週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.27 6月21日号
(2020/05/21-06/21)


前回からひと月経ってしまいましたが(^^;)今宵も『おんな城主直虎』第26話「誰がために城はある」のお話をば。


「井」の字が刻印された大量の材木が駿府に到着し、直虎の徳川への内通疑惑は晴れました。直虎は寿桂尼や龍雲丸に再会した後、井伊谷に戻ります。寿桂尼は武田との関係悪化で井伊家を今川方につなぎ止めたいのか、当たり障りのない会話です。龍雲丸とは、成川屋の船を止めて材木を差し押さえた報酬の話。


井伊谷に戻った直虎は、政次と囲碁。なぜか上の空の政次ですが、直虎からそう指摘されると、本気を出して、逆転勝利。


その頃気賀では中村屋で商人たちが激論を交わしています。井伊谷の材木が築城のために気賀に運び込まれ、その費用も気賀の商人たちに負担させることになったようです。気賀の商人たちは、自治が失われる、と怒っています。


これは脚本森下さんの創作のはずです。今川領内での自治都市と言えば、見付(静岡県磐田市)は史料が残っていますが、気賀に関してはそういう史料はないはずです。ただし、中村与太夫は実在の人物で、浜名湖周辺の水運や商業の発展を踏まえて気賀を自治都市として描写することにしたようです。


その後龍雲丸が中村屋にやってきて、今川が気賀に築城して、自治を制限しようとしていると知り、自分たちが協力して切り出した材木が戦に使われようとしている事に激怒します。龍雲丸は井伊谷に乗り込んで直虎に怒鳴りつけた後、荒々しく去ります。


その後井伊谷に大沢家の使いがやってきて直虎に会い、何者かに材木を燃やされたので、また買いたいと告げます。


龍雲丸たちの仕業です。政次からは「どこの領主なのだ!」と一喝されますが、直虎は気賀に出向きます。


政次が直虎の裾を踏んづける「裾ドン」が話題になりましたね(^^)


直虎たちが気賀に入ろうとすると、つぶてが飛んできます。直虎を迎えた中村屋によると、気賀の町は築城賛成派と反対派の対立が激化して、つぶて合戦も起こっているそうです。


直虎は対立する商人たちを中村屋に呼び集めて大沢家の築城に協力する代わりに商売を制限しないよう交渉する方向で意見をまとめます。


しかし、そんなことでは龍雲丸の怒りは治まりません。城を築けば気賀が戦場になってしまう、と言い、自分の父親が城を守って死んだ、と告げます。


龍雲丸のモデルと思われる新田友作にも、三河の城主の一族という説があります。


龍雲丸は自分が領主になれるのか、と直虎に詰め寄った後立ち去ります。龍雲丸に置き去りにされた直虎は井伊谷に戻り、事の顛末を家臣たちに話します。


すると、瀬戸方久から、

 

「カーン!」

 

と一声。龍雲丸がいうように、大沢家に代わって直虎が気賀の城主になってみては、と提案します。


堀川「新城」築城は、井伊谷徳政問題の一つの焦点になりました。瀬戸方久は氏真の「根古屋蔵取立」に協力し、新田友作は城代になります。


直虎の関与は不明です。森下脚本は、このプロセスを丁寧に創作していると思います。


今宵はここまでにしとうございます。以下は過去ツイート再掲です。

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

 祝言
国安く民豊なる代なれとは君か為にも身をいはふ也(3―100)

 

天正七年(1579)?氏真は日本の安寧と民衆の幸福を願う歌をしばしば詠んでいる。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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もはや占領軍ですね(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 路苔
侘ぬれは心ありともみゆるかな問はれ(ママ)門に谷の細道(5ー83)

 

天正十五年(1587)孤独を嘆いて「問はれぬ門」と書くつもりだったはず。誤字脱字も興味深い。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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サガラ、行っきま~す!(^^)

嵯峨良蒼樹を国民的アニメ・漫画の主人公に例えると『アムロ・レイ』です。
#shindanmaker


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返信先:
@3urokoujiteru
さん
御意(^^)


