ポポ山に祈りを込めて

ポポ山に祈りを込めて

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被災地より  

津波で残された一本松です

2011年7月6日 天の川が降り注ぎました流れ星

こちらはいわき市小名浜、

神白川が流れる長閑な山間に坐します神社です。

磐城国造神社。

本当に地元の人だけが訪れる様な所で、

駐車場もなければ、

社務所も御朱印もなかったと思います。

祭神は建許呂命という方で、

どうも成務天皇時代の頃が始まりで、

その時の大臣が竹内宿禰。

↓鳥居からの参道。

ここは「鳴き龍の森」と呼ばれています。

参道で手を打つと、その反響が、

龍の鳴き声に似ていることから、

鳴き龍の森と呼ばれる様になったそうです。


ところがそれよりも不思議なことに、

階段を登り終わって、

一歩境内に足を踏み入れた瞬間です。


まるで別次元に入り込んだ様に、

今まで感じたことの無い、

物凄く新鮮な木々の香りに包まれました。

真冬なのに。(撮影は1月)


私も奈良吉野の電気もない秘境に行ったり、

山の中を歩いたりと、

散々各地の自然を訪れましたが、

それとは違う、

本来の地球の自然の香りキラキラ


空気を汚すものが何も無かった時代の、

この緑の濃い香りは、

こんなにも甘く素晴らしいものなのかと、

感動しながら参拝させて頂きました。

太古の時代に戻ったのか、

それとも、これからの良き未来、

新しい地球に切り替わるといわれる、

ワームホールの一つがここにあるのかUFO

なーんて(笑) 

その前にいろいろありますからね。


新しい地球というよりも、

今の地球人があまりにも情けないから、

見切りをつけられたというのが、

向こうからの本音です。


コロナ禍で日本人は反省していないでしょう。

真実はどうであれ、

スピリチュアルな人たちまでが、

分断と対立を大きくしてしまった。

要は切り替えないといけない状況に、

自分たちで日本を追い込んでいるのです。

何が良くて何が悪いなど、

どうでもいいことで。

自分の中で静かに問えばいい。


↓彫刻は亀と奥に鶴が2匹。

そして向拝の裏板には、
龍の奉納絵が!

