麻理の練習用ブログ

いつでも本音。
私の愛しい、小さな窓

誰にも本音が言えない人の本音

2021-07-15 20:16:00 | 小日記

私って馬鹿なんかな。どうしたらいいと思う?

確かに、誰かに話した時の方が頭回るような気がしなくもないけど、なんでも話せる人なんてこの世のどこにもいないもんな。

あ、一応ここならいいか。


死にたい。誰にも言えない秘密の話が多分たくさんある。誰にも、誰かに向けて話す内容じゃない。そこに相手がいると、相手のことを考えないといけなくなる。その中にいい刺激があるのかもしれないが、私はしんどい。

私はしんどい。みんな好き勝手言いやがる。私だって人だ。お前と同じ人間だ。それなのに、私にありのままでいろ?そう言いながら、何かを期待してるんじゃないのか?


気分で私の性格は変わる。だから何?何か悪いの???私が私らしくいようとすることが悪いの???

誰かと喋っていると、自分を否定されているような気持ちになる。多分、ずっと否定され続けている。だから、人と話すのが苦痛なんだと思う。


悪者なんでしょう?どんなにこっちが相手を受け入れても、それはさも当然として振る舞って、私のことはそうじゃない。私のことは吟味しないと気が済まない。


他人の評価なんてそんなもん。みんな自分が一番。そんな奴しかいない。


気にするだけ仕方がない。だから、私は私らしくを貫いて、人の言うことは受け流せばいい。吟味していいと思ったものだけ拾えばいい。けどそのためには、自分をしっかり持っておく必要があるし、思考できる状態でいる必要がある。


考えられない状態が一番危険だと思う。


自分もない、他者がズカズカと私の領域に、許可も得ず土足で入ってくる。しかも、お客様として丁重に扱えと当たり前の顔をして言ってくる。

そんな奴らばっかりだ。

私は疲れてしまっていたんだなぁ。仕事以外でも接客ばかりしてきてしまったんだなぁ。


20歳前後のころ、私はもっと面白い話ができていた気がするんだよな。一緒に何かを見て感想を言い合ったり、ある物事について互いにどう捉えているかを語り合ったり。何かに喩えたり、好きな歌や言葉を共有したり。漫画も然り。面白い食べ方をするんだね、とか、豆知識を言ったりとか。


スマホを見てる時間以外何考えてるか、とか。


人に話を合わせていれば、聞いてもらえてると思って相手は安心するのだろうけど、私が聞いてないと悟った瞬間が来るだろうし、私は実際楽しくないし。私の話をするタイミングもないし。


私は、聞き役に回りすぎているのか、自分の考えが出てこなかったりする。封じてしまってるのか。

友達と、どんな会話をするものなんだっけ。あれ、私の友達って誰だっけ。


高校の同級生だった二人くらいしか思い浮かばなかった。


あとはただのつながり。私が早々に危惧していたことが現実になったんじゃないだろうか。社会に出てからだと友人も彼氏も作りにくい、濃い繋がりは難しい、そこに不純な理由が発生しやすくなると。まさしくその通りになったんじゃないかと。


本当にただの繋がり。思い込みのつながり。

変われるかもしれない、安心できるかもしれない、いた方がいいかもしれない、そんな私の理想を叶えてくれるだろうという、私の思い込み。

利害関係。死にたい。最近知り合った女の子もそうだった。死にたい。優しい先輩もそうだった。死にたい。今の職場の年下の女の子は、話を聞いてくれる年上のお姉さんが欲しかった。別にそれでもいいんだけれど、それをそれで受け流せられるほど、私はお姉さんじゃなかった。そんな自分にも死にたくなる。


損得抜きにして付き合える方法って無いのだろうか。

こんな気持ちをずっと、これからも封印し続けたまま、偽って、偽って、これからも出会う一人一人に対して損得勘定をしながら生きていかないといけないのか。

疲れた。何も分かってもらえてない。人の思い込みによって、その人の中の私は作られている。それが悪い意味で事実じゃない時の、弁解もする気が起きない虚しさったらない。その相手が、毎年お盆に遊んでた従兄弟で、悲しかったから家を出たのに、今度社会に出たら、知り合った人が、彼氏が、同じ人で。永遠に分かり合えないのか。そんな悲しい気持ちでこれからずっと生きていかないといけないのか。そんな人の隣で生きていけるのか。


気がつくたびに訂正を入れるのか。それしかないのか。



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