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返信先:
@3urokoujiteru
さん
(^^)
早川殿は氏真さんが歌を書いた短冊や巻物を見たり、氏真さんが歌を詠むのを聞くこともあったと思います。(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 寄雨恋
鳴神も知か心を天のはら思ひはてなき雨のよすから(4ー74)

 

天正十五年(1587)細川幽斎玄旨と里村紹巴に和した一首。雷雨の夜に恋の歌を詠んだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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嵯峨良蒼樹はステゴサウルス。素直で真っすぐな性格。自分の気持ちにどこまでも正直。正直すぎてちょっぴり自己中な一面も。優しくされたらすぐ好きになるタイプ。チョロい。ヴェロキラプトルの人と友人関係
#あなたを恐竜に例えると


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断罪!神を切る!?www


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今日も氏真さんの一首を。

 

 たゝすにて
みたらしのひゝきも松にすむ月は夏にしられぬ氷成けり(1ー285)

 

天正三年(1575)四月二十日頃。氏真は離京前に下鴨神社を訪れ糺の神に祈ったようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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決意表明。
明日から本気出す!
今日はハッピーに過ごすwww


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米原正義先生は大著『戦国武士と文芸の研究』著者で、大河ドラマ『毛利元就』考証でもある大家です。
お宝ですね(^^)


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空海誕生日の六月十五日も氏真さんの一首を。

 

 山路にて
夏山の夢路よ(は)雨に暮はてゝまた鳥の音そ雲に残れる(草ー67)

 

天正十九年(1591)五月、姻戚北条家が秀吉に赦免された頃、蟄居先の高野山を訪れた。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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御意(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 寄灯釈教
たとり行道のともし火吹けちて今そ誠の闇は晴ける(5―98)

 

天正十五年(1587)、氏真五十歳。苦悩しつつも定命を迎えて釈迦の涅槃寂滅の境地を想いつつ詠んだ一首。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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白目www


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(^^)


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モーメントをいくつかジミーに更新しているので見てくださいね(^^)
評伝今川氏真 みな月のみしかき影をうらむなよ
https://twitter.com/i/events/997419080008089600?s=13


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光秀命日の今日は玄旨/紹巴/氏真さんの一首を。

 

 千鳥
友千とりおなし所に立かへり跡こそ残れ和歌の浦浪(幽62)

 

細川幽斎玄旨の一首は天正十年(1582)冬。京都に戻って歌道の友と和歌の伝統を継承したいという想いか(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


 千鳥
友なしに成はつる身は千とり鳴浦の住家そうらやまれぬる(紹761)

 

翌年光秀死後「友なしに成はつる身」の紹巴は幽斎に素直に合わせず、恨み節のようだ。「浦の住家」こと丹後宮津城にいられる幽斎をうらやんで見せる (続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


 千鳥
風むせふ井せきの波に立添て夕河千鳥声そ寒けき(4―61)

 

氏真は天正十五年(1587)に玄旨紹巴に和した。古の歌聖を慕いながらも、夕方に鳴く孤独な千鳥の姿に歌道の世界でも孤独で不遇な自分を重ね合わせているようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

 朝かほの盛なるを見て
露の間にとむる心もあさかほの花をあたなるさかりとやみる(6―433)

 

慶長六年(1601)秋?朝顔がキキョウなら、そのはかなさから光秀を連想しているのかも知れない。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

 寄神祝
しきしまの道を心にちはやふる神世も今の世に残るらん(6―582)

 

慶長十年(1605)?歌道を通じて神代の精神を現代に受け継ぐ、という想いを詠んだ。冷泉家月次歌会で詠んだのか?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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嵯峨良蒼樹を武器にすると…
【形状】拳銃
【材質】魔物の牙
【特殊効果】装備すると異世界に行ける
https://shindanmaker.com/chart/905097-3797ff93e944a8711cb536027567f9f1db771770
#あなたを武器にすると #shindanmaker
https://shindanmaker.com/905097


