のびぃの夫です。



妻のびぃは、7月23日に大好きな家で家族に見守られながら、眠るように静かに息を引き取りました。

がん発覚から5年と3ヶ月、乳がんとステージ4bの膵臓がんを抱えながら、仕事に家庭に、いつも限界以上に生きていたのびぃ。
最後の数日は、ほぼ横になっている状態でしたが、息子の誕生日のお祝いをしたいと飾り付けのことを考え、ケーキを手配し、無事に毎年恒例のパーティーをすることができました。


そしてその夜から容態が急変し、翌日旅立ちました。もしかしたら既に限界を迎えていたのかもしれません。しかし息子の8歳の誕生日を祝いたいという気力だけで数日乗り切ったんだと思います。のびぃらしいと思うともに「今はゆっくり休んでいいんやで」と言ってあげたいです。

膵癌のステージ4bの5年生存率はわずか1%、そんな状況の中でも、仕事に家庭に希望を見出し、奇跡と言える5年3ヶ月の闘病生活を送ることができました。


奇跡の症例に
わたしは、なる


と言い続けたのびぃ
「生還」には届きませんでしたが、十分に奇跡を起こせたんだと思います。
辛いことも多かった闘病生活ですが、のびぃのブログを読んで、コメントをくださった皆さんの支えがあったからこそ起こせた奇跡です。
このブログでのびぃが綴ってきた想いが今後同じ境遇で悩んでる人の助けに少しでもなることを願っています。

これまで長い間のびぃのブログをご覧いただき、本当にありがとうございました。


息子の様子について

息子にはギリギリまでのびぃの病気の詳しいことについて話すことができていなかったのですが、彼なりに冷静に受け止めているようです。抗がん剤による脱毛などの大きな変化にも母への接し方は全く変わらず、最後まで明るく優しく接してくれた息子。「息子が明るくいてくれるから救われる」とのびぃは最後にそう言っていました。大好きなお母さんの様子をしっかり見て、ちゃんと状況を理解していたんだと思います。
息を引き取った夜、2人で寝る時に「お母さんはこれからも見守ってくれてるよ」と言うと「お父さんのこともね」と逆に励ましてくれました。

大好きだったのびぃの代わりにはなりませんが、のびぃが願った強く優しい子に育つようにこれからも支えていきたいと思います。


誕生日パーティー

息子が好きなドラクエ風に頑張って飾り付けました。


ケーキ
数日食欲があまりなかったのびぃも
最期に食べることができました。


告別式
一緒に働いていた方や大学、高校の友人など
沢山の方に送っていただきました。


息子
葬儀会場に入った時は泣いていましたが、
式が始まる頃には持ち前の明るさを取り戻し
しっかりと見送れました。