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公教要理図解:第57図 四終 審判

2022-05-16 13:39:05 | 要理(カテキズム)
「第57図 四終 審判」『公教要理図解』ワグネル神父

1
一般の説によれば、私審判(ししんぱん:第10図の8参照)は、人ば死ぬとただちにその所において行われるのである。


私たちが死後、霊魂はイエズス・キリストの御前において、その為した行為について審判を受けるのである。そして、この審判によって永遠の快楽、あるいは永遠の苦痛に決定されるのである。


私たちがどれほど、この審判のことを思わねばならぬか、また、どれほどそれに対して覚悟を致さねばならぬかということを、福音書は次のように教えています。

<ファリサイ派のパン種>
とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が、足を踏み合うほど集まって来たが、まず、イエズスは弟子たちにお話になった。
「ファリサイ派の人々のパン種に警戒しなさい。
 それは偽善である。
 覆われているもので現れないものはなく、
 隠されているもので知られないものはない。
 それゆえ、あなたたちが暗闇で話したことは、
 明るみで聞かれ、 奥の部屋で耳にささやいたことは、屋根の上から宣べ伝えられるであろう」

<誰をおそれるべきか>
「また、わたしは友人であるあなたたちに言っておく。
 体を殺しても、その後、それ以上、何もできない者どもを恐れてはならない。
 だれを恐れるべきかをあなたたちに教えよう。
 殺した後で、地獄に投げ込む権力をもっておられる御者を恐れなさい。
 そうだ、あなたたちに言っておく。
 そのかたを恐れなさい。
 5羽のスズメは、2アサリオンで売られているではないか。
 それにもかかわらず、神の前では、その一羽さえも忘れられてはいない。
 あなたたちは、多くのスズメよりも、もっと値打ちのあるものである。

<キリストを宣言する者>
 さらに、あなたがたに言っておく。
 私の味方であると、人々の前で宣言するものすべてを、
 人の子もまた、神の使いたちの前で、自分の味方であると宣言する。
 しかし、人々の前でわたしを認めない者を、
 わたしもまた、神の使いの前で認めないであろう。
 また、人の子をあしざまに言う者はすべてゆるされるが、
 しかし聖霊を冒涜する者はゆるされない。
 人々があたたたちを会堂や役人や権力者たちの前に連れて行ったとき、
 どのように弁明しようか、または何を言おうかと心配することはない。
 言うべきことは聖霊がそのときに教えてくださるからである。」

<目を覚ましておれ>
あなたたちは腰に帯をしめ、灯火をともしていなさい。
あなたたちは主人が結婚の披露宴から帰ってきて戸をたたくとき、
すぐに開けようと待っている人のようにしなさい。
主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られるしのべたちは幸いである。
あなたがたによく言っておく。
主人が帯をしめて、そのしもべたちを食卓につかせ、そばに来て給仕
してくれるであろう。
主人が真夜中や、夜明けごろに帰ってきても、
そうしているのを見られるならば、そのしもべたちは幸いである。
あなたたちも、次のことをわきまえていなさい。
もし家の主人が、盗人がいつやってくるかを知っているならば、
みすみす自分の家に忍びこませはしないであろう。
だから、あなたたちも用意していなさい。
思わぬ時に人の子は来るからである。」

<忠実な家令と不忠実な家令>
すると、ペトロが、
「主よ、このたとえ話はわたくしたちのためにしておられるのですか
 それともすべての人々のためでしょうか」
と言った。
そこで主は仰せになった。
「主人が一人の家令を選んで召使たちの上に立て、
 時間通りに彼らに食べ物を与えさせることにした場合、
 いったいどんな家令が忠実で賢いのであろうか。
 主人が帰ってきたとき、そのように務めを果たしているのを見られる
 しもべは幸いである。
 まことにあなたたちに言っておく。
 主人は、彼に、全財産を管理させるに違いない。
 しかし、もしそのしもべが
 『主人の帰りは遅れる』
 と心の中で思い、下男や下女を打ちたたいたり、飲んだり食べたり
 酔ったりしはじめるならば、
 そのしもべの主人は、思いがけない日、
 予期しない時間に帰ってきて、彼を厳しく罰し、
 不忠実な者と同じ目にあわせるであろう」

(ルカ聖福音書 12章1-11、12章35-46)

◎絵の説明


ここには、我らの死する時に行われる、私審判(ししんぱん)の有様が書いてある


まず、左方は善人の審判で、右方は悪人の審判である。イエズス・キリストの裁判所は、この2人が、今息の絶えた室の上である。そして、善人の親類は、まだ、彼のために祈っているのである。


守護の天使は、聖マリアと聖ヨゼフとの後に付いて、善人の霊魂を、イエズス・キリストの御前に導いている。イエズスの右方に一位の天使が、片手には義人のために栄福の冠を持ち、
片手では秤で善悪をはかっている。ところが、善のほうが勝っているので、イエズス・キリストは彼を優待し、彼のために利益となる裁判をくださるのである。


悪人の霊魂も、史上至尊の裁判官の御前に引き出されるが、羞恥のあまり、仰ぎ見ることができず、顔をかくすのである。悪魔たちは、彼がくくられている鎖を引いて、地獄へ落そうと致しているのである。その上の方に天使が、はやり秤をもって善と悪とをはかっているが、罪悪のほうが至って重く、また、天使がもっている生命の書の中には、一つも、その人の善行がしるされていないから、イエズス・キリストが彼を見捨て給うて、彼の上に永遠の刑罰を受けるべき宣告を致されるのである。







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