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返信先:
@gon_roku
さん
ありがとうございます(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 閑居
我もなくうらやむもなくすむ庵はうつる月日もしつかなりけり(6ー563)

 

慶長十年(1605)?氏真六十八歳。嫡男範叙は仕官していないが、外孫吉良義弥は徳川幕府の高家となる展望が見えてきた。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


【訂正】氏真さんの嫡男は、範以ですのでお詫びして訂正します。m(_ _)m
ごめんちゃい(^_^)ゞ


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感動。
冷泉家は今川家と深い縁で結ばれています。駿河に度々下向して、今川家の歌道師範として義元公の歌を厳しく添削wしたり、氏真さんに古今伝授したり、京都に移住した氏真さんを月次歌会に招いたりしてます。
冷泉家所蔵史料の精査は日本史研究の進展に大いに貢献するはずです。
#今川復権


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久々に自分が書いた氏真さんの物語を再読。楽しいです(^^)
マロの戦国II 今川氏真合戦記
https://ncode.syosetu.com/n4346ds/


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氏真さんの小説は自分でなろうで書きました。『#マロの戦国』って言うんですけど(^^)

#あなたが欲しい推しグッズは
1:氏真が書いた小説
2:天正自伝本
3:今川氏真マグカップ
4:光秀のサイン
5:今川が描いた絵


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今日も氏真さんの一首を。

 

 述懐
さすか身の惜しからぬかはふるかひもなき(うき)世なれと(から)もあるか限は(3ー92)

 

天正六年(1578)?生き長らえる資格はないと自己嫌悪しつつも、生きていたいと正直に弱音を吐いた。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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返信先:
@buriburi41
さん
矢作川、豊川、浜名湖、天竜川、大井川、安倍川を渡らないといけないから、伝馬や飛脚のリレーでも二日かかりそうですね。
しかも雨で増水すればもっと大変だったのでは?


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返信先:
@norimoji_aya
さん
あるある(^^)


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鴨長明命日の今日も氏真さんの一首を。

 

 金閣は三重にして塔のごとし泉水野鳥多
朽もせぬいらかの庭にすむ水の流て影や世々に伝へん(1―53)

 

天正三年(1575)正月末、「水の流れ」は『方丈記』を意識していると思われる。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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返信先:
@buriburi41
さん
それがしも、噂を聞いた、という位の事だと思っています(^^)


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ABZOさん登場!


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返信先:
@buriburi41
さん
『甲陽軍艦』ベースで、今川方が乱取りしていたので織田勢の急襲に対応出来なかったという説がありますが、どの軍勢という記述はないです。
桶狭間周辺に略奪出来る程の集落がないという指摘があるので、義元の本隊ではなく朝比奈泰朝の軍勢の乱取りにしたんでしょうね。


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ま、永遠の25歳だから妥当かな。
最近あの世が見えるような気がするけどwww あのよぉwww

24歳 | あなた流のクレープを作ると、結婚する年齢がわかっちゃう診断


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義元公が毛利新助の指を食いちぎる(^^;)か、注目。


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足利将軍と中世仏教


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今日も氏真さんの一首を。

 

 牧笛
来しかたに牛追はなし(たてゝ)あけ巻の笛吹送る野への夕暮(3ー85)

 

天正六年(1578)?氏真は庶民の生活を丁寧に観察していたようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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ものすごいグラフ出ましたwww超清楚www

嵯峨良蒼樹さんの外見から感じる清楚さ・性格から感じる清楚さ・声から感じる清楚さを数値化

https://shindanmaker.com/chart/993182-8850fed6476731f7e12367f2b010d85351215d56
#あなたの外見から感じる清楚さ・性格から感じる清楚さ・声から感じる清楚さを数値化 #shindanmaker
https://shindanmaker.com/993182


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(^^)


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ストロベリームーンの今日は氏真さんの二首を。

 

 月前郭公
時鳥今一こゑの程ふれは月もやすらふ夏のよの空(3―27)

 

天正六年(1578)?氏真はホトトギスを好んだ。氏真はホトトギスから義元と将軍足利義輝を連想するのか?(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


