みなさん、レッスンって、なんだと思われますか。なにをするところなのでしょうか。知識を与える、言う通りにさせる、言われた通りにする、そういう場なのでしょうか。いいレッスンとは、どういうものなのでしょう。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
気づかせる
フルート奏者の高橋秀典さんが、こんなツイートをされていました。
レッスンの土台は
— shuten takahashi (@ShutenTakahashi) October 30, 2022
「説明する」ではなく
「気づかせる」なのでしょう。
古くからある多くの教則本は、その考え方を基本にしています。
モイーズが著した教則本「フルートの初心者」に出版社から解説をつけるよう勧められても「そんなものは必要ない」と突っぱねたのも頷けます。
どうでしょうか。
まったくその通りだと思うのです。
レッスンとは、教え、教えられる場所ではなく、気づきをもたらす、気づかされる場所。
少なくとも、得られるもの、大切なものは知識ではない、とは言えるように思います。
よくないレッスン
では、よくないレッスンって、どういうものでしょう。いろいろありそうですね。
知識を与えるだけの説明ばかりのレッスン(これ、ただの講義ですね)
それどころか、主義主張を押しつけるようなレッスン
気づいたこと、よくないところを片っ端から指摘するレッスン
そしてダメ出しだけで終わるレッスン
ポイントがいくつもたくさんあるレッスン
ほかにもあるでしょうか…
ポイントは?
いろいろ上げた中で、ポイントがいくつもたくさんあるレッスン、
これは、ぼくも身におぼえがあるのです(レッスンしたほうで)
どこかでこんなふうに思っているのかもしれません…
『せっかくお金を払ってレッスン受けに来てくれてるんだから、たくさん持って帰ってもらおう』…
でも、多すぎると結局、なにも残らなかったりするのですよね…
それではむしろ、あまり意味がなかったりする。
大切なことは何かを見極められてないから、あれもこれも、ってなるのかもしれません。
ほんとうにいいレッスンって、ポイントは1つか2つ、せいぜい3つまでだと思うのです。
気づかせる
レッスンで受け取るものって、知識、ではないのですよね。
気づき、なのです。
それをもたらしてくれるレッスンが、いいレッスン。
それをもたらしてくれる先生が、いい先生。
もちろんこれは、レッスンを受ける側の姿勢にも左右されます。
そして、気づきをもたらすのには、言葉は多すぎない方がいいようにも思うのです。
それを言葉で言ってしまったら、ただの知識になってしまう…
知識を得ることではなく、気づく、府に落ちる、それが大切なのですから。
だから、『解説など必要ない』となるのでしょうね。
今でなくとも
レッスンで気づきを得られても、その場ですぐに出来るようになるのかといったら…
そうとは限りません。
むしろ、すぐ出来ることの方が少ないかもしれません。
なんでもすぐに出来るのなら、練習は要りませんよね。
だから、そのための、『進むべき方向』を得られるのも、レッスンだと思うのです。
そして、気づき自体も、その場ですぐに得られるとは限りません。
教えてもらったことが、ずっとあとになってから、『あぁ、このことだったんだ…』と気づく、
そんなこともありますよね。
今、わからなくてもいい。いつか気づいてくれれば…
そんなふうに思って伝えることも、あるかもしれません。
気づきには、時間や経験を必要とするものも少なくないと思うのです。
さて、いいレッスンって、どんなものだと思われますか。