私の女装歴は、けっこう長いです。今でいう室内女装とか首下女装までも含めると、小学校の6年生ごろからだったかなあと記憶しています。はっきりと記憶できているのは中学生のころでした。
母が、この写真のようなピンク色のスリップを持っていて、そのスリップがタンスにたたまれていました。母の目を盗んでは、こんなピンクのスリップを身につけるのです。それが私の「首下女装」の最初の頃だったようです。ピンクのスリップを身につけていたときでした。はじめての精通があったのです。しかし、精通ということを教わったことはなくて、白いどろっとした液体がアソコの先端からでてきたのですが、それがなんだかわからずに、その後しばらくの間、何か悪い病気にかかったのではないのだろうかと悩んでいたことを思い出します。それでも、そのとき、下腹部にある種の快感がおそったような気もしましたが、そのあたりはよく覚えていません。ただ、オ○ニーをすることはありませんでした。
※この写真はずっとあとのもので、ピンクのスリップのイメージとしてアップしています.写真ではしっかりとメイクしているのですが、当時は、顔にメイクはほどこしていません.
高校生のときにはメイクも始めていて、このときに、初めての女装外出を体験しています。そのときのこともちょっとしたエピソードとして、ひとつの記事になるのですが、今回はそれは割愛します。
高校生のときの女装外出を別にすると、本格的に女装を始めたのは、親元を離れて大学にはいってからでした。まだ20歳ごろ。若くてピチピチしていたときでした。勇気を出してニューハーフのお店に行き「私をアルバイトさせてください」と頼み込んだのがこのころでした。たまたま、そのお店の片隅にたたまれていた女子高生の制服を身につけて撮ったのがこの写真です。
グリーンのミニスカートをはいているのは、お店にアルバイトしだしてからまもないころで、まだ洗練されていないでしょ。そのうちに、お店のママさんが「これを着なさい」と与えてくれたのが白いホステスドレスです。
このモノクロの写真も、自分なりに気に入っている1枚です。だいたいこのころに撮った写真です。そして次の写真は、アルバイト先のニューハーフのお店に行くときには、自宅でメイクして行くのですが、そのときに撮った写真です。
ニューハーフのお店には数年間アルバイトしていましたが、とくに留年することもなく大学を卒業します。ニューハーフを本業とすることはしませんでした。お店に勤務していた本業のニューハーフの方は、札幌という地が、その当時はまだまだ地方都市であって、若い子はいなくて、歳をめされた方ばかりだったのです。60歳以上の方もいました。その方の生活をみていると、ちょっと哀れさも感じてしまったのです。しっかりとした年金などもらっていそうもありません。
今は閉店になりましたが、昔、エリザベス会館といって、館内で女装をさせてくれるところがありました。そこで撮った写真です。1980年ごろでしょうか。
卒業して、東京で就職します。普通の仕事です。女装は趣味としてやっていくしかありませんでした。しかしこのころは、まだまだピチピチ感が十分にあって、いろいろな服を着て写真をとることを始めていました。ただ、まだ、デジタルカメラはなくてフィルムカメラでしたから、撮る枚数はかぎられています。限られて撮ったなかから、何枚か紹介します。
バブル景気の頃、女性は、こんな肩幅がある服を颯爽と着ていましたね。
遠景は横浜大桟橋に停泊しているクルーズ船。このときにはまだ飛鳥Ⅱは就航していなかったかと思います。この船はにっぽん丸ではないでしょうか。
この写真は、1990年代の半ば頃。お友達と箱根の方にドライブしたときの写真です。
2000年ごろの写真。男の人に、いろいろなお店にお食事に連れて行ってもらって、ちょっと浮かれていた時期かもしれません。
2000年代半ばごろの写真です。若い頃のピチピチさはなくなりかけているようです。
※これからあとの写真は、これまでにもアップしてきたものになっていきます
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