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神を排除した世俗主義国家の行きつく先 教皇ピオ9世 回勅「クヮンタ・クラ」

2022-01-17 07:36:50 | 格言・みことば
 私たちの国イタリアでは、最近の一連の出来事の生じる以前にも、道徳的および社会的混乱には欠くことがありませんでした。しかるに、昨今私たちはどれほど痛ましい光景を目の当たりにしていることでしょうか。家庭の和の基(もとい)となる敬愛の念は大幅に減じ、父親の権威はあまりにもしばしば子供たちに、また両親自身によっても認められていません。往々にして家庭内には不和がはびこり、離婚は日常茶飯事です。市民間の反目ならびに諸階層間の遺恨に満ちた憤慨は、街々で日ましに増大しています。誤った自由の精神 の中で育った新しい世代、上からのものも下のものも 何一つとして敬おうとしない世代が街々に解き放たれ、市街は悪徳への扇動、若年者による犯罪、公のスキャンダルであふれかえっています。

 国家は天主と人間の権利を相互の調和した普遍性において認め、保護し、援助するという気高く尊い職務を快く受け容れ、それに甘んじるべきです。

 しかし今や、国家は自らを判定者と思いなし、これらの権利をあるいは否認するか、あるいは思うがままに制限するのです。そして(結果的に)社会秩序全般がその基盤から揺るがされています。書籍と新聞、学校ならびに大学、各種のクラブと演劇、種々のモニュメント および政治的演説、写真ならびに美術、といった具合に、一切のものが知性をおとしめ心を変節させるべく共立って働いています。そんな中、圧迫され受難を被る人々は震えおののき、無政府主義的党派が台頭しています。労働者階級が頭をもたげ、社会主義、共産主義、無政府主義の隊伍を飛躍的に増大させています。

 人格が喪失し、いかに気高く困難を耐え忍び、自ら自身を雄々しく救済するかをもはや知り合わせぬ多くの人々が、臆病に他ならぬ自殺によって自らの生命を奪っています。

教皇ピオ9世 回勅「クヮンタ・クラ」 1864年12月8日







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