今日はごく普通に私の気づきを書き留めておこうと思います。
それも形ある気づくではないので、どこまで書けるかわらないし、
読んでいる人には伝わらないことかもしれないけれど、書いておきます。
私には話すことができない。
そういう悩みがずっと昔、小学生くらいの時からありました。
これって、私にはとっては凄い悩みで、話せる私がいるのに、なぜ学校へ行くと全く話せなくなってしまうのか。
なぜ父とは話すことができないのか。
ずっと謎で、話せる私になると決めても、変化できないし、何をどう変えていっていいかわからないし、
あたって砕けろを繰り返しながらも、いつまで経っても思うように話せない私がいました。
嫌だったんです。そのことがずっと。
それでも大人になるにつれ、そしてnTechに出会ってからは、話せるようになってきたり、
人前で話すことも増えてきたりで変化はしていました。
でも、自分の行動全体を見た時に、何かふとした瞬間にストップをかけてしまう自分がいる。
結構マイナス感情を、自分なりの解析をして、大丈夫と納得させて、次の動きをしてしまう私がいて
それが気になり始めていたことと、
前にもブログに書きましたが、お店の人に話しかけることができない事件から
自分が話さないと決断した感覚があったことがなんかつながるのではないかと
最近観察していたのだけれど、それが今日ちょっと明確になることが起きました。
今朝、本当に話したくない、声を出したくない感覚になりました。
もちろん声は出そうと思えば出せるのだけれど、深いところで話さない、声出さないと決めてる状態。
そしてそれと同時に足を動かす感覚が無くて、
歩けない、動かせない、そんな状態になりました。
ただこれも動かさそうと思えば動くし、実際に動いたし、何か感覚がつながっていないような状態に感じてました。
私の中の塊。
ある一点にとどまってそこから動くことができない、私の心の叫び。
でもずっと声がでないモード。
余談だけれど、
人魚姫とクララ。
そういえば私、小さい頃人魚姫が凄い好きな時期があったり、ハイジを見てて、クララの車いすにあこがれていた時
あったこと思い出しました。
今日は朝から予定が詰まっていて、どうしようという感じだったけれど、
それをひとまず仲間にアウトプット。
頭で整理し、アイデンティティーの設定をしたならば、動くことはできる。
けれど、そこで仲間がストップをかけてくれました。
実は休むということは私にとって、怖いことでもあります。
相手からの信用を無くしてしまうのではないか。迷惑をかけてしまうのではないか。
それ以上に、自分がその場にいないことで、自分の知らないことが起きてしまうのが凄く怖かった。
なので私、学校もなにがあっても行っていたし、仕事もちょっとやそっとのことでは休まなかったし、
休む時は、心がつら過ぎて、何かこれなら休めるという自分が納得できる理由をつけた時でした。
で今日休む選択をしました。
休むということを口にするだけでも、なんかすごい勇気が言って、だけれど、それを言えたことにほっとする自分もいて。
その後の予定も、結局スケジュールが合わなくなり、中止に。
ずっと、ずっとその詰まってるような声なんて出してなるものかと向き合っていました。
で、わかったのは、声を出してなるものかは凄い強烈に私を支配していました。
それが本当の現実の私、大人な私で、普段わちゃわちゃしてる私は現実を伴わない、子どもの私。
そんなイメージでした。
そして、その声を出してなるものかと決断した私が、わちゃわちゃしてる私を責めるのです。
お前は裏切り者だと。
話さないと決断したクセに何を話るんだと。
自分で自分を否定する。
話すようになればなるほど、声を出さないと決めた私は話せる私を否定するし
話せないときは、わちゃわちゃしたい私が話せない私のことを否定する。
どちらにしても否定でしかなく、声を出さない私の決断の方が強い。
なんでそこまでの決断をしてしまったのか。
ただ自分が意識できている以上に、その声を出してなるものかの私の決断は深く、強い。
咳が止まらなくなる、ここのところを考えると。
人間私がつくられている根本のところ。
大切に向き合っていきたいなと思います。
今日の気づきは以上。