 船中郭公
舟人よ梶とりなをせ郭公声する方をけふの泊に(3―28)

 

天正六年(1578)?将軍義輝の命日は義元と同じ五月十九日で、ホトトギスを辞世に詠んだという。氏真は義元五十回忌にもホトトギスを詠んでいる。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

 難忘恋
つらさのみいひつくしてもかひそなき思ひしすてむ心ならねは(2―81)

 

天正五年(1577)?調略に応じなかった武田方の今川旧臣や旧領回復を忘れがたい気持ちを暗示しているようにも読める。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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氏真さんがピッチャーで四番(^^)
キャッチャー紹巴(^^)

#あなたがよくつぶやく名前で打線を組んだ
1(左)天正
2(三)信長
3(遊)今川
4(一)今川氏真
5(中)光秀
6(二)今川義元
7(捕)里村紹巴
8(右)義元
9(投)氏真


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これは便利ですね。


安芸高田市歴史民俗博物館
@akitakatahaku
大内氏関係の膨大な文書目録がPDFになって掲載されています。年代順になっており便利です。

大内文化について|大内氏受発給文書目録| http://oouchibunka.jp/ouchishi/mokuroku/index.html
午前6:51 · 2020年6月4日


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気合いだーーー!!!
気合いだ気合いだ気合いだーーー!!!
(アニマル浜口風www)

戦国で勇名を轟かせる嵯峨良蒼樹軍団の旗印はこれだ!
 | ̄┃
|魂┃
|魂┃ /\
|魂┃/__\
|_┃( ・`ω・)
  ┃/━∪━⊃━━<>
  (ノ⌒∪

#足軽あなた #shindanmaker


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この歌を収めた「百首」(作品2)は天正三年(1575)とは対照的に未練、無念、傷心を感じさせる歌が多いです(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 旅泊浪
さなきたにうきにつらさあをしき波の音にあかしの旅ね久しも(き)(2―97)

 

天正五年(1577)?実際に明石に行ったか不明だが、牧野城を出て憂鬱な日々を過ごした後、上洛したようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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本能寺の変の今日は氏真さんの二首を。

 

 同心を 六月二日
みな月のみしかき影をうらむなよ在明の秌も有はてぬ世に(6―690)

 

「懐旧こゝろさす事有て 五月十九日」(6―688)と「五十年もけふに」(6―689)に続くため(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


義元五十回忌前後の慶長十四~十五年(1609~1610)に比定。続く一首もスキャンダラス。

 

いとけなき枕をかりのおも影のいつち六十年の夢と覚らん(6―691)

 

氏真が「いとけなき枕」を借りたのは家康の正室築山殿か!?(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


七十歳を過ぎた氏真(1538-1615)は「在明の秌も有はてぬ」天正七年(1579)八月二十九日の築山殿の死は信長の責任と考えて「うらむなよ」と呼びかけ、六十年近く前の築山殿との関係を回顧しているようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日は本能寺の変があった日。
『#麒麟がくる』では光秀が苦悩しつつ信長を討つだろうけど、それがしはこのメロディーに乗って「イェー」とか「成仏しろよ」とか言いつつレッツゴー本能寺するのが見たいwww
出演:光秀、ガラシャ、愛宕百韻ダンサーズ
#レッツゴー陰陽師
https://www.youtube.com/watch?v=PumFnlu9EIY


こっちも楽しいです(^^)
https://www.youtube.com/watch?v=4dfgVwH0QJE


愛宕百韻ダンサーズは連歌師里村紹巴、愛宕の威徳院行祐、愛宕大善院の宥源で(^^)
『#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ』で詳述しましたが、里村紹巴は野心家で、紹巴も行祐も光秀が信長をヤル気マンマンと知っていたはずです。
『#麒麟がくる』では是非取り上げてほしい(続


里村紹巴は貴顕に交わりたくて連歌師となり、三好長慶、近衛家、毛利元就、光秀、秀吉、関白秀次に次々に接近した野心家です。永禄十年(1567)富士見行で氏真の駿府にも滞在しました。氏真が信長の名物狩りに遭ったのも、『富士見道記』のせいかも!?
しかし信長にはほとんど相手にされなかったようです(続