カッコいいです。

改めて地球の自然のこと、

考えさせられました。

私たちはどれだけ汚れた空気の中で、

日々を過ごしているのでしょう。

龍の遥か遠く響き渡る鳴き声と共に、

穢れなき水と、

緑豊かな地球に生まれ変わります様に。



福島です。

いわき市の勝見ヶ浦、永崎海岸。

海のすぐ目の前には龍神を祀る祠と、

八大龍王碑や古い石碑が置かれていました。


ここは足場がよくないので、

今日の様な暴風警報が出ている時に行くと、

鳥居をくぐる前に海に飛ばされますので、

嫌いな人を一緒に連れていけば、

火曜サスペンス劇場になるかもしれません真顔

夜明け前に着いて日の出を待ちます。

海を正面に右が小名浜マリンタワー方面、

左はここから60キロ先が福島原発です。

福島の海岸沿いにも、

要所要所に八大龍王が祀られていて、

まるで龍の電気スタンドだな〜なんて思いながら、

なぜここに決めたかと言うと、

珍しい↓「へそ石」が見られると聞いたので。


へそ石は動かないように、
コンクリートで固定されていました。
中央に何かあるのでへそ石なのですが、
石マニアの間では奇石と呼ばれています。

いわゆるノジュールの類だと思うのですが、

これは球状コンクリーションでしょうか。

この可愛いへそ石には、

ちょっとしたミステリーな伝説があって、

このへそ石に「触ってはいけない

へそ石が動くと災いが起こる


元々発見されたのは60年とか80年前とか、

かなり昔で、

この場所より数メートル下の、

波打ち際の岩穴に収まっていたそうです。

このへそ石は波に流されあちこちに移動しては、

なにかしら色々なことをやらかしています。

例えば、

「へそ石を動かしたら、その浜にだけ嵐が来て、

漁船が出せなくなった。

へそ石を岩穴に戻したら嵐が止んだ」とか、


ある時は銚子の方へ流れ着き、

1人の男性がへそ石を拾って仕事用に持ち帰り、

藁打ち用にへそ石を使っていたら、

その地域で伝染病が流行り出した。

不安を感じた男性が祈祷してもらったところ、

どっかの神さまが降りてきて、

「藁打ちにするなどとんでもない。

永崎の石だから元の場所に返しなさい」

と怒られたので、

船に乗せて永崎海岸まで戻しに行ったという話も。


↓岩穴にいた頃のへそ石


こうしてへそ石は地元の人たちから、

これ以上災いが起こるといけないから、

絶対に動かしてはいけないという真剣な話になり、

1964年にへそ石を元の岩穴に戻し、

動かない様にセメントで固定したそうです。

ところがどっこい、

周辺の岩の侵食が進み、

へそ石はまたもや行方不明になりました。

実際にへそ石が行方不明になっている間、

2011年に東日本大震災が起こってしまった。

そして2014年6月、

防波堤の復興工事をしていた時に、

本来の位置から20メートル南に離れた場所から、

砂浜に埋まっていたへそ石を、

10数年ぶりに作業員が発見したのです。

しかし元の岩穴は侵食が激しく戻せないので、

初めは自治会館に展示することも検討されましたが、

(ここら辺の正確な話は後で書き直します)

元の位置からあまり離してはいけないという事で、

岩穴から5メートル上にある龍神様と一緒に、

へそ石を祀る事になったそうです。


↓雨の中、お坊さんを呼んで、

へそ石の御祈祷をしているところ。

なぜたった一つの石の為に、

これほど必死になるのか?と思う人もいるかもしれないけれど、

やはりどん底を乗り越えてきた人ほど、

心は優しくなり、

二度と辛い思いはしたくないという、

神への切なる願いと同時に、

自然を侮るなかれという大切な気持ち。


こういった石をノジュールと呼びますが、

↓こちらは南鳥島東約300キロの、

排他的経済水域(EEZ内)にあるノジュールです。

2010年以降しんかい6500による潜航探査で、

深海に大量のマンガンノジュールが密集しているのが発見されています。

広さ的にはなんと九州と四国を合わせた面積です。

このように砂に埋もれずに表面に出ているのは、

石の回転が地球の磁場と関係するそうです。

(詳しくは産総研を検索してね)

そしてこのノジュールを調べたところ、

コバルトやニッケル、銅などの、

現代産業に欠かせない重要な金属元素が、

高濃度に含まれていることが分かりました。

しかも南鳥島にはマンガンノジュールの他にも、

豊富なレアメタルが見つかっていて、

日本のEEZの開発により、

黄金の国ジパングの再来になるのではと期待されています。

しかし中国はこのマンガンノジュールの研究を、

既に1980年代から積極的に行なっているので、

今後大きな問題となるかもしれません。


↓そして球状コンクリーションですが、

こちらは山の中からも発見されていて、

様々な説が出ているそうですが、

地球の大陸は、

元々は海底火山の噴火によって出現しているので、

日本も中国からではなく、

海底噴火の島から出来たと、

こんな簡単な事を、

なぜ誰も考えないのか不思議です。

下の画像は地球だけど火星みたいですよね。

火星にもノジュールが発見されています。

よく神社にも置かれている玉石なども、

↓これも球状コンクリーションで、

球状コンクリーションは、

何万年と費やす団塊ノジュールとは違って、

数ヶ月〜数年で大きくなり、

内側から風船のように膨張していくので、

こういった綺麗な球状になるそうです。

別に宇宙人が作ったわけではありません(笑)

