感情の表現が下手な人の為の、感情を溜め込まない方法!! | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

tookapicによるPixabayからの画像

 

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

まず最初に、

アルゼンチン、ワールドカップ優勝おめでとうございます。

 

 

私キンジは、フランスワールドカップ(1998年)から密かに、

アルゼンチンサッカーファンでもあり、

 

ずっと密かに、応援していた次第ではありますが・・・・・・、

かのマラドーナさんの優勝以来(1986年)、

 

優勝候補とは言われながらも、

ずっと優勝には縁が無かったアルゼンチン(決勝までは行っていた)が、

今回優勝し、

尚且つ、

 

メッシが全ての記録を、更新して行ったのが、

誠に、喜ばしい限りではあります。

 

 

 

 

あ、

勿論、

 

日本代表も、韓国代表も、

応援していた訳ではありますが・・・・・・、

 

今回のワールドカップに至っては、

何処の国がど〜こ〜では無く、

 

単純に、

サッカーゲーム好きとして、

 

超一流の選手のプレー=個人技やら、技やらに注目をおいて、

 

一人でも、よりビッグチームのスカウトの目にとまって、

一人でも多く、チームのランクアップが出来れば良いなぁ・・・・・・・って、

ぼんやり想いながら、観戦していた次第ではありますね。

 

 

それによって、

結果的には、

 

所属選手が、より豪華なチームにいる方の国が、

強豪国でもあり、優勝国とはなっていくものでしょうから。

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

優勝国=帝国と、

それ以外の国=反乱軍的な戦いにはなっていくものでしょうが、

 

その中で、

 

国としての、ランクアップを謀るには、

尚更、

 

「所属選手が、より豪華な、ビッグクラブに所属していくか??」

って問題にはなるでしょうが・・・・・・・、

 

個人的に想うのは、

 

上記で挙げた、

 

優勝国=帝国と、

それ以外の国=反乱軍の差ってものは、

あまり、

埋められて行くものじゃあ無いんでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

それが埋められて行く為には、

例え、

 

一人だけであったとしても、

 

ビッグクラブに所属出来うる、

超一流の選手を輩出させて、

その選手に、引っ張ってもらう事でしか、

 

ワールドカップで言えば、

 

国と国の、戦力差でもあり、実力差ってものは、

埋まる事が無いのかも知れませんね・・・・・・。

 

 

 

 

・・・・・・・・あさて、

 

ワールドカップの感想は、

この辺で置いて置いて、

本日の本題に、入っていきましょう・・・・・・・!!

 

 

 

感情の表現が下手な人って言うのは、

結局は、

 

人が求める感情表現自体が、

下手な人とも言い換える事が可能ではある事でしょう。

 

 

 

即ち、

それは・・・・・・・、

 

リアクションが下手とも言えますし、

まぁ、

 

そもそもとして、

 

人のリアクションに、期待し過ぎる事の方にこそ、

問題が存在するもの・・・・・・とも言える事でしょう。

 

 

 

何故ならば、

 

そもそも問題として、

 

期待しない所には、あまり、問題が出てこないとも言えるだろうし、

 

期待し過ぎるからこそ、

 

その落差によって、

問題だと感じるのが、

我々、人間ではある事でしょうが・・・・・・・、

 

全くの、期待0の状態であってもまた、

寂しい感じにはなっちゃうのでしょうね・・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

だからこそ、

 

そのバランス配分が、大切にはなってくるのですが・・・・・・・、

 

そのバランス配分でもあり、バランス調整をする為にこそ、

 

「納得。」と言う、感情でもあり、概念ってものが、

必須にはなってくるのです・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

その「納得。」って言う、

感情でもあり、概念ってものは、

ある種の、

 

満足って状態を、返上する事によって、

生み出される側面があるものですし、

 

自己満足している状態の人って言うのは、

ある種の、

 

「取りつく島が無い状態である。」とも言えまして、

 

まともな、

問題定義でもあり、

コミュニケーションが通用しない状態であるとも言えるのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

「人の話が聞こえない状態。」であるとも言えますし、

 

「耳が竹輪の状態。」であるとも言える事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

この状態の人に必要になってくるのは、

ある意味、

 

