サーサーン朝期に『アヴェスター』が編纂されたのは明確な教義・聖典を持ったキリスト教・仏教・マニ教などの台頭に対抗する必要があったからです。また、既にザラスシュトラ時代の呪術が知識人の知的好奇心を満たせなくなっていたことも聖典整備の一因でした。
『聖書』や『クルアーン』のように当初から教徒の間で広くその権威が認められていません。『アヴェスター』が書かれたペルシァ州から離れた地域では8世紀になっても一般信徒の間で『アヴェスター』の存在が知られておらず(または理性的に語る聖典とは見られておらず)、ザラスシュトラも(少なくとも預言者としては)認識されていません。さらに神官でも『アヴェスター』を知らずにそれとはかなり異なる教義を信じていた節があります。