この球状コンクリーションの研究によって、

今後は地下構造物の劣化防止技術の開発が進むため、

今まで不可能となっていた放射性廃棄物を、

数万年以上に渡って地下に隔離する事が可能になります。

そうなると未来の原発は安定化して、

私たちの元に供給される事となるかもしれません。

それまでは永崎のへそ石が動かないことを願うばかりです。



次回も福島の神社をご紹介します。

ノジュールについては、

裏覚えで書いてしまったので、

また後ほど書き足して更新します。

こんにちは。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。


今回は千葉、南房総館山の鶴谷八幡宮です。

と言っても訪れたのは昨年の年末。

お正月の準備をしていたところでした↓

名の通り八幡とは八柱の神から成ります。

各星々の生命の創生に携わる八柱の大神霊です。


こちらには文化財に指定されている、

百態の龍」という、

珍しい彫刻を見ることが出来ます。


賽銭箱の前に立って上を見上げると、

天井にはたくさんの龍の彫刻が飾られています。

丸まった龍たちがコロコロとたくさんいます。

この彫刻は初代後藤利兵衛義光の作品で、

正確には55匹の龍です。

百態とは千姿万態、様々な姿という意味があり、

まさに龍の動きそのものかもしれません。


龍といえば自然を意味するものであり、

常に地球の波動に共鳴しながら、

自然の法則に従って動いています。


風を吹かせ、雷を起こし、

大雨を降らせ、

大地を震わせ、

地球進化の手助けをしている。


(こちらは白山比咩神社上空)

この百態の龍の様に、

地球の歴史も私たちが知ることの無い、

様々な変化の繰り返しなのです。


これからも、

自然界の様々な姿を目の当たりにする私たちは、

今の幸せが、より一層大切なものだと、

改めて深く考える時代になっていくでしょう。

私たちの地域はもう安心などと、

備えを怠る事のないように。



↓太陽の光が内側の天井に降り注ぎ、

神秘的な聖域となっています。

そういえば、

今年は辰年だから龍だ!とか、

ドラゴンアセンションなどと呼ばれていて、

あまりにも安易で(笑)

ほんまかいな?って思っていたんですけど、

まさに、大晦日の夜からですね。

それが怖いくらい顕著に現れ始めました。 


それは宇宙に一環して流れる正確な旋律であり、

そこになにかしら不協和音が生じれば、

それを元に戻そうとする働きが起こります。

しかし龍は龍であって、

龍は神ではありません。

必要以上に崇める必要はないのです。

人はヒト、龍は龍です。


開運と称した高価なグッズ販売が横行していて、

霊能者の誰々が描いたという、

龍神の絵が売られているのを見かけました。

それで開運する事はないけど真顔

人生は気の持ちようなので(笑)、

程々に、

趣味で楽しむ程度が良いと思われます。


(冬至に香椎宮の亀池で撮影)


私たちはヒューマノイドですが、

それこそこの宇宙には、

百態のヒューマノイドが存在します。


地球もまた新たな時代になれば、

ヒトの姿もその環境や土壌に応じて必ず変わります。


地球が消滅するのは、

まだまだ何十億年と先のことなので、

何も心配はありませんが、

それは滅びるのではなく、

進化を遂げて故郷に帰るという、

すべてが大自然の法則の中で動いているのです。

その中にいるのが私たち小さな存在です。


この地球の様々な生き物が、

差別なく、

皆が幸せに暮らせますように



白山火山帯です。

こちらは白山比咩神社の社報から、

宮司さんの記事です。

記事によると、

>日本列島を横断している糸魚川・静岡構造線(フォッサマグナ西縁)と日本列島を横断する中央構造線にはさまれた内帯に位置する「白山火山帯」は、東が石川県白山から西は九州長崎から五島列島まで広範囲にわたり、この火山帯に反って加賀温泉・城崎温泉・皆生温泉・玉造温泉・湯田温泉・別府温泉・嬉野温泉・島原温泉が列なっております。白山の恩恵は、正に「火の神」と「水の神」のお陰といえます。昔(いにしえ)より白山信仰は畏怖と畏敬によって崇められてきました。


