映画『ゴジラ vs. コング』感想

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映画『ゴジラvs.コング』チラシ

過去日記を絶賛消化中……


今回の映画、登場人物(みんな)の頭が突然悪くなった!!

出てくるのが70~80年代くらいの黎明期のヲタク像。
今どき地球空洞説(※1)なんていう疑似科学を持ち出してくるとは思わなんだ……地球空洞説は映画『センター・オブ・ジ・アース』(2008)で十分だ……
前時代的なのは『キングコング対ゴジラ』(1962)の時代的な背景、イメージを踏襲しているのだろうか?

突然の幼稚化?

陰謀論信奉者や電波なヲタクが活躍するという、スケールの矮小化に前作との突然の落差が否めない。
しかもモンスター・ヴァースシリーズ(※2)において、その道のプロ組織と位置付けられているモナークが全く活躍しないという……
前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(以下、KOTM)』(2019)での羨ましい資金ぶりと大活躍は何処に?

GODZILLA(以下、ギャレゴジ)』(2014)はゴジラ以外(人間の行動、人間側の兵器とか)ほぼリアリティに基づいたストーリー展開だった。そして2011年の東日本大震災を彷彿させる津波と原発事故を取り入れ、日本のゴジラ――天災、人災、そして戦争による未曾有の被災の象徴――をリスペクトしていた。
それが『KOTM』ではスペクタクルバトルになっていた。モナークは潤沢な予算を得られたのか、組織人員、設備が充実。ハイテク兵器が登場し、怪獣たちには及ばずとも、花を添える形に。
そこからの『ゴジラ vs コング』の世界観の規模の縮小に、鑑賞中、私は白けていた。

この傾向はいったい何なのだろうか……
日本の東宝ゴジラが、戦争の悪意と悲劇の想起から次第に大衆化し子供向けとなっていった事を踏まえているのだろうか?

前作で主要キャラの少女・マディソンがヲタク男子の友人とチープな知識と技術で、陰謀論信者の男と一緒に、敵役の怪しい企業に潜入する。現代では信じられないような緩すぎるセキュリティを突破する一方、ハイパーループ(※3)輸送設備などのハイテク施設が出てくる。
しかもそのハイテク設備、ゲーミングデバイスのような光り方をする……はっきりいってダサい。
前時代的なものとハイテクが闇鍋になっていて、調和していない感じがした。

現代の映画技術でできる表現で、かつて一世を風靡した怪獣たちを表現する。
あの時、できなかった表現が今の技術ならできるというワクワク感。
……でも私の中でそれは、子供だましのようなものであってほしく無かった。
(リアルタイムで見ていた訳ではないけど)子供のころに見たスケールがアップして、大人でも楽しめるものになった、と考えていたから。

幼稚化と思うものは原点回帰なのか?

コングの方も難儀なもので、「ゴジラからコングを守る」人間の都合で髑髏島から連れ出され(拉致では?)、島のスケールには遠く及ばない狭いドームに押し込められてしまうという理不尽さ。
最も、コングは過去作共に人間の都合でアメリカ大陸に連れていかれ、相互不理解によって都市で暴れ、大立ち回りを演じる。「市民の命を守るため」という主観的な人間の都合によって、最後は勝手に連れてきた人間たちによって殺害されるという、非業の死を宿命づけられている存在。この展開はそうした原点回帰の意味があるのだろうか?

原点ないし長年のコングの扱いへ罪滅ぼしのように、コングを保護するためにゴジラのいない新天地に向かう訳だが……
その新天地というのが地球空洞説…地下世界で、そこが巨大生物――怪獣たち――の本来の故郷である、という何という後付け感!しかも髑髏島が入口……ならば何故、コングを連れ出してしまったのか。
そもそも『KOTM』のエンドロールで、人間(エコテロリスト)のせいで目覚めさせた怪獣たちがゴジラによって髑髏島に向かったというオマケがあった。……今回の映画は何故それを活かさなかったのか?
そこで怪獣たちが怪獣たちで適度に縄張りをつくり、棲み分けしてそうなのに……最も、ゴジラの寝床は『KOTM』で吹っ飛ばされてしまっているが。

地下世界で、ゴジラとコングが因縁のライバル関係――たがいに対抗しうる存在――であることが仄めかされる。
コングの技術力、霊長類としては高い方だったようだ。コングの種族は石器文明か……

『ギャレゴジ』『KOTM』を経て、怪獣(自然災害と戦争や原発問題などの人災の象徴)たちと人類が、どう折り合いをつけて共存・共生してゆくか。
それを今後の映画で仄めかしてゆくのかと思っていたのだが、ご都合主義の地球空洞説を用いられたことで強制解決?……デウス・エクス・マキナだった。

この一連の流れを超えることはできないのかもしれない。
恐怖/畏怖の象徴たる存在が、人気にあやかり続編が作られる度に親しみやすくなり、ついにはコメディ化、幼稚化してしまうのは。

何が嫌かというと、虚構の中にあるリアリティが減退し、実現しそうなワクワク感が半減すること。
それによって全てが(ご都合主義)ファンタジーになり、(ギャグと化し)白けてしまう。

唯一の褒めどころ?

一番面白かったシーンは、ファイトシーン。特にゴジラとコングによる船上戦。
空母とミサイル駆逐艦を八艘飛びするコングの姿は、日本のアイデンティティの琴線に触れるものだった。
空母打撃群上で戦闘は今まで映画で見たことがない。
『ギャレゴジ』では空母の下をゴジラが通ったり、航行するのを追跡、平行していただけだし。
この映画一番の見せ場だったのではないだろうか。

……あ、もちろんメカゴジラ格好良かった。……『KOTM』のギドラの残骸使ってそうなのは映画冒頭で想像がついていたけど。

昔の東宝ゴジラの『ゴジラvsメカゴジラ』を観た事がないので比較できないが…メカゴジラのロケットブースターが付いていて加速したり、細かな作り込み描写が興味深かった。

これで終わり?

しかし、オチがまさかの端末に水をかけてショートするなんて……あんな巨大施設でメカゴジラを制御している端末にまでショートする影響を与えるなんてどういう事なの……?

全編を通して古典的ギャグだった。

この映画公開前、監督は「決着をつける!」と言っていたので、心配していた。
結果としては引き分けたが、強さとしてはゴジラが上、という事だろうか。巨体であるだけでなく原子エネルギーによる破壊光線を吐く(超火力)のだから、当然か。

え、これで終わり……?
そう思っていたら、続編制作の話がすでにあったのか!(※4)え、進行中…
ゴジラは人間に制御できない自然ないし超越した災厄の象徴。コングについてはよく知らないのだが……この2体が意思を持って連携するとは思えないなぁ……
共闘といっても、互いに不可侵だろうし……

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