「行動あるのみ。」でありますし、

 

行動=スキルを発揮する事によって、

 

「その自己満足を、自分自身で証明する。」って事が、

何よりも最優先的に、求められる行為とはなる事でしょう。

 

 

 

 

だからこそ、

そこには、

 

言葉や、コミュニケーションって物自体が、

そもそもとして、

 

「必要無い。」ものでもあり、

 

逆に言うと、

 

自分自身の、自己満足を護る為にも、

 

余計な言葉や、余計なコミュニケーションは、

自分自身が掲げた自己満足=問題定義にとって、

邪魔になる可能性が高いだろうし、

 

またそもそもとして、

 

自分自身が掲げた自己満足=問題定義が、

より複雑化する事によって、

手に負えなくなる可能性を秘めているだけに、

 

そこは、

 

行動=スキルでのみ、

 

証明して行く事が、望ましいものとはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

またそれによって、

 

その証明を踏まえた上での、

問題定義=コミュニケーションが、

可能になるものでもあり、

 

それは、

 

自分自身の自己満足=問題定義でもあり、

その証明という名の問題解決が、

付随してくるだけに、

 

より良質な、問題定義=コミュニケーションと、

なり易くなるものではある事でしょうね。

 

 

 

要するに、

 

自分自身の自己満足=問題定義と、

その証明と言う名の問題解決という流れ自体が、

 

自分自身の中の、

 

燻った感情を、昇華させるものでもあり・・・・・・・、

 

その昇華させた感情ベースでまた、

 

改めて、

 

問題定義=コミュニケーションを、

取って行く事が可能になるのと同時に、

 

そのある意味・・・・・・、

 

良質な感情を、

 

0ラインとする事が可能でもあり、

 

その0ラインを定義した上であれば・・・・・・、

 

それ以前の問題自体をまた、

ぶり返したとしても、

 

それ以前の問題ってもの自体が、

そもそもとして、

 

問題に感じなくなっている自分を、

発見でき得るものではありますね・・・・・・??

 

 

 

それはそもそもとして、

 

手軽に解決でき得る方法を知っているからでもあり、

 

その0ラインを持ってして、

例え、

 

0ラインで終わったとしても、

マイナス→0による、

価値構築方法を、体現可能だからではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まただからこそ、

 

0ラインを定義した上での、

幅広い、マイナスの取り込み方ってものが、

重要な要素とはなってくるものではあります。

 

 

 

・・・・・・・が、

 

そこは、注意深く選別しない事には、

 

自分自身の自己満足=問題定義自体が、

揺らいでしまう可能性もあるものでもあり、

 

問題定義が揺らいでしまう事によって、

 

問題解決出来なくなる可能性もまた、

孕んでいるものではあるのです・・・・・・・・!!

 

 

 

 

だからこそ、

そこは、

 

あまり、ポジション自体を、

大きくし過ぎないって事が、

重要になると同時に、

 

ポジション自体を、

小さく、細かくし過ぎないって事もまた、

同じだけ重要な要素とはなってくるものでしょう。

 

 

 

 

それ即ち、

 

そのポジションを、

大きくし過ぎるって事と、

小さく、細かくし過ぎるって事って言うのは、

 

自分自身の手に負えないって意味では、

全く同じ事なのですし、

 

「なんとかなる。」場合においても、

 

大きくし過ぎたポジション問題と、

小さく、細分化し過ぎたポジション問題ってものは、

 

その両方共が、

 

手間隙の負担が、膨大になって行くものでもあり・・・・・・、

 

それよりも、

もっと手頃でもあり、

 

足頃な問題の方が、

 

自分自身がとり得るポジションとしては、

相応しいものとなり、

 

それをつなぎ合わせて行く事によって、

 

ちょっと大きな問題や、

 

ちょっと小さく、細分化された問題に、

取り掛かって行く事が、

可能にはなる事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

それによって、

そもそもとして、

 

感情の表現が下手でもあり、

リアクションが下手な人にとっても、

 

0ラインを定義出来た事による、

自分自身の素の感情を、

掴む事が可能になる事によって、

 

人真似では無い、

自分のリアクションってものが、

出来る事によって、

 

自己効力感=セルフエフィカシーが、

高まる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

いや、

別に、

 

0ラインを知った上で、

 

あえて人真似のリアクションをしても良いのですよ・・・・・・・??