里村紹巴は信長上洛後の永禄十一年(1568)から光秀としばしば連歌を行ったことが『連歌総目録』から明らかで、光秀からの手紙も残っています。行祐や宥源も光秀と紹巴の連歌仲間。紹巴は光秀の求めで『至宝抄』を書き始めましたが、未完のまま光秀が死去したので『至宝抄』を秀吉に捧げますw(続


里村紹巴は愛宕百韻だけでなく、本能寺の変直後の挙動も怪しいwww
信長を討った光秀が二条御所に立てこもった信忠を攻めている所にタイミングよく現れ、皇太子誠仁親王に自分の輿を譲った。安土城接収後上京途中の光秀に吉田神社で会い、夕食を相伴したと吉田兼見が日記に記しています(続


というわけで、『#麒麟がくる』では怪人里村紹巴と光秀&細川藤孝との親交や、信長とのすれ違いから愛宕百韻、本能寺の変後の光秀への協力までのストーリーもやってほしいです。本能寺の変前後に京都にいた氏真さんと信長の関係にも期待(続
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


もう一つ、『#麒麟がくる』を絶対面白くするのが、坂本城主となった光秀の屋形船!
天正二年(1574)十一月二日の山何百韻は「船中之御参会」で、細川藤孝も里村紹巴も参加。
翌天正三年(1575)五月には上京して紹巴の世話になった島津家久も光秀の屋形船で接待を受けています。氏真も可能性があります。

 


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(^^)


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今日も氏真さんの一首を。


 四五日こゝかしことして遠州に帰る
立出て涼しくも有か夕月夜外面は露も茂る夏草(1―331)

 

天正三年(1575)六月初め?徳川勢と共に駿府以東三保の松原まで侵入したが、駿河は確保できなかった。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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神社姫の助けで肥前の人々がコレラから救われた。
・・・これがホントのジンジャーエール、なんちゃって(^_^)ゞ


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(^^)


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五月最後の今日も氏真さんの一首を。

 

五月雨の名残の露に有明や松のうはせに積るうす雪(草―98)

 

天正十九年(1591)五月末、秀吉に赦免された北条家を高野山に訪ねた後、自身は閑居の日々に戻ったようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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静岡に…静岡に行きたいです
(;´д⊂)
(三井君風)


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(^^)


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クリリン(^^)


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今日は湖西の日だそうです(^^)


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まとめてフォローバックしたアカウントさんをミュートし忘れたのに今気付きました。
ご迷惑をお詫びします。m(_ _)m


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御意(^^)
それがしも宗秀斎さんの作品を拝見する度、氏真さんを始め戦国時代の人々が見ていた風景に思いをはせています。(^^)


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御意(^^)


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氏真さんのこの一首がふさわしいですね(^^)

 

 金閣は三重にして塔のごとし泉水野鳥多
朽もせぬいらかの庭にすむ水の流て影や世々に伝へん(1―53)

 

天正三年(1575)正月末、水面に映る金閣の姿が後世に伝わると詠んだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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なにをするだー!www


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スイートな蜜ですか?(^^)


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ひじりwww半分ブッダ(オダブツ)?

嵯峨良蒼樹さんを漢字1文字にすると

  【 聖 】

#あなたという人を漢字で #shindanmaker


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ウヒヒ

━┓
上┃
流┃⬅カリオストロ城伯 嵯峨良蒼樹閣下
階┃
級┃
━┫
中┃
流┃
階┃
級┃
━┫
下┃
層┃
階┃
級┃
━┛
#身分早見表 #shindanmaker


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サガラは、一人が、好き…ブヒヒ

嵯峨良蒼樹はコミュ障度100%【ザ☆コミュ障】とにかく人と関わりたくないタイプ。ずっと部屋に閉じこもっていたい根暗。SNSでは性格が180度変わる。
#コミュ障度診断


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愛宕百韻のあった五月二十八日は本能寺の変容疑者細川幽斎、里村紹巴と氏真さんの「帰雁」を。

