毛利元就公御内室大方様在所趾、毛利秀包の出生の秘密、下関市秋根本町 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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毛利元就公御内室大方様在所趾 普賢寺 下関市秋根本町

乃美大方の墓(灰塚)(ねりえ日和より)

毛利秀包(もうりひでかね)  毛利家随一のイケメンで勇猛な武将。その出生の秘密。

母は毛利元成側室  乃美大方(のみのおおかた)  小早川氏一族の乃美隆興の娘

永禄10年(1567)  なんと元就(71歳)にして子ができた。

だが育てる許可はでなかった。大方は吉岡小兵衛を呼び密かに育てさせた。秀包5歳(元亀2)  大方は元就に秀包を対面させた。「命を奪うことができず私が育ててきました」と。元就(76歳)は子を見るや頭を叩いて喜んだ。秀包に備後の国  戸坂氏の遺領を与えた。・・・

辛うじて命を繋いだ秀包。その後、毛利家の為に大きな役割を果たすのであった。

(瑞光公久留米候傳より)