これは、あくまでも妹の場合の話になるので、同じ病気にかかられている方みなさんが同じとは限りません。
この記事を読むことで不安になってしまう方もいるかもしれませんが、同じ病気の患者さんでも全員が全く一緒というわけではありません。

そのへんを踏まえた上で読んで頂けたら幸いです🍀

さて、妹が転移性脳腫瘍と診断されて2016年8月に14時間にもおよぶ開頭手術を経て…
その後ガンマナイフの治療をして…
妹は一生懸命自分自身でリハビリしてました。

術後は言語障害の可能性や麻痺など、色々と考えられるというお話を医師から聞いてましたが、幸いにもどの症状も出なかったので、通院でのリハビリはしなくても良し!となりました。

脳腫瘍発覚から約1ヶ月弱で自宅に戻り、しばらくは療養してましたがその年の10月に仕事復帰していたと記憶してます!!
早っびっくりびっくり
その後ちょっとめまいが残ったりはしつつも、体調もそこそこ良く経過も順調だなと思っていたのですが…

年が明けて2017年2月位から、めまいが強くなり、そのうち片方の耳が聞こえづらい!!
まるで、飛行機に乗った時のように鼓膜が塞がってるような感じ…
という事で、近所で評判の良い耳鼻科に行ってみたら、先生が「これは内耳の問題じゃないなぁ、ちゃんと診てもらった方がいいですよ!!
早く診てもらって下さい!!」と、焦った表情で話していたので、これは早く脳外で診てもらわないと!!
結果、悪い場所に腫瘍が出来ていて、今回は部分的にではなく全体に放射線をあてなくてはならない…
と言われ、いつもお世話になっていた築地の病院には全脳照射の機械がないので、その年の3月に静岡の分院へ急遽入院となったのです。

そして、少し前からふくらはぎや足のつけねのあたり、お尻のあたりが痛いと言っていたので、整形で写真撮ってもらったりもしてました。
外科的には問題ないとの事で、まぁ激痛というわけでもないので、少し様子をみていたそうです。
でも、その事を築地のガンマナイフでお世話になっていたH先生に話したところ(静岡の分院にも週何日かきてたので)癌性髄膜炎を疑ったんでしょうね。
髄液の検査するよ~
と言って1度目の検査では何も出ず…
1度目は何も出なかったけど、もう1回検査するよ~
と、2度目の検査をしたところ、出ちゃったんですよね、髄液にがん細胞が…
しかもクラス5という1番悪い結果が…ショボーン

先生が「出た出たー!!これはやっつけないとダメだぞー!!」
でも全脳照射の治療しながら随注は体に負担かかるし、その時やろうかという話も出ていたようですが、先生が後からでもいいよという話もしていたので、結局妹はその時結論を出さずに、その治療は保留にしました。
なんといっても、腫瘍内科の主治医に相談もしなくちゃいけないですからね💦
随注となると許可なく始めるわけにもいかないし。

その後静岡の病院を退院して腫瘍内科のK先生に話したら「危ないな~勝手に治療されるところだったのかぁ」と苦笑い😁💧
結果的にK先生は体にダメージを与えるから、やはり髄注の治療はやらない方がいいとの事でした💧
でも妹は出来る治療があるのに、やらないのは腑に落ちない…
H先生は昔気質の先生でしかも自分の腕には相当な自信があり、外科の医者!!って感じ(^^;
K先生の考え方と真逆えー
この2人の大先生に挟まれて、私達姉妹は結構苦労をしましたが、この偉大な先生達がいなければ、きっと妹はもっと短い命だったかもしれない…
当時は頭悩まされましたが、今となっては心から感謝しています。

最終的に髄注は命を縮める可能性がある話も聞いて、「もしやるならアバスチンかな…」
との事で、アバスチン投与が決定し4月から治療開始となりました✨
H先生は、アバスチン?効くわけないだろう!!って言ってました(^^;
「今髄注の治療しないでどうするんだ!!」とキレてましたけどねニヤリ

ところが、このアバスチンがとってもよく効いてくれてね✨
首に出来てた腫瘍と思われる物も消えたし、マーカーの値がどんどん下がって、正常値になって毎月の脳の検査も異常なく、髄液のがん細胞もクラス2までに下がり、アバスチン様様でしたよ😃

ところがこの幸せも長くは続かず…
その年の10月に耐性ができてしまい、アバスチン投与を断念する事になってしまいましたショボーン
ここからまた辛い日々を送る事になるのですが、それはまた次の記事にアップしますね。