16. ホワイトサンズUFO搭乗事件・物質科学・社会科学・精神科学 | ポポ山に祈りを込めて

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ホワイトサンズUFO搭乗事件第16話

GAサイトより転載(承諾済)

ダニエル・フライ著「私は円盤に乗った!」より。

久保田八郎訳、他、藤間弘道、増野一郎訳

 

我々は君の社会構造に適応するときの問題やいろいろな細かい点を努力して達成しようとしているが、前にも言ったとおり地球に住むまでにあと数ヶ月はかかるし、間もなく適用される小さなバランスフォース(知らしめる行動を言っている)が発揮される前に社会も文明も人口もなくなっているかもしれないがね。

 

トップレベルの科学者は危機を知っている

 

「戦争の瀬戸際は国家が平和を論議できるただ一点にあるんだと感じている指導者が数人はいる。そのような瀬戸際はだれでもわかるほど不安定というのではなく、国家の多くはそうするつもりもないままに開戦してしまうんだ」

 

核戦争の可能性がことさら主張されている我々の文明の危機は理解しているよ」と私は言った。

 

「科学の分野で働いているものは皆知ってるんだ。我々の国のトップレベルの科学者のほとんどは、一度や二度は、世界規模の核戦争は確実に我々の文明を破壊しつくす結果になるし、人口のほとんどほ死んでしまうと声明を発表しているがそれに注意を向ける者はだれもいないようだ」

 

「それは、単に問題を提起するだけで解決方法を与えてないからだ」とアランは言った。「近々の危険ではないにしても、地球の核戦争の可能性は実際には問題でなく、単なる徴候であって、そのような病気は、その徴候を処理することによって治るんだ。

 

君たちの文明は一つの大きな問題に直面しているんだ。ここ数年の間にそれは危険な状態になっている。その間題の存在は人類・宗教・政治上のイデオロギーの欠陥ではない。それは、どこでも、どんな文明の発達段階においても遅かれ早かれ生じてくるものなんだ。

 

惑星に生命が始まるときに、その問題は最も単純で可能な形で現れてくる。生命の形は常により複雑化し、知覚力をもつようになるんだ。その間のある点で、人間は"人間的特性"と君が言うようなものをもつようになる。この特性は存在意識・生きる目的の必要性・力の理解それに他の生物より高い知覚力といったものも含んでいるんだ。文明はそのような種類のものが現れたときに始まるといっていいだろう。知識や生きる目的の探求は議論とよりよい理解の目的で三つの大きな区分に分けられるほどの広いスペクトルになっている。この区分は次のように定義される。

 

物質科学・社会科学・精神科学

 

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物資を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。

 

(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。

 

(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造のカと無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

 

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。

中国で撮影されたアダムスキー型円盤
この写真は昭和15~6年頃のもので、場所は中国の北方、済南市。「二幸館」という看板が入口上方に掲げてある染物工場の左上の空中に、まさにアダムスキー撮影の金星のスカウトシップと同型の物体が鮮明に写っている。 写真を持ち出したのは福岡県久留米市に住む主婦で、佐賀のUFO研究会が佐賀市で開催したUFO画展がラジオで報じられたのをきっかけに、その主婦が同会に提供した。これがさらに東京のUFOライブラリー主宰者・荒井欣一氏に送られ、荒井氏が日本GAPに提供したもの。 主婦の父親(故人)が記念写真を撮った際に偶然写っていたといい、昭和5年生まれの父親が小学校4年生ぐらいの時に撮影したという。 まだUFOとか空飛ぶ円盤という名称がなかった頃なので、トリックとは考えにくい。

 

 

宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。人間と動物の違いがわかれば、君にもこのことが証明できるだろう。そこには本質的な違いはないし、人間は槍受(やりうけ)以上の知識をもっており、物質科学を達成できた動物の一つにすぎないという人は少ない。この事実は、人間と動物との間にいくつかの特別な違いがあるということなんだ。この違いの一つは動物は決して社会科学や精神科学をもたないし、そのような科学を打ちたてうる基礎もないので決して持とうともしないことだ。昆虫の中にはアリや、ハチなどのように(社会性昆虫と言っているが)沢山の昆虫が集まって生活し、共通のものを得るために働くという社会科学の初歩的な形態を発達させ、すべてのものを共有するという規律の形態をもっている。

 

結果として、彼らは単純な構造(巣)を創りだし、そこに必要になるときまで食物を蓄えるという物質科学の非常に限定された形態を発達させている。しかし、この彼らが精神科学を持っていないという事実はこれ以上の発展は望めないことを証明している。彼らは数千年の間に一歩も進んでおらず、彼らの基礎の上にたてられた巣の限界に達してからの長い間に一歩も踏み出そうとはしていないんだ。一方、人類はどこでもいつでも、自分が理解できないにしても、至上の英知(心)の創造力と無限の知力を理解する能力を生まれながらにして付与されているんだ、発達段階で、この力に対する人間の態度は始めの恐れと憤りから最終段階の愛へと変わってくる。しかし人間はその創造力をもち、多くの性質を学ばうとする本能をもっているんだ。そこで精神科学は知識の始まりの段階に起こってくる。人間は自分の生活条件を共同で改良できるんだということを理解すると、社会科学の始まりとなる最初の少しばかりの集団が発生することになるんだ。

 

この二つの科学(精神科学と社会科学)を基礎として、物質科学の上部構造が浮かび上がって来て、そこには大きな問題もまた生じてくる。

 

物質科学の発達は肉体の必要性と欲求によって刺激され続け、常に上昇の一途をたどるんだ。30年の間の君たちの科学の技術進歩を考えてみたら、それ以前の百年間の進歩をはるかに超えていることがわかるだろうし、その前の千年間の進歩をも超えているんだ。

 

一方、精神科学と社会科学は普通にしか進歩しておらず、いつの時代にも関係なく時間に比例した進歩しかしていない。

 

結局、ほんの少しづつしか進歩しない基礎(精神科学と社会科学)の上にものすごい速さで成長する巨大な構造物(物質科学)を乗せているという問題をかかえている。基礎の成長を促す方法が見つからなければ、もはやその構造物を支えきれなくなって構造物は破壊し、構造物と基礎の両方を破壊し、衰退させるときがやってくるんだ。

 

第17話へ続く