 

 帰雁
おもはすよ都はなれて北に行かりの鳴ねにともなはんとは(幽10)

 

幽斎は思いもよらない本能寺の変のために都を離れて丹後宮津に蟄居したことを嘆いた(続

 

 

次は愛宕百韻の参加者紹巴が幽斎の百首の題に合わせて詠んだ百首の中の一首。

 

 帰雁
行鴈の心にそ知夏かけてこしちや花の盛りなるらん(紹710)

 

こちらは幽斎が題を借りた正親町天皇の歌を踏まえたもの。ちなみに紹巴は野心家で「大剛の人」と言われており、光秀とも懇意だった(続

 

こちらは氏真の一首。氏真は幽斎と紹巴の百首を借りて和した。

 

 帰雁

古郷に帰る友とや暁の夢をさそひて雁の行らん(4-10)

 

幽斎の境遇を思いつつも、暁の夢は本能寺の変を暗示しているようだ。
なお、後年同じ「帰雁」で詠んだ一首が興味深い(続


 帰雁
捨らるゝ花のうらミの面かけをつはさにそへて帰かりかね(6―560)

 

捨てられた花が光秀の桔梗紋の暗示であれば、氏真は幽斎が光秀を見捨てて丹後に引きこもったと考えて、光秀に同情していることになる。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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御意(^^)


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五月二十八日は天正十年(1582)に愛宕百韻があった日。


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百人一首の日の今日も氏真さんの一首を。

 

 寄神述懐 人のよみし次に
うたかはし誓は世ゝの神かきのいにしへ今となと隔つらん(6ー139)

 

天正八年(1580)秋、築山殿死後恨みを抱きつつも、京都で歌会に参加していたようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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御意(^^)


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#今川復権 の同志ですから。
新田さんの情報もいつもありがとうございます(^^)


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御意(^^)


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牧野城を出た氏真は遁世するつもりだったようなので、旧臣の取り込みも諦めてしまったと思います。ただ、甲州征伐の時武田方から帰参した旧臣が酒井忠次経由で徳川家に仕官できた例もあるので、結構運の要素も大きいように思います。


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リプがwwwwww


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二極対応ですか?もう少し説明をお願いします(^^)


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この冬に詠んだ長歌から察するに、氏真さんは武田方の今川旧臣に呼びかけたが、よい返事が得られなかったようです。氏真が牧野城を出たのは、彼らと戦いたくなかったからと思われます。


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今日も氏真さんの一首を。

 

 於諏訪原折〱書留之
露霜に浅茅か原は打しほれさひしく残る野菊一本(1ー398)

 

天正四年(1576)秋、武田方の今川旧臣調略が進まず憂鬱だったらしく、この頃の歌には覇気が感じられない。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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木俣さんかわいそう伝説www


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諏訪原城には今川氏真さんが入城して、「於諏訪原折〱書留之」という詞書で思い通りにならない気持ちを歌に詠んでいますよ(^^)
#今川復権


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ごはんをおかずにごはんを食べる人wwwせめておかずはライスにしたいwww

嵯峨良蒼樹さんは

ごはん
ごはん
ごはん
ごはん
ごはん
ごはん
ごはん
ごはん
ごはん
ごはんです
#shindanmaker


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www


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今日も氏真さんの涼しげな一首を。

 

 夏月
緑なるかけいさよひて夏山の木間出やらぬ月そ涼しき(6―303)

 

天正十六年(1588)夏?この頃の動向は不明だが、秀吉政権下で北条家の姻戚として微妙な立場だったのでは?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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ありがとうございます(^^)
もう少し落ち着いたら義元公銅像も見に行きたいです(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 述懐

あらはれんことわさもなき身をしらてかくるゝ世そと恨ぬるかな(6ー260)

 

天正十三年(1585)。氏真は不遇を嘆きつつも、さしたる功績もない己が身を振り返ったようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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それがしは四川料理の店で先輩と根性比べして、店員が止めるのを聞かずに唐辛子だけをかみしめてあの世が見えましたwwwwww


