「女子大生」時代の私のこと | 宮崎留美子のソロ活動

宮崎留美子のソロ活動

最近「ひとりで活動する(ソロ活)」ということがちょっとしたブームになっています。
以前だったら「ぼっち」なんていわれていたのですけれどね。ただ、私はずっと以
前から、ひとりで行うことが好きでした。その私のソロ活を紹介します。参考にして
ください。

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※女子大生(と、自分では設定していた)の時代の私の写真なので、今回はあえてモノクロにして、レトロな雰囲気の写真にしてみました。今回の記事の内容が、私の「女子大生」時代のことですから。



 アップされた私の写真を見られて、こんなメールをいただいたことがありました。

《今でも素敵ですが昔はむちゃくちゃ素敵な子だったのですね! モテモテだったでしょうね!》

 どう答えたらいいのか、ちょっと迷いますが、謙遜しないで本当のことを言っちゃいますね。 「はい、モテました。ものすごくモテていました」・・・こう書いたのは、モテるということの善し悪しをちょっと書いてみたかったからです。
 モテている最盛期?には、スケジュール手帖には、土日はデートの約束がびっちり。そして、ホステスとしてアルバイトしていたお店では、アフター(お店が終わってからの遅い時間)で、お客さんから誘われておつきあいすることもたびたびでした。
 街を歩いていてナンパされるのは日常的なほどでした。札幌は、たとえば新宿みたいほどにはナンパの頻度は高くはないですが、それでも声をかけてくる方は多くいました。
※ちなみに、新宿は、ショッピングなんかでブラブラしていると、2人とか3人とか、声がかかってくるのですから、当時は、大都会では、女の子に声をかけるのは当たり前という風潮があったのでしょうね。

 モテることのメリットはというと。それはたくさんあります。

(1) まず、美味しいものが食べられて食事代が助かること。男の人は気前よくおごってくださいますから

(2) 当時の学生身分では、とうてい行けそうもない高級なお店に連れて行ってもらえること

(3) プレゼントを買ってもらえたり、おねだりできること

(4) ときには、お小遣いがもらえたりすること

(5)  きれいだねなんて、ちやほやされて、いい気分になれること

(6) 私のわがままを聞いてくれること

 たくさんありますよね。ではラッキーたけだったかというと、それがそうとも言えないということがあって、今回はそれを話したかったのです。
※ (1) ~ (6) のことは、女性ジェンダーに依存していること、そのものですよね。当時は、男性・女性のジェンダーはけっこうはっきりと別れていて、しかも、男性がそれなりに女性より年上だったとすると、こういうことってよくあったことでした。女性は男性に保護され金銭的にも依存することが普通でした。といっても、こういうことができる男性は誰でもということはなくて、個人的な女性とのデートでも食事代などが会社の経費で落とせるような方かもしれません。そんな時代が背景にあるような気がします。ときどき、いえいえ、よくといってもいいぐらいに、私におごってくださる男性が、会計のレジのところで領収書をだしてもらうシーンをたびたび見かけました。 (赤字の部分は後日に記す) 
 モテることのデメリットを書きますね。

① だんだんと自分を見失っていくこと

② 自分には魅力があって、男の人が夢中になってくれるのだという思い込みが生まれてくること。舞い上がってしまいます

③ そしてこれが最も大きなことなのですが、学業がおろそかになっていくこと。悪くすると卒業できなくなるリスクをはらんでいること
④ 自分では食べることができそうもないお店で食事できたり、買えそうもない物品を買ってもらえるので、生活が派手になり質素にもどりにくくなること

 たぶんこのようなことでしょうか。決してぜいたくな悩みなんかではないのです。モテてちやほやされて、いろいろと買ってもらえるのは、自分の人生の中ではほんの一瞬なのです。何十年もそういう「いい思い」が継続できるわけではないのです。こんなことに早く気づければ元の生活にもどすことも可能なのですが、気づくのが遅くなると「まともな堅実な生活」から脱落することになってしまいます。そうなれば、一瞬のぜいたくな快感をともなう生活のあとは、長期にわたる悲惨ともいえる人生が口を開けて待ち構えています。