こちらは羽咋の氣多大社です。


氣多大社から徒歩で数分のところに、
大穴持像石神社という小さな社があります。

大国主である大己貴神と少彦名が祭神です。

本来、大国主と出雲は関係は無いです。

遠回しに言えば、岸田首相が、

側近の少彦名である官房長官と船を漕いで、

出雲から仕事に来ました〜と言ってるようなものです真顔

こちらに要石が祀られています。

氣多大社が能登半島の要衝として鎮座している様に、

要石はそれぞれの地域を護る産土神のエネルギーを繋ぐ、

重要なポイントとして置かれています。


それは茨城の鹿島神宮も同様で、

地震だけの石というわけではないのです。

鹿島神宮も鳥居が海にあり、

敵国からの侵入を防ぐ為に置かれているものであり、

氣多大社の鳥居も海の前にあります。

それは日本全国の海に面した神社も同様のことが言えます。


例えば、要石に気づかずに、

土の中に埋まっている所も多くあるはずです。

しかし本当に重要な場所では、

石を壊そうとすれば、

何かしら事故などの問題が起こるというように、

それだけ私たちは太古から、

神々の見えない力に寄って守られている。


それはこれから冬至を迎えるにあたり、

日本の要となりますので、

お近くの神社に行かれた時には、

今の幸せに感謝をして、

粛々とした気持ちで参拝することが望ましいと思います。


しかし本来ならば、

神さまから守られなくても、

日本にもっと国力があれば、

神から護られるなどという甘えは恥ずべき事なのです。

それをしっかりと自覚して、

今の日本を如何にして護れるのか、

防衛費の事もそうですが、

日本全体で考えていかなければと思うのです。


先日、立山・白山・富士山を有する3県知事が、

三霊山サミットと称して合同PRを行いました。


↓知事ではない人もいて。。真顔

霊山からUMAを捕まえた写真かと思ってしまいました(かなり失礼)

三霊山連携協定締結式

観光収益を目的としたイベントです。 


これ日本の大切な霊山なんですね。

昔なら人が立ち入る事も許されなかった山です。



まぁ、、観光は楽しいですよね真顔


能登半島は数年前から地震が続いていました。

原因は地球内部に流れた大量の水、流体です。

地殻流体が上部地殻へと上昇し、

流体の移動に伴い断層帯の強度が低下して、

スロースリップや群発地震を引き起こしていると。

阪神淡路大震災や熊本地震も流体が原因でした。

関東大震災や南海トラフ地震は、

プレート境界で起こる地震なので、

流体の影響を受けることはないと考えられています。


能登半島はだいぶ揺れが収まってきていますが、
流体と地震の関係は科学的にまだよく分かっていないそうです。

能登半島と同様に、

和歌山県北部の地下で流体が上がってきています。

ここも前から時々揺れていますよね。

阪神淡路大震災と違って、

地道に揺れが続いているのが現状です。

水も命があり意思のある生きているものですから、

私は龍体と呼んでいるのですが、

その水も何かしらの宇宙からの情報を、

太陽風を通して、

その螺旋状の電気的エネルギーが、

地球内部の地殻へと伝わっていくのです。


逆に地球のこの異常な気候変動が、

太陽に影響していることも忘れてはいけません。

子の状態が悪ければ、

親も憂鬱になるのと同じです。

全ては繋がっていますので、

良し悪しに関わらず、自然の法則として、

私たちの行いは必ずまた自分に返ってくるのです。


スピリチュアルの基本としても、

「自分が幸せならそれでいい」ではなく。

他人の言動は自分の事として考えます。

同様に、

他国の行いも私たち地球人の全体責任となります。

神々はそのように見ています。


↓コスモアイルにも行きましたよ。

11月福島飯野町でUFOイベントがあるそうです。


地震調査によると、

流体は日本の内陸のいくつかの地域でも、

上昇してきていることがわかっているそうです。

その流体の影響により、

周辺の活断層で大きな地震が発生した場合は、

プレート境界で起きると想定されている、

南海トラフ地震や首都直下型地震に対して、

流体地震の揺れ自体が影響し、

大地震を引き起こす可能性は、

ゼロとは言えないのではないかと。


参考資料

YouTube 気になる雑学

流体地震ってなに?

