密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

アバター2(ネタバレを極力避けてます)が世界発信する意義

昨日、アバター2を3D映画館に見に行った。アメリカの郊外の映画館は、どこも、ガラガラで、座席指定はするものの、5組いるかいないか、というこの上なく芸たくな環境だ。
しかも、前の人の頭が気になる、という状態は解消されていた。
映画館とはボランティア施設か?収入はチケットより、ポッコーンとコークの売り上げに支えられているという。まあそんなことはどうでもいいが、多くの人の期待大のアバター2は
基地を上回るできだった。


監督のジェームズ・キャメロンは、カナダ生まれでカリフォルニア育ち。2009年のアバター1では地球のエネルギー危機を救う希少鉱物を求め、衛星パンドラに送り込まれたジェイク・サリーは、アバターという装置により、ナヴィの姿になり彼らのコミュニティーに潜入する。自然と融合し、一体と生きる彼らの社会に共感し、ナヴィとして生きることを決心する。そして地球から送り込まれ、侵略者と化した傭兵部隊から、ナヴィの村を守るたまに先頭に立って戦う。狂信的になっていく傭兵トップのマイルズ・クオリッチと死闘を繰り広げ打ち負かす。地球人の侵略を撃退する。さっとこういう流れで、もしこれからアバター2をご覧になる予定の方は、まずアバター1を見てから行かれることをお勧めする。

アバター (字幕版)
アバター (字幕版)
Video On Demand


アバター2は、再び地球の侵略、今回は希少物質の奪取に加え、救いようもないほど汚染された地球からの移住のため、先住民を制圧する目的に変わっている。地球人の攻撃は、アメリカが行ってきた、原爆、ネイティブ・アメリカンに対する虐殺、ベトナムの村を焼き払ったことなど、暴力的攻撃を思い起こされるものばかりだ。
ジェイクとその家族は、自分の存在が森を危機に晒すため、森を出て、海辺に種族の元に避難する。森から海へ、やはり母なる海と融合して生きる海の民族と美しい生物。加えて難民問題も感じさせる。


森も海も、生産性重視、子育て中もキャリアアップを求めるものとは、全く逆の価値観だ。勝つことが全ての競争社会、その価値観は心を蝕んでいる。
また、有機的なものに対する、金属の兵器が、破壊を繰り返す様は、なぜ地球がダメになったかを物語る。そして此の期に及んで、利益を求め、自分たちが移住するために、原住している他の種族を侵略し駆逐するという考え方は、今の戦争・紛争の根本にある姿だ。移住が必要なら、原住民と話し合い移住を受け入れてもらう努力から始めるべきなのに、金属の兵器を繰り出し、命を潰す行為を行なってしまう。これほど恐ろしく醜く武器・兵器を表現された映画はない。生理的嫌悪感が生まれる。


現在の、一部指導者の価値観が、映画の侵略者と化した地球人と重なる。この映画は、子供達はもちろん多くの人々が、武器兵器に対する嫌悪感を強め、自然とつながる生き方を大切だと感じるだろう。日本が強い国になる(ように見える)ための大軍拡に興奮する現政権の狂った感覚を有する人間の醜さを見せつけられることだけでも、この映画をぜひ見て欲しい。すでにアバター3に撮影が始まっているという。ある種の人々は自分たちの小さな欲望と価値観を拡大し、全能感に陥り、まわりが見えなくなっている。こうした現在にキャメロンは警鐘を鳴らし続けるのだろう。


ぜひ映画館に足を運んで、心を震わせるとともに、日本社会の軍拡肯定の愚かしさから目を覚まして欲しい。ウクライナの状況を見聞きして、それを都合よく日本に当てはめて、被害妄想を国民に押し付け、軍事産業利権、とアジアでの存在感アップを図り、アメリカの力借りて、アジアのトップになりたい!!という妄想的野望を持った一部のバカのために、再び悲劇に引きずるこまれる。


バイデン大統領は、ウクライナに戦車の供与を受け入れたが、戦闘機の供与は断った。
戦闘機は、日本政府が言う敵基地能力に大きく寄与する。ウクライナとしては、ロシア国内のミサイル発射基地を攻撃したいだろうが、その攻撃を肯定しサポートすることを容認はできないと言うのがアメリカの姿勢だ。
ウクライナがロシア国内を攻撃してミサイル攻撃を排除したいと言うのは、切実だっと思う。しかしそれを許せば、ロシアと連合国の戦争に踏み込む。第三次世界大戦だ。
経済制裁や、ウクライナ軍の好戦で、疲弊するロシアが相当壊れている。この忍耐の姿勢を
なんとか続けて第三次世界大戦に踏みとどまっている。


こう言う努力を日本政府は全く気にもかけない。中国に仕掛けるチャンスを狙い世論を誘導し、どう言うことを狙っているのか知らないが、日本が調子に乗って、強気に出るのは、日本人特有の、自惚れと見通しの甘さによるものだと思う。


反面、日本人は、自然の中に意思を汲み取ることが生活の中に自然に根付いている。
国家神道ではなく、惟神道(かんながらのみち)。教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教。こうした感覚を持って育ってきた日本の人々は、ナヴィたちの感覚に自然な共感を持つだろう。ネイティブ・アメリカンも、オーストラリア原住民も、様々な民族宗教が似たような価値観を持っている。アメリカではスピリチャルといい、カリフォルニアを中心のこうした価値観と思考法を学ぶ人々が増えている。禅を学ぶテンプルもある。
こうした要素が、生産性や競争社会で、カラカラになった社会に、潤いをもたらし、自分の
あり方を考え直させる。日本の人々には自然に理解できるだろう。


軍拡で存在を示すやり方は的外れで愚かの極みだ。日本が世界に価値を示せるのは、平和憲法を守り、世界の人々の理想である9条を実行する姿勢にある、と言うことだ。


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