まわりを意識に入れること | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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合奏やアンサンブルをする上で大切なことって何でしょうか。それはもちろんいろいろあるのでしょうけど、アンサンブルが上手い、アンサンブル能力の高い人って、たとえばどんな人だと思われますか。それは、きっと…

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  クルマの運転では

 

いきなりですが、クルマを運転して道路を走っているとします。
免許を持っていない人は、運転しているところを想像してみてください。
あるいは、だれかに乗せてもらった時のことを思い出してみましょう。
道路って、自分だけで走っているわけではないですよね。
ほかのクルマもたくさん走っています。
でも、そんなことなんかちっとも関係ないような運転の人って、時々いますよね。
たとえば、右折の時、対向車が来るからって青になっても停止線からちっとも動かない人…
(いるんですよそういう人も…)
これではうしろの直進車が進めません!
 

 

  まわりを感じ取る

 

うしろには直進しようとしているクルマもいるんだということに、意識が行かないんでしょうね…
まわりにはほかのクルマも走っていて、それぞれ行き先も違えばいろんなクルマがいる、
そんなところを意識に入れられるかどうか…
これ、アンサンブルにおいても巧稚の大きな分かれ目のように思うのです。
あぁ、クルマの運転とおんなじだなぁ、と…
道路を走るのも、アンサンブルです。
もっと言うと、レースだってアンサンブルなんです。
あっ、指揮者もアンサンブルなんですよ。
司令塔以前に、指揮者にはまずアンサンブル能力が問われるのです。
 

 

  意識に入らないのはなぜか

 

さて、まわりを意識に入れられない、たくさんのほかのクルマがいることが感じられない、
(アンサンブルや合奏でもおんなじですよ)
これ、なぜなのでしょうか。なぜだと思いますか。
余裕がないからでしょうか。
経験が少ないからでしょうか。
それとも、技量が足りないからでしょうか。
ときにはそういうものが原因のこともあると思うのですが、でもどうやら…
そうではない人も少なくないように思えるのです。
 

 

  意識にない

 

そういう人って、まわりのことなど、もとより意識にないのではないかと思うのです。
まわりがどう動こうとも、おかまいなし。たとえば…
ユニゾン吹いていて音程がずれているのに、スライドが微動だにしないトロンボーン吹きとか…
殺意(恐)。尤も、最近ではそんな人はいませんが…
音が合っているかどうかを聞き取る能力ぐらい十分持ち合わせているハズなのに。
では、なぜなのか…
意識にないのです。きっと。
では、いったいどんな世界に入り込んで(閉じこもって)しまっているのでしょうか。
思うのですが、おそらく…
『自分はこう走ろう』、『自分はこう演奏しよう』だけで一杯になってしまっているのではないか。
指揮者だったら、『こう振ろう』ばかりで意識が一杯になってしまっている…
思考、意識、視野が狭いのです。狭すぎるのです。
これ、アンサンブルの巧稚を決める、大きな要素です。
 

 

  どうでも良いこと

 

自分がどう走ろうか、自分はどう演奏しようか、どう振ろうか…
そんなことはどうでも良い、少なくとも、いちばん大切なことなどではないんです。
もちろん意思を示すことは大事です。でも、
そういう『視野の狭い』人って往々にして、意思を示すこともヘタです。
だって、まわりを意識に入れていないから。なんにも伝わってこない…
どう走るか、どう演奏するか、そんなこと、二の次。というか、脊髄にやらせておけばいい。
それよりも、まわりを感じ、まわり全部を意識に入れておくことの方が、ずっと大事です。
その上で初めて、自分の走り、自分の演奏がある。
そういう順番なんですアンサンブルって。
 

 

  まわりを感じよう

 

まわり全部を、まず意識に入れよう。
それも、音だけではないですよ。
その『音』の向こう側で、その人がどうしたがっているのか、なにを感じているのか、
どんな気持ちでいるのかまでをも感じる、意識に入れる。

(あっ、気を使うってことではないですよ)
音は、表面的なものです。
アンサンブル巧者は、となりの人が休みを間違って数えていることをも感じ取るといいます。
そう思います。
開いていて、まわりが意識に入っていて初めて、アンサンブルや合奏になる。
いってみれば当たり前のことなのですが、抜け落ちている人、いたりしませんか。

さて、あなたは『アンサンブル』出来ていますか。