★ファンタジスタ | 海外へサッカーで冒険を目指す少年とそれとは違う野望を持つただのオッサンの話

バッジョはロマーリオよりジーコとよく似ている。

俊敏なフットワーク、完璧なボールタッチ、決定力の高さ、何よりプレーのアイディアがよく似ている。


 ジーコは典型的なブラジルの10番だった。ペレを筆頭にロベルト・リベリーノ、ソクラテス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、ネイマールと受け継がれていった特有のポジションとプレースタイルである。


 ブラジルの10番が特殊なのは、そのスタイルゆえだ。わかりやすい特徴として、複数のDFをごぼう抜きするドリブルがある。特にフェイントをかけるでもなく、するすると人の間を抜けていく。


これ自体はブラジルの10番固有というわけではなく、ディエゴ・マラドーナやヨハン.クライフあるいはポール・ガスコインなども持っていた特徴だ。9番のロナウドやロマーリオにもこのドリブルはある。

 ブラジルの10番が違うのは、この推進力をドリブルだけに使わない点だろう。


 DFDFの中間点に意識がある。

だから間をすり抜けられる。そして、それをいつでもパスに変えられる。

すり抜けられないようにDF間が閉じれば、その脇は必ず開く。

右へ動いているDFに左側は守れない。10番はその守れない場所へドリブルするかパスを通す。

ドリブルでDFのゲートを次々に突破していくのは、最初からそれを決めているわけではなく、いわば成り行きでそうなっているだけで、門が閉じていればいつでもパスに変えられる。だからこの手の選手がいれば攻撃力は格段に上がる。

ファンタジスタは疑いなくこの才能を持っていた。


 問題はファンタジスタが孤立していたことだろう。このタイプの最高峰と言えるリオネル・メッシを考えれば話は早いかもしれない。


バルセロナでのメッシとアルゼンチン代表のメッシは、同じ選手には見えないことが多かった。チーム全体のスタイルと連係できる味方の人数の差だ。

 イタリアのサッカーにブラジル型の10番はいない。ジャンニ・リベラの時代はいた。クラブで見ればマラドーナとミッシェル・プラティニの1980年代まではまだあった。しかし、バッジョの90年代はいなくなった。人がいないのではなく、そのポジションと役割を消滅させてしまったからだ。


 天性の守備ブロックバスターの価値が認識されていなかったのだと思う。攻撃はカウンターアタックから1人で得点できるソロアタッカーが重用された。ロングボールを先に拾える走力、カウンターの途中で発生するコンタクトプレーでの強さ、強引にでもシュートできる個の技術を持ったFWたちが活躍している。


ファンタジスタが必要か?必要じゃないか?

ではなく、確実にDF間をスルスル抜けるドリブルやパス、人との違いを生み出せる選手は、必要だ。


同じような、個性を無くすトレーニングをしてもファンタジスタは個性を放つ。

それくらいの強い個性が無いとファンタジスタを維持できない。


ファンタジスタの絶対条件はキックが巧いこと。


これを忘れてはならない。

個性を消す、トレーニングや設定でも生き残る強い個性を育てていきたい。