どもども。
キンジです。
まず最初に、
アルゼンチン、ワールドカップ優勝おめでとうございます。
私キンジは、フランスワールドカップ(1998年)から密かに、
アルゼンチンサッカーファンでもあり、
ずっと密かに、応援していた次第ではありますが・・・・・・、
かのマラドーナさんの優勝以来(1986年)、
優勝候補とは言われながらも、
ずっと優勝には縁が無かったアルゼンチン(決勝までは行っていた)が、
今回優勝し、
尚且つ、
メッシが全ての記録を、更新して行ったのが、
誠に、喜ばしい限りではあります。
あ、
勿論、
日本代表も、韓国代表も、
応援していた訳ではありますが・・・・・・、
今回のワールドカップに至っては、
何処の国がど〜こ〜では無く、
単純に、
サッカーゲーム好きとして、
超一流の選手のプレー=個人技やら、技やらに注目をおいて、
一人でも、よりビッグチームのスカウトの目にとまって、
一人でも多く、チームのランクアップが出来れば良いなぁ・・・・・・・って、
ぼんやり想いながら、観戦していた次第ではありますね。
それによって、
結果的には、
所属選手が、より豪華なチームにいる方の国が、
強豪国でもあり、優勝国とはなっていくものでしょうから。
まぁ、
だからとは言っても、
優勝国=帝国と、
それ以外の国=反乱軍的な戦いにはなっていくものでしょうが、
その中で、
国としての、ランクアップを謀るには、
尚更、
「所属選手が、より豪華な、ビッグクラブに所属していくか??」
って問題にはなるでしょうが・・・・・・・、
個人的に想うのは、
上記で挙げた、
優勝国=帝国と、
それ以外の国=反乱軍の差ってものは、
あまり、
埋められて行くものじゃあ無いんでしょうね・・・・・・・。
それが埋められて行く為には、
例え、
一人だけであったとしても、
ビッグクラブに所属出来うる、
超一流の選手を輩出させて、
その選手に、引っ張ってもらう事でしか、
ワールドカップで言えば、
国と国の、戦力差でもあり、実力差ってものは、
埋まる事が無いのかも知れませんね・・・・・・。
・・・・・・・・あさて、
ワールドカップの感想は、
この辺で置いて置いて、
本日の本題に、入っていきましょう・・・・・・・!!
感情の表現が下手な人って言うのは、
結局は、
人が求める感情表現自体が、
下手な人とも言い換える事が可能ではある事でしょう。
即ち、
それは・・・・・・・、
リアクションが下手とも言えますし、
まぁ、
そもそもとして、
人のリアクションに、期待し過ぎる事の方にこそ、
問題が存在するもの・・・・・・とも言える事でしょう。
何故ならば、
そもそも問題として、
期待しない所には、あまり、問題が出てこないとも言えるだろうし、
期待し過ぎるからこそ、
その落差によって、
問題だと感じるのが、
我々、人間ではある事でしょうが・・・・・・・、
全くの、期待0の状態であってもまた、
寂しい感じにはなっちゃうのでしょうね・・・・・・・(苦笑)。
だからこそ、
そのバランス配分が、大切にはなってくるのですが・・・・・・・、
そのバランス配分でもあり、バランス調整をする為にこそ、
「納得。」と言う、感情でもあり、概念ってものが、
必須にはなってくるのです・・・・・・!!
即ち、
その「納得。」って言う、
感情でもあり、概念ってものは、
ある種の、
満足って状態を、返上する事によって、
生み出される側面があるものですし、
自己満足している状態の人って言うのは、
ある種の、
「取りつく島が無い状態である。」とも言えまして、
まともな、
問題定義でもあり、
コミュニケーションが通用しない状態であるとも言えるのです・・・・・・・!!