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一乗谷から出土した将棋の駒には「酔象」というのがあったそうです(^^)


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そういうこと(^^)


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よかったです(^^)


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(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 船中月 当座
舟出せし程やへぬらん夜中嶋都の空に月かたふきぬ(6―172)

 

天正十年(1582)秋?琵琶湖上から西方の都の空を眺めたのか?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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ジャギ様のような逆転の発想もありですぞ(^^)
すいません、おちゃめしただけだよーん(^_^)ゞ


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今日は氏真さんの二首を。

 

 長篠後詰のほと毎日備ありて同廿一日甲州勢敗軍 
 廿五日迄山中さかし出すとて張陣廿七 
 日駿河筋動所々放火其ひま〱に
目路絶て雲のをりゐる賤機の山も緑の五月雨の頃(1―326)

 

天正三年(1575)長篠合戦。(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

 

こちらは置塩家文書から。

 

 祝言
あきらけきめくみあらなん天てらすひかりを君になそらふる代は(島―5)

 

島田市博物館は天正五年(1577)と推定。「詠草中」での「深雪」の位置からは冷泉家歌会は慶長八年(1603)前半の可能性あり。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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(^_^)ゞ


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www


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返信先: @buriburi41さん
そのバージョンもありかも(^^)


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返信先: @buriburi41さん
(^^)


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返信先: @azusanakazawaさん
「眠くない!」(真田丸風)(^^)


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返信先: @buriburi41さん
で、でん、ででん、うーじざねぇ、おーんどぉー、という感じ?(^^)


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返信先: @buriburi41さん
今川氏真音頭は、あの永禄十一年(1568)風流踊りで氏真公が自ら頬かむりして太鼓を叩いた時の演奏曲であったとされる。(民明書房刊『突撃!氏真の朝ご飯!』より


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返信先: @buriburi41さん
なるほど(^^)
桶狭間を越えるんですね(^^)


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返信先: @Commander_Nittaさん
そのくらいの人数だと想像します(^^)


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返信先: @buriburi41さん
麒麟がくるにも出てきそうな(^^)


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今川ぁ、一人ぃたぁびぃーwww

#あなたのファーストアルバム収録曲
・今川復権一人旅
・サガラと君が言うそれだけで
・麒麟がくるが輝く夜に
・ゲームじゃないと駄目ですか?
・回転寿司サーカス
・今川氏真音頭
・永禄ワンダーランド
・ドラゴンコロナ
・ド…


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おおっ!www


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今日は島田市博物館置塩家文書から氏真さんの一首を。

 

 祝言
水上の清き世なれやなかれての末の身まてもすみよかるらん(島―6)

 

島田市博物館『女戦国大名寿桂尼と今川氏』では天正五年(1577)と推定されているが、サガラには異説あり(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


牧野(諏訪原)城付近で見つかり「仏名」(島―3、4)の二首が出家者にふさわしいため氏真が牧野城を離任した(サガラは「解任」とは考えない)天正五年と推定したようだが、「深雪」(島―2)は「詠草中」(6―549)と一致(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


「詠草中」の「深雪」(6―549)は冷泉家歌会と同一の題が登場する前の位置にあり、冷泉家歌会は慶長八年(1603)五月に始まっている。となると、氏真が慶長八年(1603)前半に島田市周辺を訪れた可能性も否定できない(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


そう考えると、「祝言」の歌は家康の将軍就任をことほいだ可能性がある!
「水上の清き世」は清和源氏による清き世を願ったのでは?ちなみに愛宕百韻では威徳院行祐が脇句(第二句)で「水上まさる庭のまつ山」と詠んでいる(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


サガラはこれを大坂にいる丹羽の軍勢にも水上、すなわち源氏の光秀が勝つでしょう、と信長打倒を決意した光秀に賛同したと解釈した。
以上。今日も氏真詠草研究で新たな発見があった。幸せ(^^)
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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週刊 #今川氏真 詠草&#おんな城主直虎 の不都合な真実 Vol.27 6月21日号
(2020/05/21-06/21)