「その、ちょっと悩んでることがあるのよ」
「悩んでる? めずらしいな。どうしたんだ?」
「あのね、デートに誘われてて、」
「デート?」
「うん、来週なんだけど、どうしようかって思ってるの。その、会社の同僚っていうか、後輩なのよ」
「へえ、どんな人?」
千春は首を引いた。唇を引き締めながら二人を見つめてる。
「そうね。顔もまあまあだし、お金もそこそこ持ってるの。お家は葉山で、お父さんは会社経営ですって。彼もフェラーリに乗ってるわ」
「すごいじゃない。そこそこどころか無茶苦茶お金持ちでしょ。千春ちゃん、それって玉の輿なんじゃない?」
「まあね。でも、やっぱりいろいろ考えちゃうのよ」
「なにを?」
意外な展開に混乱しかかっていたもののカンナは口を動かしつづけた。――さ、どういう反応するの? 腐れ縁の元恋人が玉の輿に乗っちゃうかもしれないのよ。
「だって、私もけっこうな年だし、これからおつきあいするなら結婚も視野に入れなきゃでしょ? でも、そんなとこに私なんかが行ってもいいのかなって」
「なに言ってんのよ。千春ちゃんなら絶対大丈夫だって。もし、その会社経営の父親が難癖つけてくるなら私が話つけてやるわ」
「やだ。そこまでいってる話じゃないのよ。デートに誘われたのどうしようかなって思ってるだけだから」
そこで千春は顔をあげた。彼は首を伸ばしてる。がらりと戸があいたのだ。
「おっ、兄ちゃん、いたな」
ハゲ頭を撫でながら男が入ってきた。手には奇妙なものを持っている。
「どうしました?」
「いや、どうしたって程のことはねえんだけどよ。ほれ、こいつを渡しとこうと思ってな」
「それは、――ああ、祭りで叩いてる」
「そう、うちわ太鼓だ。御会式には欠かせねえもんさ」
「貸して下さるんですか?」
「下さるってな。兄ちゃん、そんなに畏まらなくたっていいんだ。ほら、お前さんとはいろいろあったしよ、柏木さんのことも調べてくれてるようだから買っといたんだ。もらってくれ」
「いいんですか?」
「いいってことよ。気持ちってやつだ。――っと、そのお姉ちゃんにも持ってきたが、もう一個あった方がよかったか? いや、しかし、えらく綺麗じゃねえか。見蕩れちゃうくれえだな。こん人はカミさんかい?」
カンナは頬を膨らませた。なによ、このハゲ、私にはなにも言わなかったくせに。そう思ってるとこう聞こえてきた。
「いや、違いますよ。そんなんじゃないんで。――カンナ、しまっといてくれ。祭りのとき一緒に叩こう」
「あ、はい」
口をすぼめながらカンナは受け取った。目許はゆるんでいく。――さっき、「ご夫婦?」って訊かれたときはなにも言わなかったのに、千春ちゃんのときは「違う」って言った。
「どうした? なんで笑ってる?」
「え? 別になんでもないけど、」
「それにしても、いいときに来て下さりましたね。ひとつ訊きたいことがあったんですよ」
「ん? この前のことでか?」
「そうなんです。しかし、ちょっと外でお話してもいいですか?」
「ああ、かまわねえよ」
二人は出ていった。首を伸ばしたカンナは身を竦めてる。彼の横顔にそれまで見たことのない表情が浮かんでいたのだ。
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