即ち、
「人の話が聞こえない状態。」であるとも言えますし、
「耳が竹輪の状態。」であるとも言える事でしょう・・・・・・・。
この状態の人に必要になってくるのは、
ある意味、
「行動あるのみ。」でありますし、
行動=スキルを発揮する事によって、
「その自己満足を、自分自身で証明する。」って事が、
何よりも最優先的に、求められる行為とはなる事でしょう。
だからこそ、
そこには、
言葉や、コミュニケーションって物自体が、
そもそもとして、
「必要無い。」ものでもあり、
逆に言うと、
自分自身の、自己満足を護る為にも、
余計な言葉や、余計なコミュニケーションは、
自分自身が掲げた自己満足=問題定義にとって、
邪魔になる可能性が高いだろうし、
またそもそもとして、
自分自身が掲げた自己満足=問題定義が、
より複雑化する事によって、
手に負えなくなる可能性を秘めているだけに、
そこは、
行動=スキルでのみ、
証明して行く事が、望ましいものとはなる事でしょう・・・・・・!!
またそれによって、
その証明を踏まえた上での、
問題定義=コミュニケーションが、
可能になるものでもあり、
それは、
自分自身の自己満足=問題定義でもあり、
その証明という名の問題解決が、
付随してくるだけに、
より良質な、問題定義=コミュニケーションと、
なり易くなるものではある事でしょうね。
要するに、
自分自身の自己満足=問題定義と、
その証明と言う名の問題解決という流れ自体が、
自分自身の中の、
燻った感情を、昇華させるものでもあり・・・・・・・、
その昇華させた感情ベースでまた、
改めて、
問題定義=コミュニケーションを、
取って行く事が可能になるのと同時に、
そのある意味・・・・・・、
良質な感情を、
0ラインとする事が可能でもあり、
その0ラインを定義した上であれば・・・・・・、
それ以前の問題自体をまた、
ぶり返したとしても、
それ以前の問題ってもの自体が、
そもそもとして、
問題に感じなくなっている自分を、
発見でき得るものではありますね・・・・・・??
それはそもそもとして、
手軽に解決でき得る方法を知っているからでもあり、
その0ラインを持ってして、
例え、
0ラインで終わったとしても、
マイナス→0による、
価値構築方法を、体現可能だからではある事でしょう・・・・・・・!!
まただからこそ、
0ラインを定義した上での、
幅広い、マイナスの取り込み方ってものが、
重要な要素とはなってくるものではあります。
・・・・・・・が、
そこは、注意深く選別しない事には、
自分自身の自己満足=問題定義自体が、
揺らいでしまう可能性もあるものでもあり、
問題定義が揺らいでしまう事によって、
問題解決出来なくなる可能性もまた、
孕んでいるものではあるのです・・・・・・・・!!
だからこそ、
そこは、
あまり、ポジション自体を、
大きくし過ぎないって事が、
重要になると同時に、
ポジション自体を、
小さく、細かくし過ぎないって事もまた、
同じだけ重要な要素とはなってくるものでしょう。
それ即ち、
そのポジションを、
大きくし過ぎるって事と、
小さく、細かくし過ぎるって事って言うのは、
自分自身の手に負えないって意味では、
全く同じ事なのですし、
「なんとかなる。」場合においても、
大きくし過ぎたポジション問題と、
小さく、細分化し過ぎたポジション問題ってものは、
その両方共が、
手間隙の負担が、膨大になって行くものでもあり・・・・・・、
それよりも、
もっと手頃でもあり、
足頃な問題の方が、
自分自身がとり得るポジションとしては、
相応しいものとなり、
それをつなぎ合わせて行く事によって、
ちょっと大きな問題や、
ちょっと小さく、細分化された問題に、
取り掛かって行く事が、
可能にはなる事でしょう・・・・・・・・!!
それによって、
そもそもとして、
感情の表現が下手でもあり、
リアクションが下手な人にとっても、
0ラインを定義出来た事による、
自分自身の素の感情を、
掴む事が可能になる事によって、
人真似では無い、
自分のリアクションってものが、
出来る事によって、
自己効力感=セルフエフィカシーが、
高まる事でしょう・・・・・・・!!
