『殺戮の狂詩曲』 中山七里 | 固ゆで卵で行こう!

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弁護士〈御子柴礼司〉シリーズ6作目。

 

今回は現実にあった事件がベースとなっていましたね。

高級介護施設にて、介護士が9人もの入居者を殺害。
生産性のない上級国民である老人や障害者を排除しただけだと選民、棄民思想により、罪の意識の無い犯人の弁護を受け持つ御子柴。

ただでさえ世間の注目を集めている事件なところにもって、「令和最初で最悪の事件」の弁護人に〈死体配達人〉がとメディアも騒ぐ中、極刑はまぬがれない事案。

裁判に勝っても負けてもメリットどころかデメリットしかない中で、果たして裁判にどう挑み、その結果はどうなるのか。

そして弁護する御子柴の思惑とは。


とにかく殺害犯そのものは分かっているので、いかに御子柴が裁判に挑むのかと、勝てる見込みもなく、普段とは比べ物にならないぐらいの微々たる報酬しか得れない国選弁護をなぜ自ら受け持とうとするのかがポイントとなります。

御子柴はそれぞれの被害者家族に接し、被害者の人となりの聞き取りを行う様子が大きく描かれており、そこで浮かび上がってくるものとは果たしてなんなのか。

そして被害者家族の証言は犯人に心に何をもたらすのか…。


御子柴がなぜこの弁護を受け持とうとするかは最後に明らかになるのですが、何より印象に残るのは被害者家族それぞれの考え方や気持ちの問題でした。

障害を抱えていたり認知症が進んだりなど、自宅での介護が難しい家族を介護施設に入れる事について。

その、重荷が取れたような後ろめたさと、それでも変わらない家族への想いなど、同じような経験した人はもちろん、これから先に考えていかないといけない問題として認識している人にとっても、他人事ではない現実だからこそ一緒になって思い考えてしまうのではないでしょうか。


さて、9つもの家族から話を聞くという事で、裁判が描かれるのは終盤になってから。


なので、本当に御子柴が裁判でいつものように逆転劇を見せれるのかとハラハラしたのは、実は残りページ数を見てってのが一番だったかも(笑)。