 私にとって幸いだったのは、私が本当の女の子ではなく、女装子(ニューハーフ)だったことでした。アルバイトしていたニューハーフのお店がひけてからのアフターでご一緒する方は、当然にも私のことを男だと思っているわけですし、もともとは、お客とホステスとの関係であるわけですから、それほど深入りすることはありません。アフター後の遅い時間帯に開いているお店に連れて行ってくれるぐらいがほとんどでした。それでも、「回らない」お寿司屋さんにご一緒させていただくなどは、トロ、ウニ・・・などなど、学生身分では口にしそうもない高級なお寿司をいただけるなんてことを享受できたのですが。
 問題は、お店以外で知り合った、そして、私のことを「女子大生」だと思っている男性の方のことです。

 そういう男性とは、土・日の昼間から会うことがほとんどですので、いろんなものを買ってもらったり、高級なお店に連れて行ってもらったりするのは、この方の男性たちでした。私の堅実な生活を崩されていくのは、こういう方たちからのプレゼントや、高級なお店に連れて行ってもらえるなどのことがらがあったことでした。たぶん、ずるずると身を持ち崩していく女性はでてくるのかなと思います。しかし私が幸いしたのは、こういう男性には、私の体の最後の部分を許すことがありえなかったことでした。男性から私の体へのタッチは、服の上からにとどめておかなければなりませんでした。だって、男だということがバレてしまいますから。そのことは私にとっては恐怖でした。ですから、デートしていても、「今日は、この人はどこまで求めてくるんだろう。服を脱がされにかかったらたいへんなことになっちゃう」という恐れで、その男性に心から惹かれることはできませんでした。結局、何回かデートを重ねて、くちびるまで許してしまったあとは、体を求めてこられる前に、なんとしてでも別れなければならないことになるわけで、そういった事情が、「モテることのむなしさ」を感じさせてくれたのです。

 モテまくったひとときから、私は比較的短期間(それでも1,2年はあったのですが)で、『こんなのではダメだ、ちゃんと学業に励まなければ』と、身を持ち崩す前に、元の生活にもどすことができました。それからあとは、このときの時代の生活ではなく、けっこう堅実な生活を送るようになりました。ただ、ときどき、モテてチヤホヤされたころの快感がフラッシュバックしてくるときがあります。麻薬を絶っても、あとになってフラッシュバックすることがあるということを聞いたことがありますが、一度得た快感は、その記憶を完全に絶ってしまうのは難しいのかもしれません。男性からチャホヤされる、男性が私のわがままを聞いてくれる、私の好きなものを買ってくれる、この快感はめくるめくとっても心地いいものなのです。何十年たっても、このときの快感を消し去ることは難しいものなんですね。

 モテるのは楽しい、チヤホヤされるのは快感、・・・それは否定できません。でも、その「モテること」と「チヤホヤされること」を、やや離れたところから冷静に見ることができる自分になれるかどうか、そういったところが大切なのだろうなと、今では心から思えます。モテる、チヤホヤされるのは、人生の中の一瞬なのですから。
 自分の人生が「まあまあだったかなあ」と思えるためには、一瞬の自分を見失う・舞い上がるときを、飲み込まれないようにしっかりとグリップできるかどうか、たぶんそういうところにかかっているような気がします。

【追記】
 男性でも、女性からモテている方のなかには、自分を見失う方もおられますが、自分を見失い身を持ち崩すというときは、女性の方がその陥穽に陥りやすい気がします。というのは、男性はだいたいにして、女性に対して自分からいろいろと行動していかなければならないことがあるので、ただ黙って待っていただけでは身を持ち崩すことにはなりにくいです。一方、女性の側は、男性がいろいろと言い寄ってきて誘いかけてきますから、流れにまかせてそれに乗っていけば、ずるずると身を持ち崩すことにつながっていきます。このあたりが、女性の側のリスクだろうなあと思っています。ただ、そのようなことも、ジェンダー平等がすすんでいくと、状況も変わっていくのだろうなあとは思うのですが。

 

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