自分の才能を自覚する為には、中庸でその能力を発揮する事。 | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

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どもども。

 

キンジです。

 

 

自分自身の才能とか、利点とか、

はたまた、長所ってものは、

案外、

 

自分自身では把握しづらいものではある事でしょう。

 

 

 

 

・・・・・・というのも、

自分自身で言っちゃうと、

押し付けがましく感じてしまう為に、

 

自分では自覚していたとしても、

それを、

 

自分ではボカしたり、隠したりする事によって、

 

人からの称賛を、

求めてしまうのは、

決して、

 

僕だけの習性では無いものではありますね・・・・・・??(笑)

 

 

 

 

即ち、

 

自分自身の、才能とか、利点とか、

長所ってものは、

 

自分で言う前提に立ってこそ初めて、

それを把握、自覚する事が、

可能になると、

 

定義することも可能なのです・・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

まず、自分自身で、

それを展開して、構築して行く必要性があるのですが・・・・・・・、

 

まぁ、

 

その前の段階にて、

親しい人・・・・・・って言うよりかは、

 

何かしらの、

プロフェッショナルな人に、

それを聞く、もしくは、

見て貰う必要性もまた、

あることでしょう。

 

 

 

 

・・・・・と言うのも、

 

親しい人に聞いたり、見てもらったりするって事は、

どちらかと言えば、

 

その親しい人との、

関係性ありきでもあり、

 

今後も使って行くであろう、

コミュニケーションのゲーム性の一環として、

 

その意見自体を、聞く姿勢もまた、

大切になるからなのです。

 

 

 

勿論、

 

ゲーム性の一環でありますから、

 

その多い少ないに拘らずに、

 

一種の、オブラートに包み込んだ意見になる・・・・・・って事自体が、

 

当たり前でもあり、

 

そこに必要になるのは、

 

原理原則ではなく、

 

ゲーム性とか、エンターテイメント性の方になるものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

何かしらの分野の、

プロフェッショナルな人って言うのが、

 

原理原則的な、正味の意見を聞くのには、

最適でもありますし、

 

そこには勿論、

 

守秘義務ってものも、付き纏ってくる問題とは、

なっているものではあります。

 

 

 

 

・・・・・・と言う、

前提がありきではありますが、

 

プロフェッショナルな人に意見を聞くって事は、

それ自体が、重要な要素となり、

 

占いでは無く、裏あり、根拠ありの意見を、

知る事となり、

勿論重要な事にはなりますが・・・・・・・・、

 

全てを全て、

 

何処かのプロに、

依存してしまうってのもまた、

 

芸が無いと言うか・・・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

成長を、自覚していけない事と、

なってしまいガチなものとなる事でしょう・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

 

自分自身の専門性ってものを、

体系化して、スキルや知識として、

細分化してでも、

 

持ち合わせて行く必要性がある・・・・・・・って事なのです。

 

 

 

それは結局は、

 

情報リテラシーを、自主的に高めて行く、

唯一無二の手段となるだろうし、

 

それは結局は、

 

受け手でもあり、

情報をインプットする側が、

 

情報リテラシーでもあり、

 

情報セキュリティでもあり、

 

占いと裏ありを、選別出来うるようにならない事には、

 

決して、

 

他人任せの、お願い状態では、

 

結果的に、

 

自分自身の世界観でもあり、

ゲーム性ってものが、

より良くなって行くものじゃあ、無い事でしょう・・・・・・。

 

 

 

 

だからこそ、

 

自分自身の才能を、自覚する必要性が出てくるものでもあり、

 

その為には、

 

中庸、即ち、

普通の状態で、能力を発揮する必要性もまた、

出てくるものと、なってくるものではありますね。

 

 

 

 

けれども、

 

中庸、普通の状態ってものが、そもそもとして、どんな状態であるか??

って事を、

 

より掘り下げて、知っておく必要性がありますし・・・・・・、

もっと言えば、

 

自分自身の、中庸、普通の状態ってものを、

引き出す術ってものを、

持ち合わせておくによって、

 

より一層、

 

自分自身の才能を、自覚し易くなって行くものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

それは結局は、

 

俯瞰の意識を持ち合わせながら、

目の前の、具体性のある物事に、

没頭する事で、

 

その才能の、特徴ってものを、

嫌でも、自覚せざるを得ないものとはなる事でしょう・・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

勿論、

才能とか特徴とか言っても、

何も、

 

プラスだけの部分を見て、

それを才能とか、特徴って言うのでは、

片手落ちでもあり、

 

プラスとマイナス、両方を踏まえるからこそ、

それが才能たり得るものとなる・・・・・・って事でもある事でしょう。

 

 

 

だからこそ、

 

プラスの部分だけを、

特化して表現したり、

 

マイナスの部分だけを、

特化して表現したりするって言うのは、

 

一種の洗脳でもあり、

 

はたまた、

 

綺麗事にしか、聞こえてこない特徴もまた、

持ち合わせているが故に、

注意が必要となるものなのです・・・・・・・。

 

 

 

まぁだからこそ、

 

プラマイ0を、

目指す必要性がある・・・・・・って、

単純明快に言えば、

言えてしまうのでしょうが・・・・・・・、

 

そこに、展開力を発揮する為には、

 

プラスとマイナス、

どちらか片方に特化した上でさらに、

 

自分自身の納得を得るように、

掘り下げれる事もまた、

大切なこととはなるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

即ち、

 