白山比咩神社ホームページ

神道講和社報428号


こんにちは。

先月久しぶりに白山比咩神社を訪れました。

こちらが一の鳥居になります。

御祭神は白山大神である菊理媛、

イザナギ、イザナミの大神。

ククリヒメという名前は後からこの現世でつけられたもので、

白山火山帯に坐します白山大神は二柱になる神さまです。


私たち人間も男女ペアで一つと成って、

夫としての役割り、

妻としての役割りを、

互いに思い遣って平和に暮らしていく。

この地球においては、

その様に対を成す事で、

上手く営みが進むのです。


金星など他の星ではまた異なっていて、

その星々の性質に合わせて、

神々による計画の下に運営が行われています。

白山の大神は、

地球上の生き物の言動を全てお見通しの神さまで、

その善し悪しを最終的に締め括る。

そこに大神の慈悲の心もあれば、

神の道に反する者には容赦無く突き落とす。


要するにこの地球上の出来事の全てを、

見極め成敗する役割を持っていますので、

あの世に行けば全ての人間に極楽浄土が待っているなどと、

その様な浅はかな考えは、

この大神の前で通用するわけがないのです。

それではどうすればいいのかと言えば、
だからといってお経など唱える必要は全くなく、
神社に必死になって行く必要も無く、
与えられた自分の仕事を毎日一生懸命に働き、
家族や周りの友人を大切に敬い暮らす事です。

私も個人的に悩むことがあったりと、

人生の分岐点になると、

ここに来るのかもしれません。


今回のメッセージは「分断」。

分断の危機。

世界の分断は今に始まった事ではないのですが、

極端に二分していると。


例えば私たちの身近な事においては、

自身の心の迷い、

友人、家族間の揉め事、

仕事では同僚や上司との意見の対立、

家庭では姑と妻との間に挟まれた夫の苦悩、

互いに頑固で思いやることを忘れた夫婦の亀裂、

子どもたちの小さな心の表と裏。


振り回されず、自己主張せず、目上を敬い、

まずは心穏やかに日々過ごすことを心掛ける事で、

自然と解決の方向へ流れていきます。


国家においては、

外からの圧力と国内の問題に挟まれ、

組織内部の対立の激化、裏切り、

正常な判断の出来なくなった指導者。


地球においては、

地球も意思のある巨大な生物ですから、

暑くなれば必ず冷やすという両極端の動き。

陸地では、ネガティブな対立意識を祓うため、

そして私たちに警告と気づきを悟す為に起こす自然災害。

これは過去に何度も繰り返されてきた事です。


改善策として、まずは外側より内側の強化。

自身のことならば、

食に気をつけて身体を鍛えること。

空腹でも数日間は動ける体力をつけること。

体を鍛える事で精神も鍛えられますので、

己の内側に確固たる信念を持って、

何事にも動じない強い力をつける。

これ国のことならば、時既に遅けれども、

外の国の心配よりも、

まずは自国の内側をしっかりと固める時期に来ていると。


その2へ。

GWに江戸川区の善養寺というお寺に行きました。


この日は千葉県市川にある八幡神社に誘われていたけれど、

そういえば以前に、

群馬(長野との県境)の浅間山の記事で紹介したお寺が、

この近くにあった様な、、と思って調べてみたら、

八幡神社から車ですぐの距離だったので、

こちらを先に立ち寄ることにしました。


なんとびっくり。

このお寺の松が凄かった真顔

影向の松と呼ばれ、樹齢600年以上、

繁茂面積は日本一だそうです。

もう松の木というよりも、

変幻自在な龍の様です。


浅間山噴火の供養碑は奥の方にありました。

天明3年(1783年)の浅間山噴火では鎌原村で多くの死者が出たのですが、

その原因は火砕流ではなく、

8月5日午前10時に突如として発生した土石なだれによって流されたそうです。


地質学者の早川由紀夫先生のお話によると、

>鎌原村を高速で通過した土石なだれは吾妻川に入り熱泥流となり、渋川で利根川に合流して、その日のうちに江戸と銚子に到達した


(↑画像はネットからお借りしました)


