カトリック情報 Catholics in Japan

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労働者聖ヨゼフ 

2024-05-01 00:00:05 | 聖人伝
労働者聖ヨゼフ                                   祝日 5月 1日



 1955年ピオ12世教皇は、メーデーを聖なるものとするために、”労働者聖ヨゼフ”の祝日を制定された。なぜなら、ナザレトのこの謙遜な、しかも偉大な労働者聖ヨゼフには、すべての労働者の保護者となる資格が備わっているからである。神が人間に労働をお定めになったのは、罪の罰のためではなく、神の創造の御業に協力させるためである。罪が世に入ったからこそ労働は辛くなったものの、もともと、それは人間の偉大さを示すためのものである。聖書もこのことを強調し、第2バチカン公会議も強調した。キリストご自身でさえ、公生活をはじめる前に大工の仕事をなさっておられた。聖ヨゼフは、この労働で聖家族を養い、同時にイエズスのために、そしてイエズスと共にさまざまの困難を乗り越え、この労働の救いの御業に協力されたのであった。
 しかし、現代では無神論的な思想が広がり、そのために労働は神の御計画とは全く無関係なものとみられるようになった。労働は自分の権利を守るために神を無視して自分の力だけで立ち上がるようにと誘惑者たちにそそのかされた。そのためにこそ、メーデーは神とその教会を非難する行事とさえなってきた。それにしても聖なる公教会は、より大きな正義と自由を得るために労働者階級の努力を認め祝福する。ピオ12世、特にヨハネ23世の「マテル・エト・マジストラ」、パウロ6世の「ポプロルム・ブログレシオ」という回勅に与えられた指導をすべての信者がよく研究し、まだ十分に守られていない所を反省するように今日の祝日ははげましている。






聖ピオ5世教皇   St. Pius V. P. P. 

2024-04-30 00:00:05 | 聖人伝
聖ピオ5世教皇   St. Pius V. P. P.          記念日 4月30日



 1565年にピオ4世教皇が亡くなった時、最適任者としてそのあとを継いで教皇となったのは、アントニオ・ミカエル・ギスリエリで、彼は1556年に司教に任命されるまで、ドミニコ会の学校で哲学と神学を教えていた。

 ピオ5世として教皇の座についた時、教皇登位を祝う代わりに、その費用を全部ローマ市内の貧しい人々や、経営困難の修道院に送った。司教や司祭は信者達から遠く離れて住むべきではないとして、司教区と小教区に住まわせ、ローマ市街における闘牛や動物いじめを禁止し、日曜日を聖日として守るように勧め、月に一度、特別な法廷を開いて、不正に扱われている者を招いて、その言い分を聞くようにした。

 1571年、トルコ軍が東欧のキリスト教国を侵略し、大艦隊を連ねてイタリアへ向かってきた。ピオ5世教皇はヴェネツィアとスペインの君主と協議して連合軍を組織し、敵を迎え撃つことにした。同年10月レパントの戦いでトルコ軍は撃滅された。ピオ5世の教皇としてわずか6年しか在位しなかったが、偉大な業績を残したのであった。










人々が地獄に落ちる理由  聖ジャシンタ・マルト

2024-04-29 20:11:15 | 格言・みことば
人々は主の死について、考えもしないし、償いもしないので、滅びてしまいます

聖ジャシンタ・マルト



9-3-3 クロンウェル登場

2024-04-29 19:14:56 | 世界史


『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年
3 イギリスのピューリタン革命
3 クロンウェル登場

 一六四二~六〇年にわたるピューリタン革命がはじまったが、あいたたかう国王派と議会派とは、どんな人びとからなっていたか。
 同時代人の証言によると、国王派に味方したのは貴族、ジェントルマンの大部分とその下の農民などであり、議会派にはしったのは貴族、ジェントルマンの一部とヨーマン、商工業者などであったという。
 そしてイギリスでは貴族・ジェントルマンが一団となって一方の味方につくということはなく、現実には地方的利害とか、親族関係などが大きな役割を演じ、事態をもっと複雑にしていた。
 地理的には商工業が発達し、富裕な東部、南部が議会派の、おくれた西部、北部が国王派の地盤となったが、毛織物生産地帯やロンドン、ハル、プリマスなどは議会派に属した。
 宗教上では、議会派にはピューリタンが多かった。国王派の大部分は国教に属し、一部にカトリック教徒がいた。
 革命の初期は国王軍が優勢であったが、議会軍の劣勢を建てなおしたのがオリバー・クロンウェル(一五九九~一六五八)である。
 クロンウェルは自分でいっているように、「生まれながらのジェントルマン」で、ピューリタニズム色のつよいケンブリッジ大学に学び、父の死にあって退学したが、のちロンドンにでて法曹学院にはいった。
 結婚したのち、彼は故郷に帰り、父の残した土地の経営に従事した。
 このころ信仰の目ざめを体験し、神によって選ばれたものであるという意識をもち、一人のピューリタンとして人生を歩むこととなった。      

