界を、リスナーに分りやすく演奏しており、非常に好感が持てる。バルトーク弦楽四重奏団は、ハンガリーの首都ブタペストのリスト・フェレンツ音楽院の卒業生をメンバーにより、1957年結成された。「バルトーク」という名称が付けられたのは、バルトーク:弦楽四重奏曲の演奏における素晴らしい功績が認められ、バルトーク未亡人およびハンガリー政府から贈られたもの。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン:序曲選集

2024-04-01 09:37:18 | 管弦楽曲


ベートーヴェン:序曲選集            

             「コリオラン」            
             「フィデリオ」            
             「レオノーレ」第1番/第2番/第3番

指揮:フランツ・コンヴィチュニー

管弦楽団:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

発売:1974年

LP:日本フォノグラム(フォンタナ・レコード)

 「コリオラン」序曲は、当時ウィーンの詩人で法律家でもあったハインリヒ・コリンが、1902年11月に上演した5幕からなる戯曲「悲劇コリオラン」を基にベートーヴェンが作曲した作品。「フィデリオ」序曲は、ベートーヴェンが遺した唯一のオペラの序曲。1805年11月20日に「レオノーレ」という題名でこのオペラは初演された。しかし、この1週間前にフランス軍がウィーンを占領したため、3日間の上演で中止されてしまった。翌1806年に改作され、3月と4月に上演されたが、今度は報奨金の件でベートーヴェンは劇場側と喧嘩をしてしまい、怒ったベートーヴェンは、続演を断ってしまった。それから8年が経った1814年5月に、このオペラは徹底的に改訂され、題名も「フィデリオ」に改められて、上演され、ようやく大好評得たという。「レオノーレ」序曲第1番は、1807年のプラハにおける上演のために書かれ、そのまま破棄されたという説があり、実際のオペラの上演には使われてはいない。「レオノーレ」序曲第2番は、オペラ「レオノーレ」が1805年に初演された時に書かれたもの。「レオノーレ」序曲第3番は、1806年の改作の上演の時に作曲されたもので、序曲の名作として今日でもしばしば演奏される。フランツ・コンヴィチュニー(1901年―1962年)は、オーストリア出身で、旧東ドイツで活躍した名指揮者。ライプツィヒ音楽院で学ぶ。フルトヴェングラー時代のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でヴィオラ奏者として活動した。その後、指揮者に転向。1927年にシュトゥットガルト歌劇場の練習指揮者として指揮者活動をスタートさせ、3年後に首席指揮者に就任。1953年から1955年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務め、1955年以降はベルリン国立歌劇場の首席指揮者も務めた。1952年、東ドイツ国家賞を受賞。1949年から亡くなる1962年まで、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽長)を務めた。このLPレコードでのコンヴィチュニーは、いつになく現代的な感覚をもって指揮をしており、今聴いても古めかしさはあまり感じない。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の重厚で燻し銀のような音色を巧みにリードして、ベートーヴェンの序曲の真髄を余すところなく聴かせてくれる。特に、レオノーレ第3番の演奏は完成度が高く、今でもこの曲の録音の最高の一つに挙げられよう。(LPC)         

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◇クラシック音楽LP◇ノルウェー出身のソプラノ:カリー・レファースがノルウェー語で歌うグリーグ:歌曲集

2024-03-28 09:40:39 | 歌曲(女声)


グリーグ:きみを愛す      
     おはよう!      
     王女さま      
     ソルヴェイグの子守歌      
     待ちのぞみつつ      
     はじめての出逢い      
     わたしは春に詩を与える      
     ご忠告ありがとう      
     ソルヴェイグの歌      
     ばらの季節に      
     黙っている夜鶯      
     わが思い、いつの日か      
     マルグレーテの子守歌      
     さくら草を手に      
     春の雨      
     春