江戸川の中洲にも牛や馬、人などの遺体が漂着し、

船の運行が妨げられてしまったので、

当時の下小岩村の人々が、

犠牲者の亡骸を善養寺の無縁墓地に葬りました。

近くの別のお寺にも同じ供養碑があるので、

川に流れ着いた犠牲者は相当な数だったのかもしれません。

上の画像は数年前に撮影した浅間山麓の鬼押出しです。

流れた溶岩を間近で観ることが出来る迫力の観光スポットです。


こちらも早川先生の記事からですが、

鎌原村を襲った土石流の中には黒岩と呼ばれる高温の岩石が点在して発見されていて、

渋川市には宅地開発で見つかった10メートルを超える黒岩の巨岩が今も残されています。

こんな大きな岩が浅間山から渋川まで流れたのです。


(画像は早川先生の記事から)



私は草津が大好きで浅間山周辺はよく訪れます。

浅間山といえば、

浅間の大神コノハナサクヤヒメですが、

この浅間山は地球の自然活動の中心、

司令塔ともいえる御神体です。


浅間山が動けば地球のあちこちが反応して、

自然界の共鳴が起こります。

もちろん悪いことではなく、

地球にとってはごく自然の働きであり、

新しい生命の誕生、地球の営みです。


なので浅間山が動く時は、

何かしら天界でも動きがあると思った方がいい。

それは地震だの噴火だのと小さな事ではなく、

地球を含めたこの太陽系、宇宙の動き、

耳を澄まして体全体で自然の成り行きを感じる事が大切だと思います。


しかし地球の気候変動は止められず、

これからも自然災害と同時に、

年々と山に棲む動物や虫などの様々な生き物が、

人間の住む所まで下りてくるようになるでしょう。


市川の葛飾八幡宮です。

こちらの千本イチョウも素晴らしいです拍手


参考文献

早川由紀夫ドローンを飛ばして鳥になろう

鬼押出し溶岩から発生した鎌原土石なだれ


ありとあらゆる大小さまざまな人種がいます。

ウィリアム・ステッド

 

父と私、それに友人の三人で、さっそく見物に出かけました。その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身につけておりました。一体どうやって地上から持ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。

 

そう言えば父も、地上で私が見慣れていた服装をしておりました。何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然、地上とそっくりなのです。

 

出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと、私にとっては私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たちの、その後の消息のことになりました。互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。

 

もう一つ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味(ブルー)がかっていることでした。英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いて言えば、緑がかった灰色とても表現できましょうか。。が、この土地には歴然として色彩があります。文句なしにブルーなのです。明るい色合いの、濃いブルーです。住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が ″ブルーの国 ″なのです。

 

そのことを父に訊ねてみました。(余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。父子というよりは兄弟のような感じすらしました) すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。

 

″まさか!″と思われる方が多いでしょう。しかし、よく考えてみられるとよろしい。地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。わずかに一歩だけ上の段階、それもごく小幅の差しかありません。

 

そうやって一歩一歩、向上と進化を重ねていくのです。人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。

 

さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ三人は、そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。その人たちが自由闊達に動き回っているのです。

 

そこで見かけた人の中に、私の知っている人は多くはいませんでした。最初に私を出迎えてくれた人たちも、いつの間にか姿を消して、父と友人だけになっておりました。そうと知っても別にさびしくは感じませんでした。むしろそのことが、旧交を温めていないで新しい環境へ関心を向けさせることになりました。(ステッドの話は以上です)

 

近藤千雄氏からのコメント

このブルーアイランドは、″中間境″とてもいうべき界層で、ここを卒業して ″本土″というべき界層へ入っていくと、地上とは比較にならない、活潑な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。ステッドも後半の通信でそのことを言及しているが、そうなると地上との縁が薄れるのかというと決してそうではなく、むしろ上層界の事情にも下層界の事情にも、通じる範囲が広がるという。

そんな次第で、かつて地上で縁故のあった人間が他界する時は、すぐにそれを察知して、その中間境まで出迎えに降りてきてくれる。それは、ただ懐かしいからという情緒的な要素もないわけではないが、死んだことを自覚させる目的も兼ねているので、一見してそれと知れるように、死んだ時の風貌や服装を身につけているのが通例である。が、用事が終わると、それぞれの本来の所属界へと帰っていく。