 クロンウェルは開戦とともに議会軍に加わった。
 そして東部連合の諸州から、敬虔(けいけん)で献身的なピューリタンのヨーマンを集めて、騎兵隊を組織し、一六四四年七月、王軍を、ヨーク西方のマーストン・ムーアで破った。
 この騎兵隊が鉄騎隊とよばれたものである。
 しかしはじめ議会派の主導権をにぎっていた貴族は王との妥協を欲し、徹底的に戦うのを回避する傾向があった。
 エセックス伯もそうであったし、司令官のマンチェスター伯はいった。
 「我々が王を九十九回やぶっても、王はなお王であり、また王の子孫も王となろう。だが王が一回でも我々をやぶれば、我々は首をくくられ、子孫は奴隷とされよう。」
 クロンウェルはこういう司令官をいれかえ、鉄騎隊にならって軍隊を改組することに決意した。
 そして一六四五年二月、編成されたのが「新模範軍」である。
 これはピューリタニズムを精神的支柱とし、革命遂行のため能力本位に編成され、誰でも隊長に任命された。
 そしてクロンウェルがその副司令官の地位についた。
 新模範軍は一六四五年六月、国王軍をネーズビーの戦いにおいて徹底的にやぶり、二年後、国王軍の本営のあるオックスフォードを陥落させた。
 この間、王はスコットランドにはしったが、交渉がまとまらず、一六四七年一月スコットランドは王を議会軍の手にわたした。



円安は輸出に有利なのか?

2024-04-29 07:33:07 | 時事


 単純に判断するとその通りですが、日本円の価値がこのまま下落していったとして、日本が高度成長期のように円安をバネに輸出大国に転じることができるかは、怪しいでしょう。勿論、部分的にはできるでしょうが、時間はかかりますし、かつてより競争率は高く、産業の構図も複雑です。


①、日本で進行する産業空洞化

 かつて、日本は製造業で栄えました。自動車は勿論のこと、半導体から船舶から、多くの工業製品の数割~過半が日本で製造され、輸出され、日本はその利益で潤いました。しかし、長く続いた円高と不況によって、国内の産業は窒息してしまい、工場の多くは経費の安い海外へと出ていってしまいました。

 円安になれば、構図はかつてと似てきますから、海外移転した工場も、再び国内に戻って来てくれるかもしれません。しかし、それには、多くの課題があります。


②、技術格差

 日本の衰退の主因が円高にあったにせよ、他にあったにせよ、既に日本は多くの分野で、その部門の主要国と比べて技術的に遅れており、5年から10年の格差があります。自動車部門は別ですが、半導体をはじめ多くの分野で、日本の各企業は撤退して久しく、かろうじて残っていても、中国・韓国・台湾・米国などと比べて、技術的に劣っています。

 工場を日本に作っても、失われた技術、ノウハウ、職人、下請け、これらを再び培うのに、時間がかかるでしょう。部分的に海外から輸入すれば補えますが、その面は、円安の恩恵を受けることはできません。


③、海外企業の誘致

 こうした点は、最近、政府主導で台湾の半導体企業TSMCの工場を熊本県に誘致したように、外国企業の工場の国内誘致をすれば、手っ取り早く解決できるかもしれません。彼らは、ノウハウも技術も持っています。そして、外国企業であれ、工場が日本で操業すれば、その従業員はじめ、関連企業や周辺の商業施設は潤います。

 ただし、彼らは日本発祥の企業ほど、日本国内にその利益を再投資してくれるかはわかりませんし、独自の企業間貿易をしているでしょうから、どこまで日本の下請けに頼ってくれるかはわかりません。そもそも、国内の下請け企業の多くは、この30年の間に厳しい円高と輸出不振で廃業してしまったのですが。この点は、日本企業が国内回帰した場合でも、同じことが言えるかもしれません。

 さらには、これから国内回帰する日本企業、新たに日本から企業が育つ場合、これらの外国企業の支社・工場は、強力なライバルになるでしょう。

 稼いだお金を落としてくれるか、法人税がどこまで取れるか、下請け企業の育成に時間がかかる(その間は、工場誘致の恩恵も半減)、国内に日本企業のライバルを作ってしまわないか、これらが、不安点です。


④、日本の慢性的な労働力不足

 高齢化と少子化が進行中の日本では、大変な労働力不足です。今現在は、新興国・発展途上国から、技能実習生などと称して極めて廉価で外国人労働者を雇うことによって、その点を補っています。ところで、円安が進行すれば、外国人にとって日本で働くメリットはなくなるので、新たに来なくなるし、今、来ている人も帰国してしまうでしょう。

 そうなると、誰が工場で働くのでしょうか。産業育成をしようにも、実は労働力の面で日本は問題を抱えています。


⑤、多すぎる競争相手

 戦後~高度成長期の1950~1970年代とは、大きく違う点は他にもあります。かつて未開発であった、中国、アジア各国、インド、アフリカ、その他、多くの国々が開発され、産業が育成され、各国企業が工場を作り・・・つまり、競争率が高すぎるのです。

 いかに円安とはいえ、日本は、インドの低開発地域やミャンマー、バングラデッシュなどのさらに物価の安い地域・国々とも、コスト面で戦っていかなければいけません。これらの国々も、さらに開発されていくでしょう。

 だからといって、日本の製造業が復興できないというわけではないのですが、かつてほどの恩恵は享受できなくなっているでしょう。かつてと比べて、競争相手が多すぎるのです。


結論:
 これらすべてを勘案すると、円安は思ったほど日本の輸出拡大と繁栄に寄与してくれるとは限らず、寄与してくれるとしても、それは部分的で、かつてほどではなく、時間もかかる可能性が高いのです。

 円安を輸出と結びつけて喜ぶ方もいるかもしれませんが、それは少し早計で、もっと用心して事態を見守る必要がありそうです。