ソプラノ:カリー・レファース

ピアノ:ユストゥス・フランツ

録音:1978年5月、ミュンヘン

LP:日本コロムビア OX‐1142‐K

 ノルウェーの大作曲家のグリーグの名を聞くと、3曲のヴァイオリンソナタ、ピアノ協奏曲、劇音楽「ペール・ギュント」、4つのノルウェー舞曲、それに管弦楽曲「ホルベアの時代から」などの作品を、まず思い出す。これらに加え、忘れられない曲として、ピアノ独奏曲「抒情小曲集」そして、珠玉のような幾つかの「歌曲」を挙げることができよう。ピアノ独奏曲「抒情小曲集」は、何かピアノによる詩集のようでもあり、情感の篭った独特の味わいが、一度聴いたら忘れられない印象を残す。これと同じく、「歌曲」も、「抒情小曲集」と同様に、グリーグならではの素朴な抒情味に富んだ作品が多く残されており、今でも多くのリスナーから愛好されている。このLPレコードは、ノルウェー出身のソプラノであるカリー・レファースが、グリーグのお馴染みの歌曲「きみを愛す」「ソルヴェイグの歌」「ソルヴェイグの子守歌」「春」などを歌ったもの。カリー・レファースの歌声は、可憐でチャーミングな声質が特徴であり、これが素朴な味わいのグリーグの歌曲にぴたりと合っている。これまで数多く録音されてきたグリーグの歌曲の中でも、このLPレコードは、未だに生命力を持ち続ける名録音(1978年の録音)として挙げることができる。このLPレコードに収められた歌曲のうち、「ばらの季節に」「黙っている夜鶯」「わが思い、いつの日か」だけがドイツ語で歌われ、それ以外は全てノルウェー語で歌われている。ノルウェー語に基づいた詩に、ノルウェー人であるグリーグが作曲した歌曲を、ノルウェー人のソプラノのカリー・レファースが歌っているわけで、これにより、詩が本来持っている生命力を十分に発揮させることを可能としている。このことは、日本の歌曲を考え合わせてみれば、容易に類推できよう。ちなみに、最初に収められている歌曲「きみを愛す」の詩の内容は、「君を愛す。この世の何にもまして君を愛す。今も、そして永遠に!」と、ただそれだけの短い詞にグリーグが作曲した作品であり、グリーグが歌手であった妻に、婚約のときに贈った歌とされている。ピアノのユストゥス・フランツ(1944年生れ)は、ドイツ、ホーエンザルツァ(現ポーランド領)出身。出来る限り幅広い聴衆にクラシック音楽を広めるため、1986年に「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭」を創設し、1994年まで音楽祭の監督を務めた。その後、同音楽祭は世界的水準の音楽祭に成長を遂げている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ハイキン指揮モスクワ放送交響楽団のグラズーノフ:バレエ音楽「四季」

2024-03-25 09:39:04 | 管弦楽曲

 

グラズーノフ:バレエ音楽「四季」

指揮:ボリス・ハイキン

管弦楽:モスクワ放送交響楽団

LP:ビクター音楽産業 VIC‐5057

 私は、このLPレコードに収録されているグラズーノフ:バレエ音楽「四季」が昔から好きであった。今聴いてもやはりいい。どういいのかと言われても、ちょっと返答に窮するが、曲全体が何となくほのぼのとしており、同時にバレエ音楽特有の華やかさが随所に散りばめられているところが魅力であり、そして気楽に聴けるところがいい。このことは、グラズーノフという作曲家の持つ特質と切り離しては語れまい。グラズーノフ(1865年―1936年)は、ロシア帝国末期および旧ソビエト連邦建国期の作曲家。グラズーノフの作曲家としての特徴は、民族主義と国際主義を巧みに融和させた点にある。このため一方では折衷主義という批判もあったが、誰もがその存在感を認めていたのである。グラズーノフは、帝政時代のマリンスキー劇場の華やかなバレエを見て育ったこともあり、生涯に幾つかのバレエ音楽を残している。作曲順に挙げるとそれらは、「ショピニアーナ」「バレエの情景」「ライモンダ」「恋の術策」そして「四季」である。「四季」は、一種の抽象バレエであり、いろいろな季節の風物が擬人的に扱われ、童話風の楽しさを表しているが、特に、深い情緒と暗示性を含んでいるところが魅力となっている。そして、何より円熟した管弦楽の扱いが大きな魅力となっている。このLPレコードで指揮しているボリス・ハイキン(1904年―1978年)は、旧ソ連の指揮者。帝政時代のマリンスキー劇場は、旧ソ連時代では国立キーロフ歌劇場と名称を変えたが、バレエの殿堂としての役割は一貫して持っていた。第二次世界大戦で同劇場は大きな損害を被ったが、それをものの見事に再建し、かつてのロシア音楽とロシアバレエの光栄を取り戻した貢献者の一人がボリス・ハイキンである。モスクワ放送交響楽団は、1930年に旧ソ連の全国ラジオ放送向けのオーケストラとして設立された。旧ソ連崩壊の後の1993年に、チャイコフスキーの音楽演奏について中心的な役割を果たしたとして“チャイコフスキー”の称号が与えられ、「モスクワ放送チャイコフスキー交響楽団」となった。このLPレコードでのボリス・ハイキン指揮モスクワ放送交響楽団の演奏は、いわゆる民俗色を強く押し出したロシア人による演奏という印象は希薄で、実に洒落ていてウイットに富んだ軽快さが耳に残り、バレエ音楽としての的確なリズム感に溢れた、優れた演奏となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ポール・トルトゥリエのフォーレ:チェロソナタ第1番/第2番&エレジー