そうした霊にとって残念なのは、せっかく出迎えてやっても、本人が地上的なしがらみや間違った信仰、極度の悲しみや憎しみを抱いたりしていると、その存在に気づいてくれないことだという。その種の人間がいわゆる ″地縛霊″となっていき、地上の縁ある人たちに良からぬ影響を及ぼすことになるのである。

 

以上で終わります。

 

 

もしかしてこの続きを出すかもしれませんが、

私も日々コロナの患者さんに追われて忙しくしていますので、

更新するとしたら、また新しい話になるのか、、

それもあちら側が絶対的に必要なサインが来れば、

またこうして書くことになるのかもしれません。

近藤千雄氏は私も尊敬する素晴らしい人であり、

彼の話す言葉はそれこそ海のような深い蒼さと父のような愛情が見えてくるのです。

2023年が皆さんにとって楽しくて明るくて素晴らしい一年になりますように。

ちなみにステッドの話す大小さまざまな人種とは地球人だけではないと思いますよ!

ポポ山。

ちょっとそこらを見物してくるか

ウィリアム・ステッド

 

最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によく分からないということです。時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺がはっきりしません。

 

さて、私には二人の案内役が付き添ってくれました。地上時代の友人と、もう一人は実の父親でした。父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。何だか私には外国へ来て親しい仲間と出会ったという感じがする程度で、死後の再開という感じはしませんでした。それがその時の正直な心境です。

 

つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。つい昨夜のことなのに、まるで50年も前のことのように思えました。お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって半減されるということにならずに済みました。

 

タイタニック号の犠牲者の全員がそうだとは申しません。少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。が、それも、二つの世界の関係(つながり)について何の知識も持たないからにほかなりません。そういう人たちは、二つの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、″ちょっとそこらを見物してくるか ″といった気楽な気分でした。悲しい気分など、まったくありませんでした。

 

さて、これから述べるブルーアイランドにおける私の最初の体験は、少し細かい点まで述べようかと考えております。有り難いことに、私には地上時代のユーモアのセンスが今もあります。ですから、私の話を読まれて、その突拍子のなさに可笑しさを覚える方がいても、私は少しもかまいません。むしろ苦笑を禁じ得ないものを見出してくださるほうが有り難いくらいです。

 

その3の話の続きです。

上空へと物凄いスピードで移動した 

ウィリアム・ステッド

 

自分でも何が何だかさっぱり分からないのですが、私は必死になって手引きして、乗り物とおぼしきものに案内してあげました。やがて、すべてが終了しました。まるで得体の知れない乗り物が出発するのを待っている感じでした。言わば、悲劇が完了するのを待っていたようなものです。ボートで逃れた者はもちろん生きて救われました。が、溺死した者も変わらず生きているのです。

 

そこから妙なことが起こりました。その得体の知れない乗り物、というよりは、われわれが落ち着いた場所全体が、いずことも知れぬ方向へゆっくりと移動を始めたのです。

 

そこに集まっている人たちの情景は、それはそれは痛ましいかぎりでした。死んだことに気づいた者は、あとに残した家族のことと、自分はこれからどうなるかが不安のようでした。このまま神の前へ連れて行かれて裁きを受けるのだろうか、どんな裁きが下されるのだろうかと、おびえた表情をしておりました。

 

精神的ショックで、茫然としている者もいました。何が起きたのかも分からず、無表情でじっとしています。精神がマヒしているのです。こうして、新しい土地での評決を待つ不思議な一団がそこに集まっておりました。

 

事故はほんの数分間の出来事でした。あっという間に大変な数(1500余名)の乗客が海に投げ出されて溺死し、波間に漂っておりました。が、その死体から抜け出た霊が次々と宙空へ引き上げられていったのです。生きているのです。中にはすこぶる元気な者もいました。死んだことに気づきながらも、貴重品が惜しくて手に取ろうとするのに、どうしても掴めなくて、かんしゃくを起こしている者もいました。地上で大切にしていたものを失いたくなくて必死になっているのでした。

