バッジョはロマーリオよりジーコとよく似ている。
俊敏なフットワーク、完璧なボールタッチ、決定力の高さ、何よりプレーのアイディアがよく似ている。
ジーコは典型的なブラジルの10番だった。ペレを筆頭にロベルト・リベリーノ、ソクラテス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、ネイマールと受け継がれていった特有のポジションとプレースタイルである。
ブラジルの10番が特殊なのは、そのスタイルゆえだ。わかりやすい特徴として、複数のDFをごぼう抜きするドリブルがある。特にフェイントをかけるでもなく、するすると人の間を抜けていく。
これ自体はブラジルの10番固有というわけではなく、ディエゴ・マラドーナやヨハン.クライフあるいはポール・ガスコインなども持っていた特徴だ。9番のロナウドやロマーリオにもこのドリブルはある。
ブラジルの10番が違うのは、この推進力をドリブルだけに使わない点だろう。
DFとDFの中間点に意識がある。
だから間をすり抜けられる。そして、それをいつでもパスに変えられる。
すり抜けられないようにDF間が閉じれば、その脇は必ず開く。
右へ動いているDFに左側は守れない。10番はその守れない場所へドリブルするかパスを通す。
ドリブルでDFのゲートを次々に突破していくのは、最初からそれを決めているわけではなく、いわば成り行きでそうなっているだけで、門が閉じていればいつでもパスに変えられる。だからこの手の選手がいれば攻撃力は格段に上がる。
ファンタジスタは疑いなくこの才能を持っていた。
問題はファンタジスタが孤立していたことだろう。このタイプの最高峰と言えるリオネル・メッシを考えれば話は早いかもしれない。
バルセロナでのメッシとアルゼンチン代表のメッシは、同じ選手には見えないことが多かった。チーム全体のスタイルと連係できる味方の人数の差だ。
イタリアのサッカーにブラジル型の10番はいない。ジャンニ・リベラの時代はいた。クラブで見ればマラドーナとミッシェル・プラティニの1980年代まではまだあった。しかし、バッジョの90年代はいなくなった。人がいないのではなく、そのポジションと役割を消滅させてしまったからだ。
天性の守備ブロックバスターの価値が認識されていなかったのだと思う。攻撃はカウンターアタックから1人で得点できるソロアタッカーが重用された。ロングボールを先に拾える走力、カウンターの途中で発生するコンタクトプレーでの強さ、強引にでもシュートできる個の技術を持ったFWたちが活躍している。
ファンタジスタが必要か?必要じゃないか?
ではなく、確実にDF間をスルスル抜けるドリブルやパス、人との違いを生み出せる選手は、必要だ。
同じような、個性を無くすトレーニングをしてもファンタジスタは個性を放つ。
それくらいの強い個性が無いとファンタジスタを維持できない。
ファンタジスタの絶対条件はキックが巧いこと。
これを忘れてはならない。
個性を消す、トレーニングや設定でも生き残る強い個性を育てていきたい。