 

 

 

その繰り返しによって、

 

あえて人真似であったとしても、

 

そこに、

 

その人らしさと言えるような、

 

大き過ぎる違いや、小さく、細分化された違いが、

体現されて行く事とはなるでしょうから。

 

 

 

まぁ、

 

その大き過ぎる違いや、小さく、細分化された違いに、

拘るよりかは・・・・・・、

 

手軽や足軽に出来る、

人真似の方にこそ、

 

拘って、数稽古の如く、

回数を重ねて行く必要性があるのでしょうが。

 

 

 

 

ある意味、

数を重ねる事によって、

 

ゲーム的、統計的に言えば、

「乱数調整をする。」って事でしょうし、

 

それによって、

 

上手く行く事もあるでしょうが、

 

その大多数は、

 

手軽でもあり、足軽な、

失敗を繰り返すイメージとはなる事でしょう。

 

 

 

その失敗は、

本人にとっては、

 

仕事でもあり、訓練でもあり、実践ではあるでしょうが、

 

サッカー的に言えば、

 

ゴールは、すべからく、

「スーパーゴール。」であるのでしょうし、

 

その「スーパーゴール。」は、

簡単に、繰り返せるものじゃあ無いものでしょうと。

 

 

 

手軽でもあり、足軽な失敗の、

大量行動の末に、

「スーパーゴール。」が生まれるものでもあり、

 

「スーパーゴール。」を生み出す為には、

 

手軽でもあり、足軽な、

失敗を繰り返すしか無いのでしょうよ・・・・・・。

 

 

 

また、

その失敗が、

大きくなり過ぎると、

大きな問題となり、

 

メンタル的にも、停滞しがちになるでしょうが、

 

小さく、細分化された失敗の方もまた、

 

大きな失敗だと認識しておいた方が、

無難ではある事でしょう。

 

 

 

何故ならば、

 

小さく、細分化された失敗の方が、

後を引きやすい失敗ともなるでしょうし、

 

また振り返す失敗となりやすいものでもあるからなのです。

 

 

 

だからこそ、

 

小さく、細分化された失敗ってものを、

侮らないで、誤魔化したい気持ちに、

打ち勝つ為にこそ、

 

手軽でもあり、足軽な失敗と定義して行った方が、

 

その本人の行動が、

 

一々、停滞せずには済む事にはなってくるのでしょう・・・・・・・・・!!

 

 

 

失敗せずに、

成功する人は、いないでしょうが、

 

失敗で停滞して、

そのまんま、諦めてしまう人は、

腐る程いるでしょう。

 

 

 

まぁ、

その成功の大きさの、

定義の違いは存在するでしょうし・・・・・・・(苦笑)、

 

大き過ぎる成功を描いてしまえば、

人類ほぼほぼ、

失敗で停滞して、

そのまんま、諦めてしまう人とはなる事でしょうが、

 

そんな定義には、あまり、

意義も意味も存在しない事でしょうよ・・・・・・・。

 

 

 

それならば、

 

もっと手頃な成功でもあり、

もっと足頃な成功を定義して、

 

その成功をつなぎあわせたり、

 

その成功の先にこそ、

少し大き目な成功を、描いて行った方が、

宜しい事でしょうね。

 

 

 

 

それは即ち、

 

実践ありきの考え方でもあり、

 

例え、

 

手頃でもあり、足頃だったとしても、

 

結果ありきでもあり、

成功ありきの考え方とはなる事でしょう。

 

 

 

また、

それは即ち、

 

再現性がある考え方でもあり、

 

例え、

 

乱数調整の如く、

数稽古が必須ではあったとしても、

 

そこには、

嘘は存在しないものでしょうよ。

 

 

 

まぁ、

 

いきなり、

 

大き過ぎる成功を描いてしまうと、

それは唯の嘘とはなるでしょうが。

 

 

 

また、

 

大抵の、ノウハウでもあり、

ビジネスモデルってものは、

そのように、

 