いや、
別に、
0ラインを知った上で、
あえて人真似のリアクションをしても良いのですよ・・・・・・・??
その繰り返しによって、
あえて人真似であったとしても、
そこに、
その人らしさと言えるような、
大き過ぎる違いや、小さく、細分化された違いが、
体現されて行く事とはなるでしょうから。
まぁ、
その大き過ぎる違いや、小さく、細分化された違いに、
拘るよりかは・・・・・・、
手軽や足軽に出来る、
人真似の方にこそ、
拘って、数稽古の如く、
回数を重ねて行く必要性があるのでしょうが。
ある意味、
数を重ねる事によって、
ゲーム的、統計的に言えば、
「乱数調整をする。」って事でしょうし、
それによって、
上手く行く事もあるでしょうが、
その大多数は、
手軽でもあり、足軽な、
失敗を繰り返すイメージとはなる事でしょう。
その失敗は、
本人にとっては、
仕事でもあり、訓練でもあり、実践ではあるでしょうが、
サッカー的に言えば、
ゴールは、すべからく、
「スーパーゴール。」であるのでしょうし、
その「スーパーゴール。」は、
簡単に、繰り返せるものじゃあ無いものでしょうと。
手軽でもあり、足軽な失敗の、
大量行動の末に、
「スーパーゴール。」が生まれるものでもあり、
「スーパーゴール。」を生み出す為には、
手軽でもあり、足軽な、
失敗を繰り返すしか無いのでしょうよ・・・・・・。
また、
その失敗が、
大きくなり過ぎると、
大きな問題となり、
メンタル的にも、停滞しがちになるでしょうが、
小さく、細分化された失敗の方もまた、
大きな失敗だと認識しておいた方が、
無難ではある事でしょう。
何故ならば、
小さく、細分化された失敗の方が、
後を引きやすい失敗ともなるでしょうし、
また振り返す失敗となりやすいものでもあるからなのです。
だからこそ、
小さく、細分化された失敗ってものを、
侮らないで、誤魔化したい気持ちに、
打ち勝つ為にこそ、
手軽でもあり、足軽な失敗と定義して行った方が、
その本人の行動が、
一々、停滞せずには済む事にはなってくるのでしょう・・・・・・・・・!!
失敗せずに、
成功する人は、いないでしょうが、
失敗で停滞して、
そのまんま、諦めてしまう人は、
腐る程いるでしょう。
まぁ、
その成功の大きさの、
定義の違いは存在するでしょうし・・・・・・・(苦笑)、
大き過ぎる成功を描いてしまえば、
人類ほぼほぼ、
失敗で停滞して、
そのまんま、諦めてしまう人とはなる事でしょうが、
そんな定義には、あまり、
意義も意味も存在しない事でしょうよ・・・・・・・。
それならば、
もっと手頃な成功でもあり、
もっと足頃な成功を定義して、
その成功をつなぎあわせたり、
その成功の先にこそ、
少し大き目な成功を、描いて行った方が、
宜しい事でしょうね。
それは即ち、
実践ありきの考え方でもあり、
例え、
手頃でもあり、足頃だったとしても、
結果ありきでもあり、
成功ありきの考え方とはなる事でしょう。
また、
それは即ち、
再現性がある考え方でもあり、
例え、
乱数調整の如く、
数稽古が必須ではあったとしても、
そこには、
嘘は存在しないものでしょうよ。
まぁ、
いきなり、
大き過ぎる成功を描いてしまうと、
それは唯の嘘とはなるでしょうが。
また、
大抵の、ノウハウでもあり、
ビジネスモデルってものは、
そのように、
手軽でもあり、足軽な成功を、
組み合わされて、出来上がっていると言う見解を、
持って置いた方が良いだろうし、
それでこそ、
無駄が無く、
手軽な部分でもあり、足軽な部分から、
活用する事が可能にはなるのでしょうし・・・・・・・、
本当の意味で、
肝となり、大切な部品となりうる・・・・・・、
手軽な成功でもあり、足軽な成功ってものは、
あまり安易と、
簡単に手に入るものじゃあ無いのでしょうし、
それでこそ、
数稽古の如くの、
逆境ってものを、楽しめるもんでもあるのでしょう・・・・・・・・・!!
