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公教要理図解:第7図 使徒信経 三日目に死者の内より甦り給う

2021-11-26 17:17:29 | 要理(カテキズム)
「第7図 使徒信経 三日目に死者の内より甦り給う」『公教要理図解』ワグネル神父


3日目に死者の中より甦り給うとは、イエズスが御死去の後3日目に、その全能の力をもって、御霊魂を御肉体に合わせ、御墓より出給うたということである。


イエズスの御肉体は3日のあいだ、すなわち金曜日の午後から日曜日の朝まで御墓の中に止まり給うた。


イエズスがその御復活を世界の末日までお引き延ばしにならなかったのは、イエズスが天主であることを証拠立てるためである。また、御死去の後直ぐに復活し給わずして、3日の後になされたのは、イエズスが真の人間であることと、真に御死去なされたということとを証拠立てるためであった。

◎御あらわれ


イエズスが実際に御復活し給うたということは、イエズスが御復活の後にしばしばイエズスを見た使徒等と、弟子等の証拠によってわかる。


イエズスは御復活なされた日、ひと所に相集まっていた使徒等に現れ給うて、罪を赦す権能をお与えになった。


数日の後には、ガリラヤの海において漁をしていた使徒等にあらわれ、その中の一人を教会の首領となされた。その一人とは、すなわち聖ペトロのことである。


御昇天の前に使徒等にあらわれ、福音を万国に宣べ伝えることを命じ給うた。これは、イエズスの最後の御あらわれの時であった。


使徒等は、イエズスが、実際に御復活なされたことを証拠するために、皆その生命を捨てたほどである。その証拠を強めるために、生命を捨てる者は決して詐欺をする者ではないはずである。ゆえに、我等は使徒等の証拠によって、イエズスの御復活を堅く信じねばならぬ。

◎御復活し給える御肉体の特質


御復活なされたイエズスの御肉体は、御光栄(さかえ)あるものであって

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第1 苦痛を感じ給わない者、すなわち苦しむことも死ぬことも出来給わぬ者である。

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第2 光明を放ち給う者、
   すなわち、太陽のように光り輝く者であったが、
   御昇天の時まで、その光明を現し給わなかった。

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第3 敏速なる者、すなわち雷光のように至って速いものである。たとえば、瞬時に地から天へ至り給うというほどである。

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第4 障害を受け給わぬ者、すなわち、どのような石でも、大山でも、
   そのまま少しも損なうことなく、自由自在に通り給う者である。
   この特質をもって居られたから、御墓の石扉をも
   取り除けずに、そのまま出給うたのである。

●御注意までに申し上げる。復活後の善人等の肉身も、また、この4つの特質を有するのである。

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イエズスは、その御霊魂を再び御肉体に御合併なされてから、傷痕はたいがい消してしまわれたが、ただ、その手足脇腹の傷だけは御残しになった。

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そのわけは、
第1 使徒等にその傷痕を示して、御復活の真実なることを証拠する
第2 御父の天主にその傷痕を示して我等のために願い
第3 御自分が罪人等のために苦しめられ給うたことを、公審判の時に
   お見せなされて、彼らを怖れさせ給うため
である。

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イエズスの御復活は最も必要なことであった。なぜならば、イエズスは、御父の天主の思し召しに従って、飽くまでも侮辱され、苦しめられ給うた。
そのかわりに、御父の天主は、イエズスの栄誉を現すために、この復活の光栄をもってし給うたのである。このことについては、聖パウロもフィリッポの教会に贈る手紙の第2章第8節に、「イエズス・キリストは己を卑しくし、死に至るまで従い、十字架の死をさえ受けるに至れり。このゆえに、天主は、甚だしく彼を崇め、諸々の名に勝る名を与え給えり」と申した。

◎絵の説明

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この絵は、イエズスが御復活なされたときの光景である。

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絵の左方に、数人の婦人が遙かに見える。
この婦人は、福音書によると、「イエズス・キリストの御肉体に香を塗りつけようと、日曜の朝早く、御墓を指して出かけたところが、大地震があった。
 主の使いが降り、近づいて石を転がし除け、その上に座した。
 その形は、雷のようであり、その衣服は雪のようであった。
 番兵等は、恐れおののいて死人のようになった。」
(聖マタイ福音書28章2節より4節まで)

婦人等は、墓に参りてその中を窺いましたら、
右の方に白い衣服を着た少年(天使)が座しているのを見て驚き怖れました。彼は婦人に言いました。
「おそれるなかれ。
 なんじらは、十字架に釘付けられ給うたナザレトのイエズスを尋ねたが、彼は復活し給いて、ここには居られない。
 イエズスの置かれていたところを見なさい・・・・」
(聖マルコ福音書第16章56節)   





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