2024-03-21 10:28:57 | 室内楽曲(チェロ)

 

フォーレ:チェロソナタ第1番/第2番       
     エレジー

チェロ:ポール・トルトゥリエ

ピアノ:ジャン・ユボー

LP:RVC(ΣRATO) ERX‐2021(STU‐70101)

 フォーレがチェロを愛していたことは、このLPレコードを聴けば即座に納得できる。特に、このLPレコードのB面に収められた有名なエレジー(悲歌)を聴けば誰もが納得するに相違ない。これは、チェロという楽器の持つ、物悲しくも、奥行きのある音色を、最大限に発揮させたチェロの小品の古今の名曲である。フォーレは、ピアノ伴奏付き独奏曲を全部で13曲作曲しているが、そのうち8曲がチェロとピアノの曲ということからも、フォーレのチェロ好きが偲ばれよう。チェロとピアノの組み合わせは、実に相性がいい。チェロの内省的な篭った響きに、ピアノの歯切れのよい引き締まった音が絶妙な味わいを醸し出す。フォーレは、1917年にヴァイオリンソナタ第2番を作曲しているが、その後に作曲したのが2曲のチェロソナタである。この2曲とも、とても70歳を超えた作曲家が書いた作品とは思われないような瑞々しさに溢れた最晩年の佳曲である。チェロソナタ第1番の第1楽章アレグロは、力強く、流れるようなドラマティックな展開がリスナーに充実感を与える。第2楽章アンダンテは、フォーレの持ち味を存分に発揮させた叙情的で、内省的なメロディーが印象に残る。もうこれは、チェロとピアノが奏でる詩そのものと言ってもいいほど。一方、チェロソナタ第2番は、何と言っても第2楽章アンダンテの雰囲気が如何にもフォーレらしい内省的な音楽を形作っており、何とも印象的だ。かつて「葬送歌」として作曲したメロディーをテーマに展開される。終楽章は、とてもこの2年後に亡くなった人の作品とは思えないほど、華やいだ雰囲気に満ち溢れ、リスナーはチェロの醍醐味を存分に味わい尽くすことができる。チェロを弾いているのはフランスの名チェリストであったポール・トルトゥリエ(1914年―1990年)である。パリに生まれ、6歳の時からチェロを学び、16歳でパリ音楽院を首席で卒業。その後、カザルスに師事。モンテ・カルロ交響楽団、ボストン交響楽団、パリ音楽院管弦楽団の首席チェロ奏者を務め、独奏者としても人気があった。このLPレコードでの演奏は、完全にフォーレに同化した名人芸を披露している。ジャン・ユボー(1917年―1992年)は、フランスのピアニストで数多くの録音を今に遺している。このLPレコードでは、ポール・トルトゥリエとの息もぴたりと合い、室内楽演奏の醍醐味を存分に味あわせてくれている。(LPC)

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