 

もちろん、タイタニック号が氷山と激突した時のシーンはあまりいいものではありませんでしたが、否応なしに肉体から救い出されて戸惑う霊たちの気の毒なシーンは、その比ではありませんでした。胸がしめつけられる思いのする、見るにしのびない光景でした。その霊たちが全て救出されて一つの場所に集められ、用意万端が整ったころで、新しい土地(ブルーアイランド)へ向けて、その場全体が動き出したのです。

 

奇妙といえば、こんな奇妙な旅も初めてでした。上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。それが強烈な力とスピードで引き上げられていくのですが、少しも不安な気持ちがしないのです。まったく安定しているのです。

 

その旅がどのくらいかかったか、又、地球からどれくらいの距離まで飛んだのかは分かりません。が、到着した時の気分の素敵だったこと!うっとうしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。全てが明るく、全てが美しいのです。

 

近づきつつある時からその美しさを垣間見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、たぶん急逝した者が連れて行かれる国なのだろうなどと言っておりました。神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。

 

いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。環境のすべてに実体があること、しっくりした現実感があること。今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変わらないことを知ったからです。違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい明るく美しいことでした。

 

しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。そして、そこでタイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。

 

タイタニック号の沈没直後について亡くなった本人が語る。

ウィリアム・ステッド

 

地上時代(ステッドが生きていた時代)にスピリチュアリズムとの出会いによって驚くと同時に感動したのと同じように、私は、今度はこちらへ来てみて、地上時代に得た霊的知識が重要な点において100%正確であることを知って、驚き、かつ感動しました。そうと知った時の満足はまた格別でした。学んでいた通りなので、驚きと喜びを同時に感じたものでした。

 

と言うのも、根本的には絶対的な確信があったとはいえ、細かい点で不安に思うことが幾つかあったのです。それだけに、実際にこちらへ来てみて、それが "まさか”と思えるほど、私の予想を裏切って現実であることを知り、満足したわけです。

 

~省略~

 

何よりも私が驚いたのは、あの混乱状態にありながら(ステッドの死亡直後)、 他の溺死者の霊を私が救出する側の一人であったことです。私自身も本当は大変な状態にあったはずなのに、他の霊に救いの手を差しのべることができたという、その絶妙な転換は、率直に言って、まったくの驚きでした。その時の事情が事情でしたから、なぜだろう?なんのために?といったことを考える余裕はありませんでした。そんな疑問が顔をのぞかせたのは、少し後のことです。

 

落ち着く暇もなく、私をさらに驚かせたのは、とっくの昔の他界したはずの知人・友人が私を迎えてくれたことです。自分が死んだことに気づく最初の原因となったのはそのことでした。そうと知って、どきっとしました。

 

次の瞬間、私は自分を自分で点検しておりました。一瞬のうろたえはありました。が、それはホンの一瞬のことです。すぐに落ちつきを取り戻すと、死後の様子が地上で学んていた通りであることを知って、何ともいえない嬉しい気持ちになりました。ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれば!と、どんなに思ったころでしょう。その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした。

 

以上が他界直後の私の意識的反応です。それからその反動ともいうべき変化が生じました。茫然自失の心境になり、やがて地上の我が家が気になりはじめました。その時点では、タイタニック号沈没のニュースはまだ入っていなかったはずです。ニュースを聞いたら家族の者はどう思うだろうか。その時の私の心境は、自分はこうして無事に生き続けているのに、そのことを知らせてやるための電話が故障して使いものにならないという、じれったさでいっぱいの状態に似ていました。

 

そのとき私は沈没の現場に来ていました。他界後のことを長々と述べてきましたが、時間的にはまだ何分も経っていなかったのです。地球のすぐ近くにいましたから、その現場のシーンがありありと見えるのです。沈没していく船体、ボートで逃げる船客、そのシーンが私を自然と行動に移らせたのです。救ってあげなくては!そう思った次の瞬間には、私は茫然自失の状態から覚めて、水没して肉体から離れていく人たちを手引きする役をしておりました。

 

その3へつづく