暗闇の中で光るたった1つの光を逃さないで
こんにちはかなりお久しぶりのブログとなってしまいました~6月は大変すぎでした乗り越えたーーーー何度娘と、親子共々【気が付いたら床で寝てる】をやったことかどんだけ疲れとるんしかも、いつも【家キャン】をやってる我が家は、寝袋を出してるんで、寝袋で二人で寝てたりしてて笑親子でミノムシみたいになってました6月は自分的にまた一つ、人生に成長させてもらった月だったと感じてます6月は、娘の運動会や、4月から6月までの娘の環境の変化への対応で、気が付かないうちに親子共々疲れがたまっていたのでしょうな(特に私)娘、運動会の大雨で風邪ひく→治ったら今度は私の胃不調→発熱→耳鳴り→季節性アレルギー喘息悪化で、次から次へと、どんだけ不調のオンパレードよ!!!って感じでした。完全にやばかった。特にアレルギー喘息に関しては、季節性のものなのでもうおさまって、こうしてブログを書けているわけですが、渦中にいる時は本当にしんどすぎて、4日連続でろくに寝れなかったし、辛すぎて何回も泣いたし、その都度旦那さんも一緒に起きてくれて背中をさすってくれるくらい咳が止まらなかったりして。明らかに新たな環境の変化で感じたことの情報量の多さに対して、処理が間に合わず、身体に出たのだと理解してます。声が出なかったんで、庭で苺やハーブを収穫してましたよ。(苺は今までで一番うまくいったよ♡)(ハーブshopも夏の新商品を製作中だよー💛)でも、それらの中で得た、とてつもなく大きな学びがあって。まずは、【集団と個】という、日頃から感じ、発信しているっことについて、学校教育というもののもつ良いところと欠点、そして一番大事なのが、【それに対して自分はどういう育児をしていくのか】という【気持ち】。私達夫婦は、二人とも教育業界で仕事をしていて、学校現場のあれこれも身をもって分かりすぎている。でも、だからこそ娘には、学校に対する負の固定観念や、前情報を持ってほしくない、と思っていて、そこは夫婦で共有してました。子どもの前で学校の負のことを話さない。娘は娘の目で見て、自分の感じ方で感じればいい、と。だから、私達親は、学校に対してめちゃめちゃ色々な感情が渦巻いているけれど笑、娘はGoing my wayな人なので(そこは親に似たwww)学校は学校、家へ家。私は私、人は人。っていう感じで、色々そりゃストレスないわけではないとは思うんだけど、楽しんでますwww色んなことをどんどんやったり、達成感を感じるのが好きみたい。そんなことを経て、今の私の、【集団】【世間】に対する姿勢は、以前よりもさらにはっきりとして、前向きで、むしろすがすがしい端的に言えば、私は人生も、娘の育児も【冒険】を大事にしていくとさらに強く決められたこと。どきどき、はらはら、失敗、アクシデント、何が起こるか分からない楽しさ、自分の予想を超えていく出来事、そういったことを。娘にも冒険を楽しめる人間に育ってほしい。彼女が大好きなPOKEMONのサトシのように。(今はリコとロイだね)そして改めて、【日常】の尊さを感じた。普通に息が出来て、喋れて、大声で笑えること。(息も出来なかったし、喋れなかったし、大声だせんかった)笑顔でみんなで食卓を囲む夜ごはん。(笑顔なくしかけてた)「おかえりー」と笑顔で出迎えられること。最後に。これは今しんどい方や、もやもやしている方に伝えたいことなのだけど。【暗闇の中で光るたった一つの光を逃さない】こと。いつも順調な人や、いつも体調がいい人や、なんとなく大きな失敗もないし、なんとなく日々をうまくいかせることできている人はね、それはそれでもやもやしたりしていると思うんだ。だって、【思い切ってみる】ことができないから。安定や成功からは、【本当のアイデア】や【挑戦】ってなかなか出てこない。だってそれなりに面倒くさいし、その手間を考えたら、「今のままでいいや。いつかやろう」になっちゃうと思うから。でも、ほんっとーーーーーーーーーにしんどい人やしんどいときって、出来ることが人より少なかったり、そもそも辛いからもう、なんとかして人生を生きていく術を考えるわけじゃん。それが数年前の私であり、こうして決して身体も人より丈夫とは言えない私。だから【暗闇の中で光るたった一つの光】を「これだ!」「これが私の生き方だ!」って、ひらめくんだ。だって、【それしかない】って、分かるから。だから、夢を叶えられる人って、全てがそろっているひと、とか、なんでもできるひと、とかじゃなくて、むしろ結構その逆なんじゃないかな。色々不足があったり、しんどい環境があったり、だから人生を本気で考えるんじゃないかな。それはある意味で消去法で。私だったら、×もう毎日外に働きにいくのは無理×寝る時間がないのはもう二度と嫌×いつも丈夫でいられるとは保証できない×家族との時間を犠牲にするのももう2度と嫌だとかって、条件がいっぱいある中で、じゃあどうするか、を頭をひねって考える。これは、人からは「わがまま」などと言われることもあるでしょう。でも、それは「わがまま」なんじゃなくて、その人だってできればそうしたいから言っているだけです。それに、その人は私の人生には関係ないのです。もし私が超丈夫で、毎日朝から晩まで外に働きに行けて、上から誰かに指図されても何も感じないメンタルの持ち主だったら、わざわざ自分一人で何かを始めるほうがよっぽど面倒なことだらけでできなかったと思うんです。開業届を出す、HPを作る、予約システムを作る、宣伝をする。。。etc人によっては面倒くさってなるでも私にとっては断然逆で、誰からも何も指図されず、全部自分で考えることの方が、本当に望んでいたこと。だから、【ひらめき】っていうのは、【わくわくする軽いもの】じゃなくて、自分の暗闇や重さから湧き出る【人生をかけたもの】なんだと思った。だから動けるし、動くしかないんだ。何が言いたいかというと、今辛い人は、その辛さの中で「これだけは自分でもできるかもしれない」と感じることが、あなたの人生の素敵な運命なんだと思います!ということですそして私の人生のベースは、家族。愛する家族に愛されていたいし、なんのことはない家族との日常が、絶対に手放したくない、大事な大事なものだということで。それがあるから「夢」やら「仕事」やらを語れるわけで、それがなければ「夢」も「仕事」が叶っても、虚しいよそれは、子どもたちにも伝えたいこと