手軽でもあり、足軽な成功を、

組み合わされて、出来上がっていると言う見解を、

持って置いた方が良いだろうし、

 

それでこそ、

無駄が無く、

 

手軽な部分でもあり、足軽な部分から、

活用する事が可能にはなるのでしょうし・・・・・・・、

 

本当の意味で、

 

肝となり、大切な部品となりうる・・・・・・、

手軽な成功でもあり、足軽な成功ってものは、

 

あまり安易と、

 

簡単に手に入るものじゃあ無いのでしょうし、

 

それでこそ、

 

数稽古の如くの、

逆境ってものを、楽しめるもんでもあるのでしょう・・・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・し、

 

意外と簡単に、

手に入ったとしても、

 

それの、再現でもあり、

応用・流用の為にまた、

 

四苦八苦するのもまた、

 

逆境を、ゲーム的に楽しむ為の、

醍醐味とはなるのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

それはある種の、

 

少し大き目の成功の話でもありますから、

 

足下にあたる手頃、足頃な成功でもあり、

手頃、足頃な、日々の失敗ってものは、

 

勿論、抑えた上での話ではありますし・・・・・・・、

 

そもそもとしては、

 

「細けぇ事はいいんだよ。」って事ではありますが、

 

「大それた事もまた、いいんだよ。」って事なのでしょう・・・・・・(笑)。

 

 

 

そんな事に、

フォーカスを奪われて、

 

一人悶々としている暇があるのであれば、

 

手軽な事や、足軽な事に、

とにかく、

 

思考停止してでも良いから、

取り掛かって行ったほうが良い・・・・・・って事なのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

もしかしたら、

 

細かいことや、大それたことに、

フォーカスを奪われて、

一人悶々としている状態ってものの方こそ、

 

大衆心理でもあり、

「みんなと一緒。」の状態なのかも知れませんが。

 

 

 

だからこそ、

とにかく、

 

手軽な事や、足軽な事に、

思考停止してでも、取り掛かるスタンスってものが、

重要となるだろうし、

 

それでこそ、

 

大衆や、みんなとは違った、

 

手軽でもあり、足軽な成功を、

確実に、勝ち取る事が、可能にはなるのかと。

 

 

 

後は、

それをカスタマイズして、

組み合わせたり、

 

応用・流用する事によって、

 

少し大き目な成功ってものを、

勝ち取るだけなのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

それが大き過ぎると、

ビビる事でしょうが・・・・・・(苦笑)、

 

そのビビる感情ってものもまた、

あながち間違いでは無いと。

 

 

ビビった時こそ、

 

大き過ぎず、小さ過ぎず、

手軽でもあり、足軽な行動でもあり、

スキルってものが、求められるものとはなる事でしょうし・・・・・・・、

 

それ単体だけでは無く、

 

そのようなスキルってものが、

大量に組み合わされて、

パッケージングされているようなものが、

 

必要となるだろうし、

 

それは、

 

予め、コレクションして置いた方が、

安心出来るのかも知れませんね・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、でも、

 

取り掛かれるのは、

 

目の前の、

手軽さでもあり、足軽さだけでもあり、

 

それをマネジメントする事が、

必要とはなりますが・・・・・・・、

 

マネジメントはまぁ、

「当たり前。」だとしても、

 

それを実際に行って行くと言う意味での、

 

実践でもあり、行動結果ってものの方が、

重要度は高くなるのでしょうが。

 

 

 

ある意味、

ゲームで言えば、

 

プレイ時間とか、セーブデータとはなるのでしょうね・・・・・・(笑)。

 

 

まぁ、

それをリアルでもあり、

 

インターネットでも、

応用・流用する感じでしょうか。

 

 

 

勿論、

 

衣・住・食と言ったような・・・・・・、

生活が中心にはくるものとはなる事でしょうが、

 

それの日々の、

専門性ごとの、

 

プレイ時間とか、セーブデータと言ったものが、

重要にはなるでしょうし、

 

それこそ、

 

実際に、実践している実感となり、

 

潜在意識の働きによって、

 

手軽、足軽な成功=スキルの組み合わせってものを、

最適化して行く、

もっとも着実な、方法論とはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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