・・・・・・・し、
意外と簡単に、
手に入ったとしても、
それの、再現でもあり、
応用・流用の為にまた、
四苦八苦するのもまた、
逆境を、ゲーム的に楽しむ為の、
醍醐味とはなるのでしょうね・・・・・・・。
まぁ、
それはある種の、
少し大き目の成功の話でもありますから、
足下にあたる手頃、足頃な成功でもあり、
手頃、足頃な、日々の失敗ってものは、
勿論、抑えた上での話ではありますし・・・・・・・、
そもそもとしては、
「細けぇ事はいいんだよ。」って事ではありますが、
「大それた事もまた、いいんだよ。」って事なのでしょう・・・・・・(笑)。
そんな事に、
フォーカスを奪われて、
一人悶々としている暇があるのであれば、
手軽な事や、足軽な事に、
とにかく、
思考停止してでも良いから、
取り掛かって行ったほうが良い・・・・・・って事なのでしょう・・・・・・・・!!
まぁ、
もしかしたら、
細かいことや、大それたことに、
フォーカスを奪われて、
一人悶々としている状態ってものの方こそ、
大衆心理でもあり、
「みんなと一緒。」の状態なのかも知れませんが。
だからこそ、
とにかく、
手軽な事や、足軽な事に、
思考停止してでも、取り掛かるスタンスってものが、
重要となるだろうし、
それでこそ、
大衆や、みんなとは違った、
手軽でもあり、足軽な成功を、
確実に、勝ち取る事が、可能にはなるのかと。
後は、
それをカスタマイズして、
組み合わせたり、
応用・流用する事によって、
少し大き目な成功ってものを、
勝ち取るだけなのでしょう・・・・・・・・!!
それが大き過ぎると、
ビビる事でしょうが・・・・・・(苦笑)、
そのビビる感情ってものもまた、
あながち間違いでは無いと。
ビビった時こそ、
大き過ぎず、小さ過ぎず、
手軽でもあり、足軽な行動でもあり、
スキルってものが、求められるものとはなる事でしょうし・・・・・・・、
それ単体だけでは無く、
そのようなスキルってものが、
大量に組み合わされて、
パッケージングされているようなものが、
必要となるだろうし、
それは、
予め、コレクションして置いた方が、
安心出来るのかも知れませんね・・・・・・・。
まぁ、でも、
取り掛かれるのは、
目の前の、
手軽さでもあり、足軽さだけでもあり、
それをマネジメントする事が、
必要とはなりますが・・・・・・・、
マネジメントはまぁ、
「当たり前。」だとしても、
それを実際に行って行くと言う意味での、
実践でもあり、行動結果ってものの方が、
重要度は高くなるのでしょうが。
ある意味、
ゲームで言えば、
プレイ時間とか、セーブデータとはなるのでしょうね・・・・・・(笑)。
まぁ、
それをリアルでもあり、
インターネットでも、
応用・流用する感じでしょうか。
勿論、
衣・住・食と言ったような・・・・・・、
生活が中心にはくるものとはなる事でしょうが、
それの日々の、
専門性ごとの、
プレイ時間とか、セーブデータと言ったものが、
重要にはなるでしょうし、
それこそ、
実際に、実践している実感となり、
潜在意識の働きによって、
手軽、足軽な成功=スキルの組み合わせってものを、
最適化して行く、
もっとも着実な、方法論とはなる事でしょう・・・・・・!!
それらを踏まえて、
実は、
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