マイナスに特化であれば、

 

自分自身で、オブラートに包み込む必要性があると言えますし、

 

プラスに特化であれば、

 

自分自身で、人から欲しい意見を意識し、

 

その上で、ゲーム性でもあり、

世界観ってものを用意し、

展開して行く必要がある・・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

要するに、

 

自分自身で、

特徴を把握して、

 

才能として、プレゼンテーションするとか、

才能として、ブランディングするといった風の、

イメージでしょうか。

 

 

 

勿論、だからとは言っても、

人からの意見ってものを、

全て、

 

キコエナイ振りをするって事じゃあ無いだろうし・・・・・・・(笑)、

 

人からの意見ってものを、

 

剥き出しの状態で、受け取るんじゃあ無くて、

 

受け入れる為の、

入り口でもあり、

 

受け入れる為の、

方向性の舵取りでもあり、

 

枠組みでもあり、

 

専門性ってものを、用意しておくって事ではありますね。

 

 

 

 

・・・・・・と言うのも、

結局は、

 

この情報過多な、

インターネット中心の世の中において、

 

占いが必要無いくらいに、

裏が無い情報ってものは、

氾濫しているものであるからなのです。

 

 

 

 

勿論、

 

その裏が無い情報ってものは、

 

自分自身の、能力不足や、

技術不足、環境不足って場合もまた、

あるけれども、

 

だからとは言っても、

 

そのような情報ってものは、

結局は、

 

端から、自分自身の手が届かない、

自分自身の影響力を発揮する余地が、

存在するかしないか・・・・・・曖昧な、

 

ギャンブル要素に溢れた、情報であると、

定義する事が可能にはなっている事でしょう・・・・・・・・。

 

 

 

 

だからが故に、

たとえ、

 

小さな事であったとしても、

 

自分自身の手の内に収まる、

自分自身の、エフィカシー(自己効力感)を発揮でき得る、

技術やスキルを通した、生の情報ってものを、

 

展開して、構築する術を、

持ち合わせて行く必要性があります。

 

 

 

それは、

ある一定のスキルを持ち合わせており、

 

習慣として、継続しているのであれば、

それは、

 

自分自身の、専門性でもあり、

プロフェッショナルだと言えるのでは無いでしょうか??

 

 

 

 

即ち、

 

自分軸として、

打ち立てる事が可能になるだろうし、

 

その生の情報ってものは、

 

血と汗や、努力と葛藤の結晶かも知れませんが・・・・・・・(苦笑)、

 

決して、

 

自分自身を、裏切る事は無いものと、

なって行く事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

自分自身にとっては、

 

主観的、俯瞰的に観て、

裏が確実に存在する、生の情報となり、

 

それを軸として、

 

それを測りとして、

 

情報を、選別することもまた、

可能になる事なのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

それはあくまでも、

 

僕自身にとっての、

 

唯一無二の、自分軸とはなるでしょうから、

 

人に提供する場合においては、

オブラートも必要となるだろうし、

また、

 

何の専門軸で、語っているか??

って部分を、見抜く観察眼ってものもまた、

必須にはなってくるものなのでしょう。

 

 

 

 

上記の事柄もまた、

 

受け手でもあり、インプット側に求められる・・・・・・・って言うよりかは、

 

あった方が確実に、

 

情報の整理を、しやすくなって行くものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

変な占いのような情報に、

フォーカスを奪われて、

 

悶々とする必要性が省けてくる為、

 

時間とリソースを、有効的に、

自分自身が、興味があることや、

自分自身が、好きな事に、

使えるようになるって事ではありますね。

 

 

 

変な占いのような情報に、

フォーカスを奪われそうになったら、

 

何か、

 

小さな事であったとしても、

 

自分自身の手の内に収まる、

スキルや技術を発揮でき得るようなものに、

集中する事が、肝要とはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

それを通す事によって、

少なくとも、

 

自分自身の特徴ってものを、

踏まえて、

 

その技術やスキルを、

展開して、構築して行かざるを得なくなる事でしょうから・・・・・・、

 

単純明快に言えば、

 

自分自身の肉体ってものを、

裏ありの専門性として、

 

行動として、表現する事が、

求められる事にはなる事でしょう。

 

 

 

 

それは勿論、

 

あなたでもあり、僕自身の色でもあり、

 

キャラクターでもあり・・・・・・、

 

もっと厳密に言ってしまえば、

 

あなたでもあり、僕自身の、

 

DNAでもあり、指紋のようなものと、

なって行くものなのです・・・・・・!!

 

 

 

 

勿論、だからこそ、

 

それは、どんな事にも応用流用可能ではありますが・・・・・・・、

 

そこに専門性が存在しなければ、

 

それは、

占いに過ぎないものとなるでしょうから、

 

専門性でもあり、専門技術でもあり、専門知識ありきでの、

自分軸だと言う認識が、

必要にはなるのです。

 

 

 

 

即ち、

 

自分軸とは、

 

占いと裏ありの両方の側面が存在しており、

 

そもそもとして、

 

プロフェッショナル性が存在しない事には、

そこには、

 

自分ってもの自体の定義もまた、

裏が存在しない状態と見るのもまた、

 

シビアではありますが、

 

情報リテラシー的には、

必要なものなのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

要するに、

 

軸でもあり、

専門性でもあり、技術・スキルありきでの、

自分でもあり、

 

それを統合した概念が、自分軸だ・・・・・・って事なのでしょう。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

 

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